エントランスへはここをクリック   

米軍基地と公共工事
のまち沖縄県,
関係者インタビュー
辺野古海上基地と
高江ヘリパッド建設問題
真喜志好一氏

宇都宮朗、青山貞一
武藏工業大学大学院 環境情報学研究科

2007年12月12日

転載禁


 武蔵工業大学大学院環境情報学研究科修士2年の宇都宮朗さんの研究「在日米軍基地及び公共事業の環境・財政への影響に関する研究〜沖縄県を事例として〜」の一環として、2007年2月青山、宇都宮、坪根の3名で沖縄県への現地調査を行った。この現地調査は、何はともあれ現場を見ることに重点をおいた。

 そして2007年11月29日から12月2日にかけ、同じメンバーで沖縄県に3泊4日の現地調査に出かけた。今回は研究テーマに関連する調査、研究、活動をしている者、首長などの行政関係者、環境保全に係わるNPO・NGOなどに直接会い、話しを伺うとともに議論を行った。


20071129(木) 19:30〜22:300
場所:那覇市
テーマ:辺野古海上基地と高江ヘリパッドの建設問題
ヒヤリング対象:真喜志好一


那覇在住の建築家で琉球大学非常勤講師の真喜志さん

 沖縄県への米軍基地が集中しているので、その代償として国庫補助、公共事業への補助が8〜9割出ている。やんばるの森での乱開発、作物が育たない畑の造作、利用者もない地での林道建設などがある。それにより、森林は破壊され、本来は亜熱帯の湿潤な森の気候が変化し、乾燥を好む外来種のマングースが北上し、生態系へ影響を与えている。

 国の財政への依存率が極めて高い。それにより沖縄県民の思考能力が低下し、1割でしかモノを考えないようになっていた。つまり、1億円の自己財源があれば、10億円の事業が出来てしまう。基地の受け入れを拒むと補助金がカットされてしまう。補助金への依存体質は慢性的なものとなっている。

 沖縄県環境影響評価条例では、山の中に林道を建設する場合に幅4m以上、長さ2km以上はアセスメントの対象になる。しかし、工事の単年度の長さを、1.99kmにするなどし、アセスメントから逃れ、開発が進められている。

・SACO(日米特別行動委員会)合意 

 1995年9月4日少女暴行事件に対応し、日米両政府が同年11月18日に発足。1996年4月にSACO中間報告、SACO最終報告が出された。普天間基地返還など沖縄県内の米軍基地を整理・縮小し、県内に移設することが盛り込まれたが、わずか5ヶ月での中間報告の提出に疑問が多く残る。そして、SACO最終報告は、基地の「整理・縮小」ではなく基地の「統合・強化」である。

 SACO合意を究明する県民会議が発足した。その会議での結論として、SACO合意でいう基地の移設は「基地の新設」である。米軍の元々の意向を踏まえたものである。SACO合意による基地の移設は、3つのグループに分けられる。1つ目が古い施設の更新。これは50年以上たった施設などを整理し、返還する。2つ目が長期計画による基地建設。普天間基地の辺野古への移設がこれである。3つ目がOsprey訓練場の新設。やんばるの森の高江に新たにヘリパッドを建設する。

辺野古の海上基地

1966年 埋め立て計画が作られた。
1997年 国防総省の構想に引き継がれた。
     浮体式などが示された。
2002年 埋め立て案に変更
2005年10月 沿岸案
2006年5月1日 V字型案

 1966年から今日まで形を変えながらも、機能は同じで2つの滑走路、軍港機能の抱き合わせが引き継がれている。普天間基地移設により、これまでのキャンプ・シュワブの機能に、空と海の機能が加わる計画である。普天間基地には装弾場(弾薬積み出し庫)はないが、辺野古に建設させる予定である。

 これにより、弾薬を積んだ軍用機が沖縄の空を飛ぶことになる。かねてから辺野古に基地を作りたかった米軍とその要請を受けた日本政府により沖縄を騙すシナリオが進んでいる。

 1995年の少女暴行事件の後、普天間基地返還の声が高まった。それに伴い、代替地として、辺野古への基地建設案が本格化してきた。「普天間基地の返還の引き換えに辺野古への海上基地建設はしょうがない」という意見のもと、沖縄世論を二分できる状況を生んだ。

 社民党、共産党が力を合わせ、基地建設に反対運動を行っている。相対的に、社共勢力は以前に比べ減少し、土建業の発言力がある人の「基地も産業である」という意見が高まってきている。

 沖縄県は若年層の失業率が高い。保守政党の資金は潤沢のために、就職できなかった若者を選挙の応援に呼び込んでいる。選挙操作、世論誘導などが顕著に使われ、巧妙に保守基盤を築いている。反・自公で一本化できれば、勝てる選挙はあるが、人材の不足、候補者を一本化できないことが課題である。

 沖縄県には、8〜9割の高率の補助金があり、基地建設への見返り・アメとしての大型公共事業があり、利権が溢れている。

 選挙と関係ない世論調査では、県民の8割が「基地に反対」であり、県外に出て行ってもらいたいと思っている。選挙となる、別の選択肢が働いている。

 いつまでも建設業が栄えるとしたら、沖縄全部をコンクリートにするまで終わりはない。だから、今ある重機を農業のために利用していこうと提案している。農業を1から起こすなどの努力が全くされていない。

