ドイツ・ザクセン州短訪 ハレ(ザーレ) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 現地視察:2004年9月5日、掲載月日:2020年7月20日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
総合メニューに戻る ◆ハレ(ザーレ) ハレの紋章 Source:Wikimedia Common 不明 (SVG by User:Madden) - 投稿者自身による作品 (Original text: Own work after the image at [1]), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=778591による ハレ (ザーレ)(Halle (Saale), 1995年まで:Halle/Saale)は、ドイツ連邦共和国ザクセン=アンハルト州の都市でス。かつてはプロイセン王国、戦後は東ドイツに属しました。 人口は約24万人、正式都市名はハレ・アン・デア・ザーレ(Halle an der Saale)とも表記されます。 地勢 ザーレ川沿いに位置します。古くから製塩によって栄えてきました。近隣の都市としては、約35km南東にライプツィヒ、約75km北にマクデブルクが位置します。 「ハレ」という語はケルト語で「塩」の意味とされますが、古いドイツ語で「製塩所」を意味するという説も行われています。 ハレは濃い塩水を出す塩水泉があり、近辺にはヨーロッパでもっとも古い青銅器時代の製塩所跡があります。北ドイツは一般に塩に乏しいが、ハレは例外的でした。 中世においては、ハンザ同盟の加盟都市として繁栄しました。1478年にマクデブルク大司教領となり、1503年以降、大司教座がハレに置かれました。 三十年戦争中、1635年のプラハ条約によってザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世の子のアウグストがマクデブルク大司教領を支配しますが、1680年にアウグストが没すると、ヴェストファーレン条約での取り決めに従って世俗化されてブランデンブルク=プロイセン領マクデブルク公国となりました。 ブランデンブルク家は製塩法の効率化を促進しました。19世紀なかばまで、ハレはドイツで唯一製塩に石炭を使っていました。 ナポレオン戦争では第四次対仏大同盟時のハレの戦い(1806年)によってフランスに占領されました。1815年にプロイセン領ザクセン州の一部になりました。 1920年、独立社会民主党はこの地で開催された党大会でコミンテルンへの加盟を決定しました。この方針に従うものがドイツ共産党へ合流したことで、同党の勢力が増すことになりました。第二次世界大戦では、奇跡的に空襲をあまり受けず、沢山の歴史的建造物が無傷で残っています。 戦後間もなくはアメリカ軍の占領下にありましたが、すぐにソ連へ引き渡されることとなります(ソ連占領地域)。東ドイツ時代はハレ県の県庁所在地でした。 文化 ハレの歌劇場 Source:Wikimedia Common Photo: Andreas Praefcke - 投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=103799による ハレの給水塔 Source:Wikimedia Common I, ArtMechanic, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=188031による 歴史 18世紀にロンドンで活躍した作曲家、ヘンデルの出生地で、ヘンデル音楽祭が開催される。 プロイセン時代から大学都市として有名であり(マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク)、古典文献学および聖書解釈学の成立に大きく寄与した。クリスティアン・ヴォルフが哲学を講じた場所でもあります。 交通 ライプツィヒ、マクデブルクからは40分程で結ばれています。市内には路面電車が張り巡らされ、マルクト広場から市内各地は最大でも20分ほどです。 姉妹都市 フィンランドの旗 オウル(フィンランド)1968年 ポルトガルの旗 コインブラ(ポルトガル)1974年 オーストリアの旗 リンツ(オーストリア)1975年 フランスの旗 グルノーブル(フランス)1976年 ドイツの旗 カールスルーエ(ドイツ)1987年 ドイツの旗 ヒルデスハイム(ドイツ)1992年 ロシアの旗 ウファ(ロシア)1997年 中華人民共和国の旗 嘉興市(中国)2009年 出身有名人 ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル つづく |