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春の熊本歴史短訪
B往事の大名屋敷、
旧細川刑部邸
青山貞一
掲載月日:2012年5月15日
 独立系メディア E−wave Tokyo

<春の熊本歴史探訪>
@築城の名士、加藤清正による熊本城
A公開された絢爛豪華な本丸御殿
B往事の大名屋敷、旧細川刑部邸

 熊本城を2時間以上見学した後、さらに歩いて旧細川刑部邸(武家屋敷)まで行きました。

旧細川刑部邸

 ここは江戸時代の細川藩主時代の武家屋敷を場内から場外に移築したもので、往事の武家屋敷を偲ぶことができます。建坪300坪もあり敷地は2000坪以上ありそうです。


旧細川刑部邸の壁。右は熊本県博物館
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S8 2012.5.13


旧細川刑部邸の入口(長屋門)近く
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S8 2012.5.13


旧細川刑部邸の玄関へのアプローチ
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S8 2012.5.13


旧細川刑部邸(武家屋敷)の玄関
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S8 2012.5.13

 熊本県熊本市中央区の熊本城三の丸跡にある武家屋敷。なお、細川刑部家(子飼細川とも言う)は細川内膳家(砂取細川)と並ぶ細川藩の一門家臣家(いずれも江戸期は長岡姓)であっそうです。

 細川刑部家は、細川家三代忠利(ただとし)公の弟、細川刑部少輔興孝が正保3年(1646年)に2万5千石を与えられて興したもので、現在公開されている建物は、その後、子飼、現在の熊本市東子飼町で下屋敷として使用していたものを平成2年から5年にかけて移築したものです。

 同邸は建坪300坪あり、唐破風の大きな玄関は、重臣などの訪問や当主だけが使ったとされています。また、入側造りの表御書院は、江戸時代の大名邸宅の造りを残しています。

 他にも、二階建ての「春松閣」や一階の「銀之間」が、別棟には書斎の付いた茶室「観川亭」、御宝蔵、台所があり、全国有数の上級武家屋敷としての格式を持っていおり、熊本県の重要文化財指定されています。


刑部邸全体見取り図 出典:入場時にもらったパンフより

 この刑部屋敷は熊本藩主となった細川忠利の弟細川興孝が刑部家をおこしたのち、現在の熊本市東子飼町に立てられた屋敷で、1993年(平成5年)に現在地に移築されています。また熊本県指定有形文化財となっています。


刑部邸主要部  出典:入場時にもらったパンフより


旧細川刑部邸(武家屋敷)の庭
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S8 2012.5.13


旧細川刑部邸(武家屋敷)の表御書院
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S8 2012.5.13




旧細川刑部邸(武家屋敷)の春松閣
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S8 2012.5.13




旧細川刑部邸(武家屋敷)の茶室
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S8 2012.5.13




旧細川刑部邸(武家屋敷)の茶室
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S8 2012.5.13


旧細川刑部邸(武家屋敷)の庭の立ち蹲(つくばい) 
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S8 2012.5.13


旧細川刑部邸(武家屋敷)の御台子 
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S8 2012.5.13


旧細川刑部邸(武家屋敷)の御台所 
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S8 2012.5.13