 沖縄の若者の就職志向が圧倒的に公務員である。沖縄のサラリーマンの月給は東京と比べると半分で、全国平均の7割くらいである。しかし、公務員になるとだいたい全国一律の給与である。沖縄県で公務員をすると、隣のサラリーマンの2倍の収入になる。

名護の市民投票の際、日本政府が猛烈に介入してきた。久間防衛庁長官(当時)が市民投票に向け、沖縄県にいる自衛官5500人に賛成票、基地建設賛成の獲得を命じた。那覇防衛施設局の440名のうち200名に名護市に宿泊させ、朝から晩まで「辺野古での海上基地は安全」と呼びかけ、沖縄北部振興につながるというパンフレットを配布した。それを跳ね除け、反対派が投票で勝った。

「ジュゴン裁判」 

 ラムズフェルド国防長官と国防総省が被告である。

 この訴訟は、米国の「国家歴史遺産保存法」に違反しているという訴訟である。この法は、「当事国の文化財保護法で保護されている物事については、米国が国外で行う活動においても当事国の法律を遵守すべし」と規定しているという。ジュゴンは、日本の文化財保護法で天然記念物に指定されているので、殺傷や生息環境を乱すことが禁じられている。

 原告側は、1997年に辺野古海上基地計画について米国防総省がまとめた文書には、ジュゴンの保護政策について何の記載もない。それにより、ジュゴンへの悪影響を回避するための方策を示せ、つまりは基地建設を断念せよ、と求める裁判である。

 2003年12月9日付けでラムズフェルド国防長官側からの答弁書が出た。大まかに二つの理由で辺野古の基地建設には米国政府は関与していないと主張している。

 理由の一つは、1972年までは米国が沖縄に基地を建設し使用してきたが、1972年の沖縄の施政権返還後は、日米地位協定にもとづいて日本政府が基地を作り、それを米国に提供していることである。もう一つは、日本政府が2002年7月に1997年のアメリカの計画を反故にして勝手に埋立計画を作ったという主張である。
しかし、

 1966年のアメリカの計画では、滑走路の向きが1997年の計画に引用されている。1997年の陸上と2つの橋でつなぐというアメリカの計画は、2002年の日本の計画に引き継がれている。

 2005年、3月2日に次のような中間判決。

   ・辺野古海上基地への米国の関与は明白。
   ・米国の国家歴史遺産保護法を適用して裁判を続ける。

 2004年、日本政府はアセス法に違反して、ボーリング調査を行った。「環境影響評価の資料にも使う」のであれば、「方法書」に記載し、生態系調査とボーリング調査の手順などについて、意見を聴取しなければいけません。

 ボーリング調査によって生態系を破壊した後では、生態系の正しい把握は不可能になってしまう。アセス法には罰則規制がなく、訴訟にも馴染みにくいので、住民側は非暴力、直接行動で闘っている。

「高江ヘリパッド建設」

 1997年に大田沖縄県知事(当時)が、安波訓練場を返還する代わりにやんばるの森の東側の高江周辺を提供することに合意した。東村高江に6ヶ所のヘリパッド建設計画が始まった。オスプレイの配備のために、平坦な土地が必要であった。

 離陸直後に安定感のないヘリのために墜落しやすく、安全性に疑問が残る。そのために1996年に日米政府はオスプレイの沖縄に35機配備を知っていたが、それを隠していた。「高江にヘリパッドを建設し、将来的にはオスプレイの配備があるかもしれない」という表現にすることを日本政府がアメリカ政府に要請している。オスプレイが配備され、基地・訓練場ができると辺野古から弾薬を積み飛び立ち、高江で訓練を行うことになる。

「辺野古への海上基地建設アセスメント」

 沖縄県が辺野古への海上基地建設アセスメントの方法書の受け取りを拒んだために、環境現況調査(事前調査)を行っている。これは方法書の縦覧前であり、アセス法に違法である。現在、阻止行動を行っている。歩行ルート、2km以上の作業道路など方法書に記載されていない計画が準備書に突然記載されることもあり、事業内容修正になるわけだから、方法書に戻ってやり直せと主張している。

 アセス方法書が出され、V字型滑走路にしたのは、名護市長や宜野座村長の意向を受け、陸地を飛ばないようにするため、一方通行にした。しかし、アメリカ軍側は双方向飛行することがあると言っている。

 アセスの方法書の素案により、ジュゴンの生息を確認するために水中ビデオを設置した。ジュゴンの通り道の真ん中にビデオを設置し、ジュゴンが見慣れないものがあることから、ジュゴンがいなくなり、アセスではジュゴンが生息していないことにしようとしている。戦闘機装弾場、214mの埠頭建設、辺野古ダム・陸地の工事、環境・騒音問題など多くの問題を抱えている。

 キャンプ・シュワブ以来、半世紀沖縄県には基地を作らせていない。しかし、今、新たな基地が建設されようとしている。賛成派の県民は「基地も経済である」という意見である。環境アセス法に違法な調査の中止、アセス方法書の撤回を求めて活動している。エコツーリズム、地場産業、戦後行っていなかった農業の再生、自然の中で人が生かされているという意識を地道に生み出していく必要性がある。

つづく