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メアリー・スチュアート
とカナダ・ノバスコシアの
脱焼却・脱埋立政策B
青山貞一 
掲載月日:2012年6月6日
 独立系メディア E−wave Tokyo



出典:NHK BSプレミアム

 スコットランド王だったメアリーは、最終的にイングランド国王のエリザベス一世を暗殺する謀叛の嫌疑をかけられ、断頭台に送り込まれ斬首される。

メアリー・スチュアートの最期

 1587年2月7日、メアリ・スチュアートにイングランドの使者が来て死刑執行令状を読み上げた。 メアリーは従者たちに金品を分け与え、その保護をフランスの親類に頼んだ。

 翌2月8日、真紅のビロードの上衣を纏い、カトリックであることを示す象牙の十字架を頸にさげ、うしろに6人の従者をしたが刑場にあらわれた。

 黒刑場には約200人の見物人が集まっていた。刑吏が執行令状を読み上げ、国教会の僧侶がメカトリックからの改宗を勧告したがメアリーはここでも己の信仰を貫き通し、伝統的なラテン式祈祷を行った。

 人々の見守るなか、メアリーは自らの霊魂のために、ついでエリザベスのために、スコットランド・フランス・イングランドのために、最後に息子ジェイムズのために祈った。

 そして黒の上衣とヴェールとを脱ぎ去った。下衣が人々の眼を奪う。女王に相応しい、威厳と美しさに満ちた最期の舞台であった。

 メアリーは自ら断頭台に首を差し出した。大斧が3度ふり降ろされた。メアリースチュアート、享年44歳であった。


出典:映画エリザベスより


メアリー・スチュアートの斬首
出典:NHK BSプレミアム


Source: English Wikipedia

 亡骸は後に息子ジェイムズの意向によってウェストミンスター・アベイへと移された。メアリの最期の地となった刑場フォザーリンゲー城はこの時のジェイムズの命により、跡形も名残も残さず破壊されたという。

 1603年3月24日、イングランド女王エリザベス1世が70歳で亡くなった。生涯独身を貫いた彼女には当然子供がおらず、自分の後継者についても何等の意向ももらしてはいなかった。

 しかし、晩年の彼女がスコットランド国王ジェイムズ6世に送った手紙にはイングランド王位継承をほのめかすものがあり、その意を受けた宰相セシルもジェイムズとの極秘交渉をはじめていた。

 そしてエリザベスの崩御、特使ロバート・ケアリーが晩馬車を飛ばしエディンバラに向かい、ジェイムズのイングランド王位継承決定を報告した。

 イングランド国王ジェイムズ1世の誕生である。

 この日からスコットランド・イングランド両王国は同一人の国王を戴く同君連合となり、それ以後現在に至っている。王朝は幾度かかわれども、ふたつの国の国王は常にジェイムズ1世の子孫がつとめている。

 現在のイギリス王家は処女王エリザベスの血ではなく、断頭台にたおれたメアリ・スチュアートの血を受け継いで今日に至っているのである。

参考:メアリー・スチュアート伝 http://www.kaho.biz/mary/b.html#9


メアリー・スチュアートのデスマスク
出典:NHK BSプレミアム


メアリー・スチュアートのデスマスク
出典:NHK BSプレミアム

 しかし、エリザベスは子供を残さなかったので、メアリーが生んだ子供(ジェイムズ6世)が、エリザベス一世の後を継ぎ、今のイギリスの初代国王、ジェイムズ1世となったという歴史的な皮肉がある。もっぱら、統一イングランド初代国王になったジェイムズ1世は、ブレア元首相同様、母親メアリーの精神やスコットランド精神を忘れ、イングランドにおもねった。


出典:NHK BSプレミアム


スコットランドの州都、エジンバラにあるエジンバラ城
出典:NHK BSプレミアム

 映画「ブレイブハート」など、スコットランド人がいかに自立心、独自性、個性が強く誇り高い民族であるかを示す映画は見てきたが、今回の「悲劇の女王、メアリースチュワート」は、スコットランドの実質、最後の国王となったメアリー・スチュアートという女性の生き方に焦点をあて、なぜ、スコットランドやスコットランド人さらにそのスコットランドに飽きたらず、カナダに渡りノバスコシアをつくったかを知る上での重要な精神史的ヒントがあると思える。


ブレイブハートの舞台となったスコットランドのグレンコー谷。
Source:Google Map


ブレイブハートの舞台となったスコットランドのグレンコー谷。
当時イングランドによりここの住民は虐殺されている
出典:NHK BSプレミアム

 映画「エリザベス」のように脚色した物語ではなく、あくまで史実、城などの物的証拠をもとに、悲劇の女王メアリーの足跡をたどった地味な歴史ドキュメントではあったが、非常に見応えがあった。

 今回、たまたま深夜に見たのだが、メアリーは政略結婚的にフランスに嫁に行った。当時、スコットランドは根っからのカソリック、イングランドは英国教会(プロテスタントの一種)であり、敬虔なカソリックの国、フランスに嫁いだのは、宗教上のことでもあったわけだ。

 しかし、メアリーがフランス王族に嫁いだことから、その後、スコットランドとフランス、スペインなどラテン系諸国との関係が文化面で強くなった。

 現在、カナダのノバスコシア州にフランス系の人々そして文化が強く残っているのは、おそらくこのためではないかと思う。さらにケベック州ケベック市のように、フランスそのものがカナダに残っているのも、これに関係があるかも知れない。

 私はまだ一度もスコットランドはもとよりイギリスに行ったことはないが、スコットランドの首都エジンバラ、そこに残るエジンバラ城、さらにブレイブハートの舞台となったスコットランドの北部地方などをぜひ、自分の目で確かめてみたいと思う。

◆ブレイブハート(原題:Braveheart)

 1995年のアメリカ映画。俳優のメル・ギブソンが主演・監督した。アカデミー音響効果賞、アカデミー作品賞、アカデミーメイクアップ賞、アカデミー監督賞、アカデミー撮影賞を受賞。

 スコットランドの独立のために戦った実在の人物ウィリアム・ウォレスの生涯を描いた歴史映画だが、史実に大幅な脚色が加えられており、フィクションとしての性格が強い作品である。

 13世紀末のスコットランド、残虐で冷酷なイングランド王エドワード1世の侵略によって家族を殺害されるも難を逃れたウィリアム・ウォレス。

 成人して彼は故郷に戻り、そこで幼なじみのミューロンと恋に落ち、結婚する。しかし彼女はイングランド兵の手によって殺害され、ついに彼は復讐を決意、圧政に苦しむスコットランドの民衆の支持もあり、彼の抵抗運動は熱を帯びていくのだが…。