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米軍基地と公共工事
のまち、沖縄県B
〜キャンプ・シュワブ〜

青山貞一、宇都宮朗、坪根将太
武蔵工業大学環境情報学部青山研究室

2007年2月18日、2009年1月31日拡充


2007年2月13日(2日目)午前

 滞在2日目(2月13日)の午前、宿泊先の本部から最も近い米軍施設である名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ周辺を現地視察する。

 キャンプ・シュワブ沖に普天間ヘリ基地が移転される計画が1997年11月に発表されてこの方、キャンプ・シュワブは全国的に有名になった。

※ 『海上へリポート基本案について
   (1997年11月、普天間飛行場移設対策本部)

 しかし、現地に行ってみればわかるように、現地は自然海浜が豊かですばらしい。キャンプ・シュワブも後述するように兵士の居住地域となっており、非常に平穏な地域である。

 宿泊先の本部からキャンプ・シュワブには、名護市役所前まで行き、その後、国道58号線を左折し、県道329号線一本で行ける。県道329号の両脇は林ばかりで何も見えないが、そのうち忽然と、Camp Schwabと書かれたゲートが現れる。


図6 キャンプ・シュワブの位置

 ゲート前を通過しさらに10分ほど進むと辺野古の町に出会う。

 私は沖縄サミット直前の2000年6月、WWF及び地元市民団体からの依頼でキャンプ・シュワブ沖に環境調査を行ったことがる。以下はそのときの琉球タイムズの記事である。

※ キャンプ・シュワブ沖の海底排水溝を調査(沖縄タイムズ)

 今回6年半ぶりに辺野古を訪れたが、沖縄サミット直前にWWFや地元住民団体に依頼され来たときに比べると、ずいぶん辺野古地区のインフラが整備されたように感じた。

 これはひょっとすると、移設にともなう見返りの一部、アメなのだろうか? 以下はJanJanの記事だが、やはりこの6年間で現地にはハコモノが整備されたようだ。

辺野古の監視テント、基地移転の反対運動 JanJan

 北部振興策の一環で、辺野古地区には様々な「ハコモノ」が既にプレゼントされている。

 ITセンターやら、沖縄得意のコールセンター、そして国内一立派な規模の国立工業高校(!)。

 写真の環境情報センターは独立行政法人なので、いわば国が勝手に設置場所を選定できる非常に使い勝手のよい「カード」のようなもの。展示室を一般公開しているが、当然ながらガラガラ。誰が使うのか「どうぞご自由に」と張り紙が貼られた数十台の新品のパソコンと、暇そうにしている職員の姿が印象的だった。

※ 辺野古の監視テント、基地移転の反対運動
   2004.4.28 JanJan


 写真15は、辺野古漁港だ。背後にあった監視小屋は写真16のように、立派な鉄筋の建物に変わっていた。


写真15 辺野古の漁港。
      沖縄サミット直前に来たときとかなり変わっていた


写真16 前回したときは、反対派の拠点(?)があった
      場所には上記のような建築物が建っていた。

 写真17は、@辺野古、Aキャンプ・シュワブ、B大浦湾を一枚の写真に写したものだ。

 辺野古は左端にある。辺野古漁港より東側は在日米軍基地のひとつ、キャンプ・シュワブが海側一体を占有している。その北側には辺野古弾薬庫があり、さらにその奥が大浦湾につながる。


