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山形美智子 平和の地こそ 花が咲く

山の手空襲70年、体験談

東京新聞

掲載日:2015年5月23日夕刊
独立系メディア E-wave Tokyo

 
 池田こみちさんのおばさんで私のフェイスブックの友達、今日も六本木のサントリーホールに、3人で一緒にチャリティーコンサートに行かれました山形美智子さんの東京空襲インタビュー記事(東京新聞)が掲載されました!

 ご承知のように山形美智子さんは御年85歳、タブレット、パソコンを使いこなし、ディーリングまで堪能なスーパーウーマンです。

 山形さんは戦前、東京都港区青山にお住まいで大空襲にあったときの経験はすでに著作にもなり、戦争体験朗読会でも紹介されていますが、今回、東京新聞の若い記者がインタビューに来られ、記事になりました。

 ぜひ、ご覧下さい!!

 ※環境行政改革フォーラム会員



出典:東京新聞 2015年5月23日夕刊   ご本人の掲載承諾得ています

 下は85歳となられた今年(2015年4月)、池田こみちさんとマレーシアのコタキナバルに行かれた際に、シティーモスクで撮影した写真です。左が山形さん、右が池田さんです。


写真1-a 衣類を整えてモスクを背景に記念撮影 着替える前と後 2枚
撮影:ガイド Nikon Coolpix S6400


 以下は、山形さんの戦争体験が「戦争を伝える朗読会」に参加された池田こみちさんの参加記です。記事の中に朗読内容が音声クリップとしてあります。


戦争を伝える朗読会
参加記


池田こみち(環境総合研究所)

掲載月日:2013年10月27日




 以下は2008年4月26日の毎日新聞地方版に掲載された山形美智子さんの空襲体験記です。

山の手大空襲:「表参道が燃えた日」

37人の体験集め出版 /東京


◇過去の惨禍、若者に伝え−−港区と渋谷区の小学校などに寄贈
毎日新聞 2008年4月26日 地方版

 1945年5月25日、米軍の爆撃機B29の編隊が都心部を焼いた山の手大空襲。25日深夜から26日未明にかけて3300トンもの焼夷(しょうい)弾が降り注ぎ、3600人余りが亡くなった。63年を経た今年、港区と渋谷区の表参道周辺で被災した住民37人の記憶をまとめた本「表参道が燃えた日」が完成した。

 編集した長崎美代子さん(77)らは「ファッションの街で過去にあった惨禍(さんか)を多くの若者に知ってほしい」と願っている。

 昨年1月、表参道交差点(港区北青山3)の歩道に空襲犠牲者の慰霊碑が建った。建立に向けて地域住民が区への署名を集めた際、一緒に寄せられた手記を残そうと動き出したのが出版のきっかけ。長崎さんら6人の編集委員は同級生らにも声をかけ、体験記を集めた。中には家族全員を空襲で失い「どうしても書けない」と涙ながらに断った人もいたという。

 「私の五月二十五日」の題で書いた泉宏さん(78)は当時、15歳。必死に火の手を避けて倉庫に走り込んで助かったが、父親を失った。空襲後、交差点に面した銀行前ではビル2階の高さまで焼死体が山積みになっていたという。

 「イラクやアフガニスタンでの空爆のニュースを見ると、あの下で何人亡くなっているのだろうといつも思う」と話す。どの体験記からも、人の命を簡単に奪う戦争のむごさが伝わってくる。

 若い世代の理解を助けるため、戦争に至った経緯や用語解説、略年表も盛り込み、イラストも添えた。両区の図書館や地元の小学校には既に寄贈した。

 B6判193ページ。700円。購入や問い合わせは同書編集委員会
  (アグネ技術センター内、03・3409・0371)まで。

【真野森作】〔都内版〕