|
|
歴史を今に、ソウルの旅 景福宮@興礼門
ソウルを車でなく足を使って回ると、そそかしこに歴史的資産があり、身近な自然とともに大切にされていることが分かる。 ソウルに行って驚くことのひとつは、すべての歴史を今に生かしていることだ。景福宮(キョンボックン)もそのひとつである。 歴史的資産を全面公開、それも無料同然で誰にでも公開している。しかも、数時間毎に日本語、英語、中国語など、韓国語以外の言語で学芸員が丁寧な説明をしてくれる。 景福宮(キョンボックン)は李氏朝鮮王朝が創設した王宮。北京の紫禁城をまね勤政殿を正殿にし、それを結ぶ線に対して左右対称に建物が配置されている。 私はソウルに行くたびに必ず立ち寄っているが、景福宮では、下の写真にあるように、ほぼ毎年3月から11月まで興礼門で、「李朝宮城門の開閉および守門将交代式」が行われている。今回も、ちょうど守門将交代式に居合わせた。この李朝宮城門の開閉および守門将交代式は、景福宮だけでなく、徳寿宮など他の宮殿でも行われている。 ところで、景福宮でどうしても触れなければならないことがある。 それは1592年文禄の役(壬辰倭乱)で豊臣秀吉の軍勢が略奪・放火し、景福宮のほぼ全ての建物を焼失させたことだ。その後、王宮は離宮の昌徳宮を正殿とし、約270年間にわたり景福宮は放置された。 さらに、1910年、日本軍人を総督とする朝鮮総督府が敷地内の建物の8割以上を破壊し、光化門を撤去、宮殿正面に総督府庁舎を建て征服者が日本だということを示し、街から宮殿を見えなくしたことだ。 王朝の正宮が2度も日本軍によって破壊され韓国という国が消滅したことは、韓国にとって屈辱の歴史の象徴とされている。今でも、工事中の景福宮の正門の壁(光化門)に日本の植民地時代の総統府の写真が掲げられている。 足を踏んだひとはすぐに忘れるが、踏まれたまれたひとは一生忘れないというが、韓国を旅行すると、その痕跡を至るところに見る。日本が2度に渡り韓国を侵略し、植民地統治したことを韓国の国民は石に刻んでいる。このような過ちを、私たちは二度と起こしてはならない。 興礼門 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 2007.11.10 興礼門 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 2007.11.10 興礼門 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 2007.11.10 興礼門 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 2007.11.10 ■景福宮(キョンボックン) |