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大宇宙と小宇宙 地球と南山
ポール・コールマン(訳 菊池木乃実)

12 September 2009
独立系メディア「今日のコラム」
無断転載禁

みなさま

 以下は、この間の経緯です。横田一

<経過>

5月2日、ポールコールマン氏国連平和大使)が南山で植樹イベント
    (約120名参加)。
    その時、石原知事に手紙を書き、開発見直しをしない場合には
    IOCにも”直訴”することを予告。

5月17日、高畑監督を招いた映画上映イベントを稲城市で開催。
5月22日、フライデー6月6日号に「ジブリ高畑勲監督が多摩丘陵最大級
     の里山「破壊」を痛烈批判! 
     映画『平成狸合戦ぽんぽこ』の舞台“消滅”
     の愚行」(横田一)が掲載される。この中で、ポールコールマン氏
     のことを紹介。

5月27日、ポールコールマン氏が石原知事に出した手紙を入手。

5月29日、定例記者会見で手紙について質問。

6月6日、都内でポールコールマン氏を囲んで、作戦会議。
      参加者は横田と稲城市民有志。ここでポール氏が29日の
      定例記者会見に英語の字幕をつけたミニ番組をパソコン上
      で紹介。6月中旬の石原知事のスイスでのプレゼンに合わせ
      て、この動画やフライデーの記事や稲城市民の訴えを持
      っていくといいとの提案が出る。
     (以下はポール氏の「大宇宙と小宇宙」に詳細な経過があります)


ポール・コールマン氏


木を植えるポール・コールマン氏


第一章 東京のサバイバルと自殺

 南山は、東京郊外の稲城市にある。ここは、住宅開発のために森が伐採され始めるまでは、市外の人にはほとんど知られていない場所だった。

 東京都は、地球上最大のコンクリートジャングルであり、世界で最も人口密度が高い。そのコンクリートジャングルの西方に広がる山が、緑多き里山「南山」である。

 東京では、3600万人が開発によるショック状態で生きている。多くの人が一日中働きづめで、朝はイワシのごとくぎゅうぎゅう詰めになった地下鉄で通勤し、急ぎ足で職場に到着するやいなや、人工的な東京の街で一日を過ごす。

 毎日、ある人間が「こんな人生はもうたくさんだ」と決心するたびに、しばらく電車が止まり、身体がまるでスクラップのように線路内から運び出されるまで、乗客は不便を強いられ、現代日本の自殺率(一日に平均100人が自殺している)に拍車をかける。

 東京には緑の空間があまりない。道路に街路樹があまりなく、高速道路は川の横ではなく川の上を走っている。大きな公園はあっても、マニキュアされたように人工的で、混雑していて、都会の騒音から離れることができない。

 鳥のさえずりはほとんど聞こえないし、小鳥をめったに見ることもない。夏になると、太陽からの熱と舗装道路からの反射熱で東京は焼け焦げる。コンクリートでできた人工世界でサバイバルしようともがき苦しむうちに絶望に陥り、精神状態がおかしくなって、逃げ場を求めて自殺に追い込まれる人が多いのも不思議ではない。

 グリーン(緑)はクリーン(きれい)なだけではなく、ヘルシー(健康にいい)ことは最近よく知られるようになった。元ソニーのエクゼクティブである私の知人は日本の保険会社との共同事業で、ストレスを解消する場としての森林の役割を広めようとしている。当面の目標は、トイレや非常口などに見られるような、誰でも簡単に理解できるサインをつくり、森の中に設置することである。

 サインを見れば簡単に、この森はリラックスできるとか、平穏を見つけられる、思索にふけることができるなど、人々が目的別に森を選べるようになり、都会生活のストレスを和らげることができる。保険会社がこの革命的なコンセプトに関わっているのは、過剰なストレスや鬱などから病気になる人々が多く、そのために保険会社が支払う医療費もかさんでいるからで、「森は人々を癒し、予防医学の一つとして非常に効果がある。

 したがって、保険会社は支払う保険金を節約することができ、ソニーなどの大企業は、森によって社員が癒されれば、社員はさらに健康になり、仕事に集中できるようになる」との信念からである。

 そんななかで、一体全体、なぜ、稲城市は、東京都の後押しを受けて、東京最後の自然そのままの緑の空間を破壊しようとしているのだろう?

 なぜ、市と都の両方あわせて何十億円という税金をこの事業に投入しようとしているのだろう?南山の87ヘクタールの森を伐採することで、誰が利益を得るのだろう?