写真17 辺野古・キャンプ・シュワブ・大浦湾
原典 Source:Camp Schwab Okinawa, Japan

 以下の写真18は、大浦湾側からキャンプシュワブを撮影したものである。大浦湾側に突き出した部分に建築物が見える。


写真18 大浦湾からキャンプシュワブを見る

 以下の写真19はそれらの建築物を望遠レンズで撮影したものだが、新たな滑走路計画では、これらの建築物の立地域が滑走路となる。


写真19 大浦湾からキャンプシュワブを見る


写真20 大浦湾からキャンプシュワブを見る

 これらキャンプ・シュワブ内部には入れないが、英文版グーグルで検索したところ以下のキャンプ・シュワブ主要施設説明が見つかった。
 
 以下の図7は、キャンプ・シュワブの非軍事施設の概要である。

 銀行、ボーリングセンター、劇場、郵便局、将校用クラブ、一般兵士用クラブ、スイミングプール、ビーチ、図書館、教会、体育移設などがあることが分かる。

 ※キャンプシュワブ内施設ギャラリー


図7 キャンプ・シュワブ内にある施設
出典 Source:Camp Schwab Okinawa, Japan

 辺野古地域には市民用の海水浴場(ビーチ)はないが、キャンプ・シュワブ内施設ギャラリーをみると、以下のキャンプ・シュワブ内に兵士用のビーチがあることが分かった。

 今回の現地調査では辺野古に限らず、沖縄本島では米軍基地がビーチを占有していることも分かった。 


写真21 キャンプ・シュワブ内兵士用ビーチ

 ところで、ここでの問題は、沖縄県宜野湾市の市街地にある米軍ヘリポート、普天間基地を名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沖の珊瑚環礁に移設することだ。

 移設建設の当初案は、図8の通りである。A、Bふたつの滑走路が計画されていた。私が200年6月に調査を依頼された海域もA,B周辺であった。


図8 普天間基地のキャンプ・シュワブ沖移設の当初案

 私が当初来た6年半前に当初計画が発表されたが、その後、移転計画は、二転、三転し、現在は、図9及び図10にあるようにキャンプ・シュワブ沖からキャンプ・シュワブを含む2本の滑走路によるV字型となっている。


図9 普天間基地のキャンプ・シュワブ沖移設の現在案
出典:防衛庁・外務省資料



図10 普天間基地のキャン・プシュワブ沖移設の現在案
出典:防衛庁・外務省資料


 上記のV字型滑走路計画では、ヘリは辺野古側から滑走路に入り、安倍側に抜けるルートとなる。

 この計画は従来案(沖合埋め立て案)よりも陸側となっているものの、図10にあるように有視界飛行における飛行経路は依然としてキャンプ・シュワブ沖全域が含まれており、当該地域に生息するジュゴンへの著しい騒音影響は避けられないだろう。

 以下の写真22は大浦湾、安倍側からキャンプ・シュワブ(右側一体)を写したものである。出典はSource:SERVING THE BEST TROOPS IN THE WORLDとなっていたが、小さな岩礁(平島)が現在のヘリポート計画案における建設予定地の目安となる。その小さな岩礁と三角形をしたキャンプ・シュワブの間にV字型の滑走路が2本立地されるのが現在の計画である。


写真22 辺野古・キャンプ・シュワブ・大浦湾
出典:Source:SERVING THE BEST TROOPS IN THE WORLD

 写真23は写真22に現在の普天間基地の大浦湾沖移転の計画案、いわゆるV字滑走路案を重ねてみたものである。滑走路の一部がキャンプ・シュワブ内に立地されるが、建設中だけでなく供用後も海域の珊瑚礁や海洋生物、生態系への環境影響そして著しい騒音の影響が、予想される。

 また後述する嘉手納基地同様、もし、巨大なヘリ基地が名護市に立地されれば米軍の世界規模での再編が地元にとっては結果的に基地強化となることは明らかである。


図23 現在のV字滑走路案を写真22に重ねてみた

 視察では図11にあるように辺野古漁港側の次に県道329号線を戻り、県道331号線から大浦湾沿いに走り、大浦湾側からキャンプ・シュワブ側を見て回った。


図11 キャンプ・シュワブと大浦湾地域

 写真24は県道331号線の大浦湾奥からキャンプ・シュワブの先端を撮影したものである。橋が架かっているが、この橋は331号線のバイパスのようでまだ建設中だが、どう見ても不要な公共事業である。

 沖縄には明らかに不要と思えるこの種の橋梁が多数あり、結果的に景観を破壊し、建設時の赤土流週などで海洋汚染や珊瑚礁破壊を招いているようだ。公共工事問題については別途まとめて報告する。


写真24 県道331号線の大浦湾奥から
     キャンプ・シュワブの先端を見る

 大浦湾側に行くと、あちこちに大浦湾を守れとかジュゴンを基地建設から守れと言った看板が多数見受けられる。一方、6年半前、辺野古側にあったヘリ基地建設反対の看板はほとんど見れなかった。


