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全生園・国立ハンセン病資料館

 現地視察記
(2)

青山貞一・池田こみち・山形美智子

掲載日:2015年3月26日
独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁



ハンセン病の原因について

 
以下は主にWikipediaを出典としています。

らい菌について
 らい菌は、ヒト以外では3種のサル(チンパンジー、カニクイザル、スーティーマンガベイ)とココノオビアルマジロで自然感染例が知られています。アルマジロは正常体温が30 - 35度と低体温であり、らい菌に対し極めて高い感受性があるとされています。

 1971年にココノオビアルマジロに、らい菌に対する感受性が明らかとなり、ハンセン病の研究に用いられてきたが、1976年に、突然変異により胸腺を欠き、免疫機能不全に陥っているヌードマウスに感染・発症することが明らかになり、現在は主に当該マウスで行われるようになった

感染源
 感染源は、菌を大量に排出するハンセン病患者(特に多菌型、LL型)と考えられています。ただし、ハンセン病治療薬の1つであるリファンピシンで治療されている患者は感染源にはなりません。昆虫、特に蝿にらい菌が感染して、ヒトへのベクター感染するルートもあるため、昆虫も感染源になるという報告があります。ゴキブリによる結核菌の移動実験により証明されたという報告もありますが、否定的な意見も多いようです。

 その他、ルイジアナ、アーカンソー、ミシシッピ、テキサスの低地のココノオビアルマジロかららい菌が検出されており、アルマジロから人間に感染するルートの検討や、自然界、特に川などにらい菌が存在し経鼻感染にて感染するルートの検討もあります。

感染経路
 感染は、未治療のらい菌保有者(特に菌を大量に排出する多菌型、LL型患者)の鼻汁や組織浸出液が感染源となるというルートが主流となっています。ヌードマウスに菌のスプレーを与えた動物実験により確認されています。別名、飛沫感染 (droplet infection) ともいいます。

 また、経鼻・経気道感染とは別に接触感染のルートも存在します。傷のある皮膚(英: abraded skin)経由説と呼ばれ、刺青部や外傷部に癩の病巣ができる例より証明されています。1884年にアーニング(Eduard Arning、細菌学者ナイセル (Albert Neisser) の弟子)が、ハワイ王国でキアヌ (Keanu) という死刑囚に癩腫を右前腕に移植するという人体実験の成功でも証明されています。その他、前述した昆虫からのベクター感染のルートの検討もあるが、否定的な意見も多く証明されていない。

伝染力
 菌を大量に排出するハンセン病患者(特にLL型)と接触したからといって、高頻度に感染が成立するわけではありません。濃密な感染環境下に置かれたりするなどの特殊な条件が必要であり、伝染力は非常に低いと言えます。

 らい菌と接触する人の95%は自然免疫で感染・発症を防御できることが要因である。感染時期は小児が多く、大人から大人への感染発病は極めてまれと言えます。

 患者から医療関係者への伝染に関しては、「医療関係者に伝染発病した事実はない」と一般的に言われています。ただし、流行地で幼児期を過ごした人であれば発病する可能性が0でないこと、実際に患者に接触して感染した医師や神父(例としてダミアン神父)もいることを考慮する必要があります。

潜伏期間
 感染してから発症するまでの潜伏期間は長く、3から5年とされています。ただし、10年から数十年に及ぶ例もあります。

らい菌を発見したアルマウェル・ハンセン
 1869年、ノルウェーのアルマウェル・ハンセンはハンセン病患者の癩結節の中に大きな塊状のものがあることを顕微鏡で発見し、1873年2月28日に細菌によく似た小さな桿状の物体を発見しました。

 1873年オスロで「眼の癩性疾患」と題した発表の中でハンセンが癩菌をスケッチした図を残しています。ただし当時は染色法もなく、らい菌の形態を正確に描いたものではなかったとされています。

 その後、1874年にオスロのクリスチャニア医学会で「癩の発生原因について」と題した講演とノルウェーの医学雑誌上での発表を行っています。1875年には英国の医学雑誌へ再掲載し、英文で初めて発表を行っています。

 1879年、ドイツの細菌学者であるアルベルト・ナイサーは、ハンセンから標本を分与されたらい菌の染色に成功し、らい菌の正確な形態を明らかにした。追随してハンセンも1880年に発表を行っています。

 ちなみに、らい菌を最初にスケッチしたハンセンと、最初に染色に成功してらい菌の形態を明らかにしたナイサーは、「らい菌の発見者」であると共に主張し論争が起こるなすた。その後、ハンセンがらい菌を1873年に発見したということで決着しています。

疫学
 ハンセン病は、人獣共通感染症でも知られますが、自然動物ではヒト、霊長類(マンガベイモンキー)とココノオビアルマジロ以外に感染する動物は見つかっていません。


◆国立ハンセン病資料館


国立ハンセン病資料館の入り口
撮影:青山貞一・Nikon Coolpix 8  2015-3-24


国立ハンセン病資料館の入り口
出典:配布パンフレットより

 上記については、全生園の隣にある国立ハンセン病資料館に資料、写真、関連する文物の展示が行われています。この国立ハンセン病資料館への入館は無料ですが、全館内写真撮影が禁止されているため、その概要をここに示すことはできません。ただし、入館時に詳細なパンフレットをいただけます。