 いつものように、すべてはお金に集約される。そして、大金がかかわると、人間の本性は悪いほうへと傾くことがままある。南山の問題は、昭和40年代に市街化区域に変わったために、税金が高くなったことに始まる。それにより地主は膨大な負債を背負うことになったのである。

 南山の一部を所有し、そこでナメコを作っている内田氏は、いまでは国に対して何億もの負債を負っているという。にもかかわらず、彼は率先して南山を守るために行動している。しかし、南山を保全したいと考えているのは、内田氏を含めて20名ほどである。

 あとの240名ほどの地主は土地を売りたいと考えていて、開発の費用を開発業者と政府と共に負担することに合意した。

(訳者注・参照)組織を作り宅地を売って利益を得たいというのが彼らの希望である。しかし、その望みが叶えられるかどうかは定かではない。日本の人口は減少しており、稲城市の周囲に作られたマンションや住宅は売れ残っているのだ。

訳者注1: 発起人(今回の開発は大地主と開発区域内土地所有の企業)が地権者(263名)の同意を得て発足する区画整理事業といい、その組織を組合という。よって組合が事業主体。組合の理事は農家の方ばかりで、よって開発業者と協定を結び、開発を手伝ってもらっている。

 事業の設計はコンサルタント、工事は建設会社、造成してできた土地の販売はハウスメーカーである。銀行から借りて進める事業で、森を削って出来た土地が最初のもくろみどうりの値段で売れて始めて成り立つ事業なので、当初の値段で売れなければ、地主が足りない分は負担しないといけなくなる。

 何世代にもわたって、地主たちは責任を持って、持続可能な形で南山を守ってきた。しかし、土地にかかる税金が急激に上がったために、彼らは土地を売ることを強いられることとなった。これに加えて相続税の問題がある。相続税があまりにも高いので子供たちに何がしかでもお金が残るように、両親は亡くなる前に土地を売ることを強いられている。 (訳者注2: 日本は最大税率50%。)

 南山を所有している地主の多くは息子・娘世代でなく、父親、祖父世代の人々である。何年も前に森から収入を得ることができなくなったために土地はそのままになっていて、課税され続けている。本来なら非常に貴重で価値のある土地を相続するはずの息子・娘世代は、住宅地として土地を売らない限りは借金を背負うという絶望的な状態になる。

 相続税と市街化区域税という高い税金は南山のジレンマを作り出すことになった。それが、「小宇宙」での話である。

 では、日本と世界のほかの国々にとってこのことがどんな意味を持つのかというのが、「大宇宙」の話である。

 僕が子供の頃、イギリスでは税金が馬鹿らしいほど高かった。なんとビートルズは収入の98%を税金で持っていかれたほどだ!相続税も、ものすごく高かったので、僕が個人的に知っている地主は、高い相続税を払って破産するか、先祖代々守ってきた城を取り壊して、もっと低い相続税の枠に入るようにするかの選択を強いられた。

 彼は土地を守ったが、世界は古代の城を失うこととなった。イギリスでは相続税は1894年に導入され、それによって多くの広大な土地が小さく分割されることとなり、多くの城が取り壊された。結局、イギリスでは高い相続税は廃止され、物事はいい方へと変わったが、日本ではそうではないようだ。

 年老いた者が自分が死んだときに、あるいは死ぬ前に、子供たちが何がしかのお金を受け取ることができるようにと自分の土地を売らざるを得ないのだから。日本の人口は高齢化しており、ほとんどの息子、娘たちは農業を継ぎたがらない。山の中の村は昔と変わらず美しいが、若者や中年の姿を見ることはほとんどない。

 彼らはみな東京のような大都市で暮らしているのである。したがって、農業をする人々が年老いて亡くなっていくにつれて、土地は利用されずに放っておかれるか、大地や農文化との接点を持たない息子や娘にとっては、農地は全く無価値となる。相続税が始まる前は、土地は家族に受け継がれ、休暇のたびに子供たちが戻ってきたり、いずれは戻ってそこに住む者もいたりしたことだろう。それが今では相続税を払うために、売れる土地は売られてしまい、売れない土地は政府の所有物となる。

 政府は土地を取得し、開発業者や、往々にして開発業者と非常に強いつながりを持つ政治家が土地を得て、大金を得て、権力を得るということになる。人類が大地と再びつながる必要がある、まさにこのときに、人々は大地を奪われているのだ。だからこそ、南山の問題はグローバルな問題として重要なのだ。日本で起こっていることは、他でも起こっているだろう。

 森は世界中で伐採されている。何らかの形でそこには人間の欲がからんでいる。南山は、森が生い茂る小さな山かもしれないが、地球上最大の都市の真ん中にある。南山は、我々人類に、「絶望を選ぶのか、それとも希望を選ぶのか」と問いかけているのだ。もし、我々がこの最も小さな自然の宝を守ることができなければ、いったいどうやって、最も大きな宝(地球)を守れるというのだろう?


