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春の福島歴史・文化短訪

F会津若松市の飯盛山-5

戸ノ口堰
青山貞一 池田こみち
掲載月日:2012年5月4日
 独立系メディア E−wave Tokyo


 その第二は戸ノ口堰洞穴である。

 この戸ノ口堰洞穴は、猪苗代湖から会津地方へ水を引くため掘られた堰であり、元和年間から元禄年間まで工事が行われ、天保3年から3年間は会津藩士である佐藤豊助が中心となり飯盛山の中腹からトンネルを掘り進んだ。

 トンネルの長さは約150m、工事にかり出された人夫は5万5千人に達したという。完成後は2500ヘクタールの灌漑が可能になり会津藩にとり絶大な恩恵となった。

 一方、戊辰戦争の際は白虎隊士中二番隊二十名が鶴ケ城に戻る際に通った洞穴としても有名だ。上述のように、この後、飯盛山から城下町が炎上しているの見て自刃している。


戸ノ口堰洞穴
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2012.5.2


戸ノ口堰洞穴
撮影:池田こみち Nikon CoolPix S8 2012.5.2

 
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2012.5.2

◆戸ノ口堰洞穴

 今から400年前元和年間猪苗代湖の水を会津地方に引くため郷士八田氏が起工し、元禄年間まで工事が続けられ後天保3年会津藩士佐藤豊助が藩命により飯盛山の山腹約150mを人工的に穴をあけ水田2500ヘクタールの灌漑に供し使役人夫5万5千人と3ヶ年の歳月を費して遂に完成した。

 白虎隊士中二番隊は戸ノ口原に布陣している味方軍応援のため派遣されたが戦に利あらず、お城の安否を確かめようと歸城の途中隊士20名が通過した洞穴である。

 以下の地図は、新政府軍と会津軍の激戦地となった戸ノ口原の位置を示している。戸ノ口原は、猪苗代湖の北西岸にあり、飯盛山までは直線距離で5kmほどある。


激戦地となった戸ノ口原の位置
出典:グーグルマップ


戸ノ口用水堰普迫水利組合 創立六周辺祈念碑
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2012.5.2

 
つづく