 国はさんざん患者のプライバシーを侵害し、人権を侵害しておきながら、顔、名前などのプライバシーに配慮した資料館を全館写真禁としている意味が理解できません。

 ※ 国立ハンセン病資料館    ごあいさつとあらまし

 この時期、資料館では、以下の企画展示をしていました。



この人たちに光を 企画展示のポスター
出典:国立ハンセン病資料館でいただいた資料

企画展示概要

 趙 根在 チョウ・グンジェ(日本名・村井金一むらいかねいち)は1933(昭和8)年、愛知県で生まれました。生家は貧しく15歳で中学校を退学、家計を支えるため岐阜県内の亜炭鉱山に働きに出ました。

 以後数年間、事故と隣り合わせの危険な炭鉱労働に従事しましたが、やがて「地底の暗闇」で迎える死の予感に耐えられなくなり、「地上へ、光への脱出願望」をつのらせていきました。この時の辛く苦しい体験が、後にハンセン病療養所の入所者に対する深い共感へつながってゆきます。

 1957(昭和32)年に上京し、映画プロダクションに所属して照明の仕事をしていた1961(昭和36)年、初めて国立療養所多磨全生園を訪れました。そこで在日朝鮮人入所者に出会い、「ここの人はかつて私が地底で体験したような出口のない闇のなかに閉じ込められているのだ」と強い衝撃を受けます。

 そして、その闇から脱け出したいという入所者の切なる願いを、社会に伝えることこそ自分の使命だと確信し、これがきっかけとなって初めてカメラを手にしました。入所者と療養所を写すためだけのカメラマンの誕生でした。以後20年以上にわたって全国の療養所10ヶ所に通い、入所者と寝食を共にしながら撮り続けた写真は2万点にも及びました。

 趙根在の写真は、体の不自由な夫にヤカンで水を飲ませる妻の姿や、感覚のない指の代わりに舌と唇で点字を読む視覚障碍者、亡くなった入所者の葬送、患者運動など、そこに生きる人々とその生き様を鮮明に写し取っています。

 それらは入所者との強い信頼関係がなければ撮影できなかった場面の数々です。さらに火葬場、監禁室などを写し、それらが存在していた当時の療養所の特異性を伝えています。本展覧会では、これらの写真の中から81点をご紹介します。

 趙根在が写真を媒介にして、どうしても社会に伝えなければならないと考えた入所者の姿を、ぜひこの機会に皆さんも心に刻んで下さい。

出典:企画展示

 以下は入館時にいただいた資料からです。


出典:国立ハンセン病資料館でいただいた資料


出典:国立ハンセン病資料館でいただいた資料

 なお、国立ハンセン病資料館の設置目的、理念は以下の通りです。

目的
 「ハンセン病問題の早期かつ全面的解決に向けての内閣総理大臣談話」、「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」前文および第1条(趣旨)、第11条(名誉の回復等)、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」第18条(名誉の回復及び死没者の追悼)に基づき、国が実施する普及啓発活動の一環として、ハンセン病及びハンセン病対策の歴史に関する知識の普及啓発による偏見・差別の解消及び患者・元患者の名誉回復を図る。

理念
ハンセン病資料館は、ハンセン病に関する知識の普及や理解の促進に努めます。
ハンセン病資料館は、ハンセン病にまつわる偏見や差別、排除の解消に努めます。
ハンセン病資料館は、ハンセン病に対する、古代以来の長年にわたる偏見・差別、とりわけ誤った隔離政策の歴史に学び、苦難や被害を被った人々の体験と、これらに立ち向かった姿を示します。
ハンセン病資料館は、ハンセン病にまつわる苦難や被害を被った人々の名誉回復を目指し、人権尊重の精神を養うことに努めます。
ハンセン病資料館は、ハンセン病にまつわる苦難や被害を被った人々と社会との共生の実現に努めます。

 以下は館内の常設展示の案内です。

はじめに
 常設展示は、1階 「国立ハンセン病資料館のあゆみ」・導入展示、2階 展示室1「歴史展示」・展示室2「癩療養所」・展示室3「生き抜いた証」の順番になっています。

国立ハンセン病資料館のあゆみ
高松宮記念ハンセン病資料館の設立準備から開館後の活動に関する資料、および国立ハンセン病資料館のリニューアルを経て現在までの活動に関する資料を展示しています。
 1、設立準備
 2、高松宮記念ハンセン病資料館
 3、らい予防法廃止
 4、資料館拡充の契機
 5、国立ハンセン病資料館

導入展示  
導入展示では隔絶された療養所を象徴する資料を展示しています。
 1、映写機
 2、消防団団服
 3、ホース車
 4、コンクリート壁
 5、ヒイラギの垣根
 6、瀬溝

展示室1  
日本のハンセン病をめぐる歴史を政策を中心に概観できます。
 1、古代から近世まで
 2、患者収容のはじまり
 3、隔離の強化
 4、化学療法と患者運動
 5、らい予防法廃止と国家賠償請求訴訟

展示室2
治療薬ができる前の時代を中心に、療養所の中の患者がいかに過酷な状況下で生活していたのかを9つの側面から展示しています。
 1、癩の「宣告」と収容
 2、療養所の衣食住
 3、癩の治療
 4、患者作業
 5、療養所内の秩序維持
 6、結婚、断種、中絶
 7、療養所の中の学校
 8、社会の偏見
 9、療養所の中の死

展示室3  
過酷な状況にあってなお、生きる意味を求め、また生き抜いてきた患者・回復者の姿を展示しています。またご来館いただいた皆様が患者・回復者と共に生きていくために知っておいていただきたいことについても展示しています。
 1、不治から可治へ
 2、生きがいづくり
 3、医療の進歩
 4、日本のハンセン病療養所の今
 5、いま海外のハンセン病は
 6、共存・共生を目指して