大川小津波判決と 石巻市控訴決定を受けて 生かされなかった「津波てんでんこ」 Comment on Okawa school Tsunami law suite end Ishinomaki city's appeal 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 独立系メディア E-wave Tokyo October 31 2016 無断転載禁 |
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This Blog is the commnet of Independent Media E-wave Tokyo on Okawa elementary school Tsunami law suite ruling and Ishinomaki city's appleal. 私たちは3.11の後、3回石巻市の被災状況を視察し、大川小学校もつぶさに見ていたことも有り、この度の子供を亡くされた親御さん達の裁判のゆくえをずっと注目してきました。 ◆NHKスペシャル、シリーズ 東日本大震災 悲劇をくり返さないために 〜大川小学校・遺族たちの3年8か月〜2014年11月28日 http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20141128 を見て、私たちが現地調査で撮影してきた写真を交えて所感を纏めています。 ◆青山貞一・池田こみち:74の小さな命が津波に消えた大川小 イジメ対応と同じ構図の教育委員会 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-Nspe...html 石巻市立大川小学校の校庭につくられた臨時の慰霊碑の前の池田こみち 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2011年11月21日 石巻市立大川小学校の校庭につくられた臨時の慰霊碑 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S88 2011年11月21日 その後、74名の犠牲者の内、23名のご家族が裁判へと進まれ、漸く仙台地裁の判決が、2016年10月26日に言い渡されました。 賠償額は減額はされたものの、原告側の「勝訴」となり、改めてこれまでのご家族の闘いを振り返り、涙が溢れる思いでした。未来在る子供達の命は、決してお金は償えませんが、裁判所が学校側の非を認めたことは大きな一歩でした。 しかし、ご両親が子供達の霊前に「勝訴」の報告をしてわずか4日後の10月30日、石巻市議会が控訴承認の議案を可決したというニュースを聞き、言葉を失いました。 原告のご家族は、亡くなった子供達の命を無駄にしないため、何故このような悲惨な結末となったのか、しっかり検証し二度と学校という子供達が学び遊ぶ場でこうした悲劇が起こらないようにという願いで訴訟に踏み切られたのです。 最初からその日にあったことを正直に明らかにして学校側が自ら問題点を明らかにしていく姿勢を見せれば裁判という場での争いは防げたかも知れません。しかし、証拠を隠蔽したり、廃棄したりするような学校や教育委員会の保身体質が裁判の過程でも明らかとなり、判決の4日後に議会が控訴を承認するような市役所・議会の体質が露呈しては、勝訴しても子供達のご両親やご家族の心は晴れないばかりか、さらに暗い闇に突き落とされたのではないかと心配になります。 震災当日、霙が降るような冷たい寒い日、津波警報が響く校庭に40分以上も並ばされ、「裏山に逃げよう」と言う教師や子供の声が聞き入れられず、最終的に指示に従っていた子供達が犠牲になったのです。 大川小学校の校舎、校庭、裏山の位置関係 撮影:青山貞一 JVC GZ250B 8 2011年11月21日 青山貞一の背後は大川小学校の裏山。 撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10 2011.11.21 東北では、地震・津波がきたら「てんでんこ」といって、「親兄弟や友達に相談したり、言われたりしなくても、とりあえず自分だけ一人でも高台に逃げること」が教え込まれているのです。でもその時、校庭に整列され去れ、「裏山へ逃げよう」と勇気を出して声を上げたのにその声は受け入れられなかったのです。
現場に行けば、足を怪我しようが着ている洋服が汚れようと、子供達は元気に走って裏山に登っただろうことが容易に想像できます。今なお大勢の関係者、訪問者が犠牲になった子供達を供養するためにたてたお地蔵様や石碑に手を合わせずには居られない、震災遺構となっています。 皮肉にも、石巻市や宮城県庁が控訴することで引き続きこの事件は注目され続けることになりますが、本来、大川小学校が注目されるべきは、多くの犠牲を出してしまったけれど、子供達が命を捧げて仕舞ったけれど、そのことによって石巻だけでなく全国の学校で震災や津波の時にどうすべきかという大きな教訓が残り、全国の学校に連綿と其の教訓が受け継がれることでこそ注目されるべきなのではないかと思います。 自分たちの命を守るためには、誰かの指示や命令を待つのではなく、それぞれが自分で判断し自分一人でも行動できる決断力と行動力を身につけていくことが問われています。先生達も同じです。 私達のいうところの主体的市民となることが問われているのです。市民というのは、もともと主体的であるはずですが、こと日本では残念ながら子供も大人も到底、主体的市民とは言い難い実態があります。 行政や議会は、胸に手を当ててこの裁判の本質をよく考え、控訴ということが何を意味しているのか、自らに問うて欲しいと思います。 ..... 翻って、世界の大学などでにより行われて「幸福度」(Happiness Index)調査と世界ランキングにおいて、日本が40位から80位と信じられないほど低位にあります。 その理由、原因は多数あります。下はミシガン大学、OECD、国連による「幸福度」調査の指標です。このうち、ミシガン大学のE個人の自由、F個人の価値観、国連のA社会支援、C人生の選択の自由度、D社会の寛大さなどは、世界各国に比べ日本は大きく劣っていると思えます。とりわけ組織の中の個人、組織の中での個人の自由に至っては、最悪です。 出典:青山貞一 政策学校一新塾講義スライド もし、今回の事が米国で起きていたら、子供たちは教室から出た後、すぐに裏山に一目散に逃げたはずです。教育委員会もさることながら、現場にいた教員らがあれこれ考え、迷っていたとしても、子供の誰からが「裏山に登ろう」と言って、多くの子供たちが登る姿がイメージできます。 これは教育現場だけでなく企業組織でも同じです。東大を卒業し、電通に入社した母子家庭の高橋まつりさんが、わずか入社後半年ちょっとで多くの残業を強いられ、自殺しました。高橋さんは自分のブログに毎日自分の思いを書き続けたそうですが、会社内ではすこしでも意見をいうと上司からハラスメントを受け続けたそうです。これも、欧米、たとえばEU諸国ではありえないことだと思います。 今回の大川小学校の津波被害の問題は、その意味で、日本人を不幸にしている組織の中での個人の自由、個人の価値観のなさ、勇気ある個人の主張や訴訟に至った父兄、父母への社会支援の少なさ、社会の寛大のなさなど、総じて人生の選択の自由度がないことが遠因であり、原因であると思えます。 私たち日本人は、大川小学校津波被害から多くの教訓を学ぶべきですが、上記の「組織内での個人の自由」、訴訟にでた府警、父母らへの「社会の寛大さ」そして「社会支援」のあり方についての悲痛な訴えについて、大いに考える必要があると思います。 |