第二章 ストーカーと狸たち

 これまで長年、いわゆる「戦い」というものに関わるのは私のやり方ではなかった。地球に生きるすべての命を救うという仕事を、苦しみや戦いと関連付けて考えたことは一度もない。これまでずっとこのやり方は正しかったし、また、僕の使命はそういうやり方でなされなければならなかった。

 僕はこれまでインスピレーションとクリエーションによって多くの支援を得てきた。僕の考えはこうだ。

 もし、僕らが自分自身を戦いに巻き込まれていると考えれば、我々の人生そのものが戦いとなる。僕らが「戦っている」と言っている間は、僕らは戦いの中にいる。僕は自分の人生がいつもハッピーなものであってほしい。喜びを感じることで僕は自分のエネルギーを上げることができるし、よりたくさんのメッセージを伝えることができる。

 これはうまくいくし、ポジティブなエネルギーを使って起きた成功例もたくさん見ている。去年、僕は沖縄の活動家たちと一緒に「セレブレーション・アース(地球の祝祭)」を作った。

 「セレブレーション・アース」の動きは今世界中に広がっていて、この「セレブレーション・アース」の精神のおかげで、沖縄にある干潟を開発業者と政府の埋め立て事業から救うことができた。干潟を守るために活動してきた人たちと「珊瑚を守ろう」と歌いながら干潟で踊っただけで、それが新聞やテレビで取り上げられ、数日後には政府が開発計画を延期し、再開は未定というニュースが流れた。

 僕と木乃実とクリフ・スペンガー(ウォーキング・ツリーマン)が、ちーむポンポコから5月の始めに南山に招待され、それを快諾したのも「セレブレーション・アース」の精神からだった。南山には120人が集まり、歌を歌い、踊りを踊り、南山の美しさを祝った。

 その日はとても気持ちのいい日だった。南山は、美しい森の中に悲しみと破壊が描かれた絵画のようだった。集まった人々はみな、南山の美しさを祝うためにそこにいた。インスパイアされるためにそこにいた。そして、開発による破壊のエネルギーを森林保全のエネルギーに変えるためにそこにいた。人々は森の中で踊り、切り倒されたばかりの木々たちを見つめていた。

 ちーむポンポコは稲城市民によって南山を守るために作られた。他にも南山を守ろうと活動しているグループはいる。その中には声を上げて抗議をし、怒りと不満を表明している人々もいる。

 しかし、多くの市民は怒りに満ちた抗議行動には参加したがらなかったので、結果的には開発推進派に有利になってしまったようだ。南山の開発の周囲には怒りのエネルギーが多く存在するので、ネガティブなエネルギーに自分のエネルギーを吸い取られてしまわないように気をつけてとアドバイスをしてくれる人がいた。

 僕はアドバイスに従った。けれども、他の人たちが戦っているときに、その戦いの中に入らず、その上のところに自分自身のエネルギーを保っておくというのは、容易ではない。

 南山を守るためのミッションに加わってまもなく、僕と木乃実はストーカーをひきつけてしまった。僕がネットに何かを書くたびにその人は怒りのコメントを送ってくるようになった。最初、その人は南山を守ることに興味がありそうだった。最初のコメントは地主さんたちが苦しんでいる税金のことについて書かれてあったので、解決策を探しているのかと思ったのだ。彼のコメントの書き方はあまり好きではなかったけれど、でも「とにかく誰でも受け入れる」という僕のポリシーのもとに、さらにコメントを書いてくれるように促した。

 しかし、それをきっかけに、彼は繰り返し、怒りに満ちたコメントを送ってくるようになり、怒りはどんどんエスカレートして、かなり侮辱的なことを書いてくるようになった。そこで僕らはとうとうこの人とコンタクトを取るのを止めることにした。

 僕は半ば冗談で木乃実に言った。「このタイプの非論理的な行動と強い執着心を持つ人間はガンジーやジョン・レノンを暗殺した人物に見られる傾向なんだよね。

 今度、東京へ行ったときには、僕のそばに立たない方がいいよ。間違って撃たれるかもしれないから」幸いインターネットの世界では、好意的でないメッセージや奇妙な人物をブロックすることができるので、僕らはそうした。誰かが選んだ怒りや攻撃、痛み、絶望の道を進むことには何の意味もないし、ログアウトして、自分の楽しい道を歩き続けるほうがいい。

 僕らはそうしたし、これからもそうする。僕は、森と地球に生きるすべての命を守るために、それを破壊する人たちと同じ方法や感情を使うことはしない。僕らは、楽しくやるんだ!