写真25 大浦湾地区にあった看板

 辺野古から大浦湾の海域には貴重な生物種、ジュゴンが出没することから、WWFなどの自然保護団体は、軍用ヘリ基地そのものの建設に反対している。

 実際、大浦湾地域に来てみると、およそ軍用ヘリ基地と相容れない静かで自然環境が豊かな地域であることに驚かされる。


写真26 大浦湾地区にあった看板写真
 

写真27 大浦湾地区にあった看板


写真28 大浦湾地区にあった看板

 私たちは写真29にあるように、キャンプ・シュワブ対岸の大浦湾地域、数カ所で現況レベルの騒音を測定した。当然のこととして、この地域の騒音源は、海側では潮騒の音(47〜51デシベル)だけである。

 一方、もし、大浦湾の一部に軍用ヘリポートが建設され、ヘリが供用されるとなると、地域と飛行ルートにもよるが75〜85デシベルに及ぶ著しい騒音影響が出ることになるだろう。


写真29 大浦湾地区で騒音レベルを測定

 キャンプ・シュワブ関連で2時間ほど視察、調査した後、太平洋岸を走る県道329号線でキャンプ・ハンセン経由で嘉手納基地に向かった。

 途中、写真30にあるように、宜野座村で米海兵隊の水陸両用車を海から陸揚げする現場に出会った。何でも1台だけが陸揚げに失敗したとかで、国道からすぐのところに米軍兵士と装甲車らしき物がおり、聞きつけたマスコミ各社が取材に来ていた。この水陸両用車は陸揚げ後、キャンプ・シュワブに向かうという。


写真30 宜野座村で海から陸に米軍の
      水陸両用の装甲車に遭遇

 ところが、後でホテルに帰ってテレビを見て分かったのだが、海岸にいた米兵数名が国道沿いにいる県民に銃口を向けたとかで、地元の村長が抗議するなど、大騒ぎとなっていた。沖縄県では米兵によるこの種のことが結構しょっちゅう起こっているようだ。


写真31 宜野座村で海から陸に3名の海兵隊兵士


米兵、国道に銃口/宜野座松田区
沖縄タイムズ 2007年2月14日(水) 朝刊 27面
【宜野座】十三日午前七時ごろ、海上移動訓練をしていた在沖米海兵隊の水陸両用車十二台のうち一台が宜野座村松田の潟原海岸で故障、半日にわたって立ち往生した。

 その間、上陸した複数の米兵が民間地内でM16などの銃を構え、国道329号などに向けて射撃体勢をとっているのが確認された。住民から「茂みの中で米兵が銃を構えている」などの苦情が寄せられ、同役場は同日、現場で米軍に抗議するとともに、那覇防衛施設局に通報した。銃は空砲とみられる。

 水陸両用車が故障したのは、潟原海岸から国道329号を挟んで山手側のキャンプ・シュワブ演習場に入る「潟原進入路」と呼ばれる上陸地点近く。

 現場の米兵は「通常訓練の途中で機器のトラブルが起きた」と説明した。故障車は午後五時ごろ、ほかの水陸両用車にけん引されて回収された。

 故障車が立ち往生していた間、迷彩服姿の約四十人の米兵が上陸。一部の米兵は国道沿いの街路樹や茂みの陰に潜み、付近を警戒するように腹ばいになったまま銃口を民間地に向けて構えた。

 目撃者によると、進入路から百メートルほど離れたアパート近くまで入り込んだ米兵もいたという。

 村に通報した近所の男性(55)は「顔に色を塗った米兵が茂みに隠れて銃を構えているのでびっくりした。こんな所まで米兵がうろうろ入り込んで来るのは見たことがない」と驚いた様子だった。村漢那に住む別の男性(75)も「まるでわれわれを敵に見立てて上陸作戦の訓練をしているようだ」と怒りを込めた。

 村役場によると、民間地で銃を構えたり休憩をとっていた米兵は十数人いるという。

 銃口には空砲を使用しているときに見られる赤い特殊な装置などがあり、実弾は使用していないとみられるが、詳細は不明だ。


 その後、私たちは嘉手納基地に向かった。

 周知のように現地、米軍は世界規模での基地の再編を進めている。日本にも再編の波が押し寄せており東アジア太平洋地域の司令部を神奈川県座間に置くと言う計画もあり、地元自治体が反対を表明している。