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, 以下にお送りする2つの論考は、今月末から現地視察するウズベキスタンの歴史をひもとくうえで書いたものです。「中央アジアの覇者、ティムール帝国」と「シルクロードの今を征く」です。 , ◆青山貞一・池田こみち、中央アジアの覇者、ティムール帝国 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col86869a..html , ◆青山貞一・池田こみち、シルクロードの今を征く http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col86890..html ティムール朝は、モンゴル帝国から派生したティムール率いるウズベキスタンを拠点とした中央アジアを版図とする帝国です。ティムール朝は、その後、分裂しその一方はインドのムガール朝となってゆきます。 モンゴル帝国 (1206年 - 1634年) ティムール帝国 (1307年 - 1507年) オスマン帝国 (1299年 - 1922年) 今回ウズベキスタンを視察する目的は、シルクロードのちょうど中間地点にあること、イスラム文化、とりわけ往事のイスラム建築がかなり現存していることに加え、ウズベキスタンを拠点としていたティムール朝の本拠地を自分たちの目で見ることにあります。 ところで、ティムール朝とほぼ同時期にいわゆるオスマン帝国(オスマン朝)が中東から北アフリカ、東南ヨーロッパに栄えます。 最近発見した非常に興味深い論考があります(巻末)。ISISが想定する版図は、まさにティムール朝の版図と重なり、さらにオスマン朝を目指していることが分かります。 ところで、チンギスハーン率いるモンゴル帝国、ティムール率いるティムール帝国、そしてテュルク系が率いるオスマン帝国は、史実を読むと版図拡大時、現代人から見るときわめて残忍であったことが分かります。 もっぱら、これはスペインがメキシコなど中米を侵略したとき、ポルトガルがブラジルを侵略したとき、その後、米国がつくられるとき、さらにいえば日本が朝鮮半島や中国大陸で行ったときなどでも、似たようなものであることが分かります。 現在のG7やG20諸国など、版図がそれなりに確定している国々から見ると、トンデモなことであっても、中東地域のようによくいわれるように英国が王族、部族との利害関係と自分たちの利権から勝手に国境線を引いたような地域、しかも同じイスラム教であっても、シーア派とスンニ派、さらにスンニ派であっても、それらが分派している現状では、けっしてG7やG20諸国などの国々のように版図がほぼ確定している国とは異なる点を考えなければならないと思います。 もちろん、殺傷はいけないことはまちがいありませんが、英国のアングロサクソンは、歴史的に1300年以降、スコットランド部族を大量に虐殺しており、それが昨年のスコットランド独立住民投票の根となっていることを想起すれば、決して英米がなんだかんだ言えることではないと思います。 ただ、現在では武器が超高度化しており、また大量殺戮兵器が米英仏露が中心となり世界各国に売っていることもあり、モンゴル朝、ティムール朝、オスマン朝時代とは異なり、G7ないしG8が戦後引いた版図の線を越える紛争について、とりわけ中東、ユーゴなどバルカン諸国での紛争に、NATOなどが武力を全力投入し、とりあえず収拾をはかることはできます。 しかし、武力で押さえ込まれたとしても、歴史文化の上にある民族、宗教に起因した紛争は歴史を見れば分かるように、決してそう簡単にどうにかなるものではないのです。 さらにイスラム国が「カリフ制」再興と言っているところからみると、オスマン朝に加えて、イスラムの初期の王朝であるウマイヤ朝やアッバース朝のようなものを目指しているのかもしれません。それらは昨年1月末から2月に現地視察したモロッコにも関連しています。 私自身、けっして殺戮、物理的暴力をよしなどとするものではなく、行政法研究者の端くれとして、日本国憲法をこよなく愛するものですが、同時に中東,中央アジアに関わる歴史、文化を理解することなしに、イスラム諸国について語ることはできないと常々思っています。 <参考1>:21世紀のイスラム国(ISIS)建国は20世紀のサウジアラビア建国と同一 (資料) 出典:逝きし世の面影ブログ <参考2>:「イスラム国」に呼応する動き広がる〜ヨーロッパのスペインから 中国の新疆ウイグル自治区に至る広い地域を、イスラムの 統一国家とするべきだと/NHK 「イスラム国」に呼応する動き広がる 2015年2月2日 20時09分 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150202/k10015151751000.htm 「イスラム国」は、インターネットなどを通じて世界のイスラム教徒に向けて勧誘活動を展開しているほか、アメリカやフランスなどの市民を殺害するよう呼びかけていて、アフリカやアジアのイスラム過激派組織にも「イスラム国」に呼応する動きが広がっています。 このうちエジプト東部のシナイ半島では先月29日、「イスラム国」への忠誠を誓う過激派組織「エルサレムのアンサール団」が、軍や警察の施設、数十か所を攻撃し、兵士などおよそ30人が死亡しました。 さらに、先月27日には北アフリカのリビアでも、「イスラム国」に忠誠を誓う武装勢力が首都トリポリの高級ホテルを襲撃し、外国人など9人が死亡しました。 また、アルジェリアでは、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」から分裂したとみられる武装勢力が「イスラム国」の系列を名乗っていて、去年9月にはフランス人の男性を拘束し、殺害する映像を公開しました。 西アフリカのナイジェリアでも、西洋の教育を否定し、テロや襲撃事件を繰り返している過激派組織「ボコ・ハラム」が「イスラム国」の影響をうけ、去年8月、イスラム国家の樹立を宣言して、町や村を支配下に置く戦略を取り始めています。 そしてアジアでは、パキスタン最大のイスラム過激派組織「パキスタン・タリバン運動」の一部の幹部が組織を離脱し、「イスラム国」に忠誠を誓っています。 東南アジアでも、フィリピンやインドネシアの一部の過激派組織が「イスラム国」への支持を表明していて、戦闘員としてシリアやイラクに渡るアジア出身の若者も後を絶ちません。 「イスラム国」の支配構想 「イスラム国」は去年6月、シリアとイラクにまたがる地域に一方的に「イスラム国家」の樹立を宣言し、制圧した油田から手に入れた原油の密売や人質の解放と引き換えに受け取る多額の身代金などを資金源として勢力を拡大させてきました。 こうした動きを見た各地のイスラム過激派組織は「イスラム国」に忠誠を誓うようになり、去年11月、「イスラム国」は声明の中で、忠誠を誓った組織がある国のアルジェリア、リビア、エジプト、サウジアラビア、イエメンについて、「自分たちの『国』の『州』である」と一方的に主張しています。 また、先月、リビアの首都トリポリのホテルで起きた襲撃事件では、「イスラム国」の支部を名乗る組織が犯行を認める声明を出したほか、アフガニスタンやパキスタンの過激派組織の一部も「イスラム国」への支持を表明するなど、影響が広がっています。 イスラム過激派の中には、かつてのイスラム帝国の復活を求める声があり、「イスラム国」の支持者の間でも、ヨーロッパのスペインから中国の新疆ウイグル自治区に至る広い地域を、イスラムの統一国家とするべきだという主張が広がっています。 |