 それが、ちーむポンポコのポリシーであり、楽しみながらやることが、南山保全を進めるために最も効果がありそうだ。ちーむポンポコは、友好的な方法で南山を守るために作られた。

 ちーむポンポコという名前はグループのスピリットを表し、1995年に作られたアニメ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」にちなんでつけられた。この映画は「千と千尋」や「ハウルの動く城」などで世界的な賞を取ったスタジオジブリの作品で、開発から自分たちの森を守ろうとする狸たちの話である。これは、1964年の東京オリンピックの頃に稲城市を含む広範囲の森が住宅開発のために破壊された実話に基づいている。

 日本の昔話では、狸は人間や他の者に化ける能力があるとされており、映画はそれに焦点を当てている。南山には今でも狸が住んでおり、森が伐採されれば、狸もいなくなるだろう。

 森を訪れた日の夜に、僕らは大きなスクリーンで「平成狸合戦ぽんぽこ」の映画を観た。映画は魅力的でパワフルで、僕らに大きな印象を残した。高畑勲監督は南山を訪れたときに歴史が繰り返されていることにショックを覚え、悲しみを表した。高畑監督の南山訪問はメディアに取り上げられ、全国に放送された。南山の開発問題は全国に知られるようになったものの、南山を救うには十分ではなかった。国際的な助けが必要だ。そこで、私が呼ばれることになった。

 東京の反対側では、南山とほぼ同じサイズの88ヘクタールの「海の森」が東京湾のゴミ埋立地に作られており、2016年のオリンピックを「緑のオリンピック」と謳って東京で開催するための目玉の一つになっていた。

 どうしたら南山を守れるかと聞かれたときに、僕は「もし市が聞く耳を持ってくれないのだったら、オリンピック招聘委員会にアピールしたらどうだろう。南山のことは知らないかもしれないし、長年かけて作られてきた里山を破壊するのは2016年のオリンピック招聘に悪影響を与えることになると伝えては?

 そして、もしオリンピック招聘委員会が聞いてくれないんだったら、国際オリンピック委員会にアピールしますと知らせたらどうだろう。」

 そこで、ちーむポンポコのメンバーがオリンピック招聘委員会に手紙を書いた。高畑監督を招待しての上映会とシンポジウムも開かれ、その様子が報道された。そして、フリージャーナリストの横田一氏が書いた記事が国内最大の週刊誌の一つ「フライデー」に掲載され、その記事には、僕が「国際オリンピック委員会に手紙を書く」と言ったと書かれていた。

 それで、僕はまずオリンピック招聘委員会に手紙を書くことにし、委員長がたまたま東京都知事だったので、都知事宛に手紙を書いた。すると、驚くべきことが起こったのだった!


第三章 東京都知事の怒りの言葉がポジティブなアクションを刺激した

 5月29日、東京都知事であり、オリンピック招聘委員会の委員長である石原氏が記者会見を行った。そこで、彼はオリンピックのブリーフィングのために国際オリンピック委員会があるスイスのローザンヌへ出張すると述べた。

 記者会見は和やかな雰囲気で始まったが、横田氏が立ち上がり、僕が書いた手紙の中で、東京オリンピック誘致のためにゴミ埋立地に作っている「海の森」と同じサイズの南山を破壊するのは、緑のオリンピックと矛盾するのではないか、と質問した瞬間に一変した。

 都知事は怒りを爆発させ、まったく理解不可能な態度を示した。

 そのとき、僕は数千キロ離れたところで、フード・アンドーツリー・フォー・アフリカの創始者、ジュネス・パークと木乃実とで日本全国の講演ツアーをしていた。それでも、都知事の記者会見のニュースは伝わってきて、それを観た人々は都知事が「南山は魔の山だ」「子供を食い殺す」などと発言し、僕の手紙のことを「ただの外人。そんなの関係ない」と言い、横田氏に「君はいったい何人(なにじん)か?」と言ったことにショックを受けていた。


横田一氏の質問に応える石原東京都知事

 記者会見のビデオを観て、僕は心底驚いた。こんな風に反応するとは、石原都知事はかなりひどいストレスに晒されているとしか思えなかった。しかし、どうしてそんなに怒り、非論理的になるのか?森林破壊を正当化するために、どうしてそんな奇妙な言い訳をするのか?

 公共の場で怒りを爆発させる理由がなんであれ、それは彼に有利には働かなかった。南山保全の人たちはかえってそれに刺激される形となった。都知事の記者会見を見た人たちはショックを受け、何かがかなり根本的におかしくなっているという印象を持った。

 以前はオリンピック招聘委員会にチャレンジすることを躊躇っていた人たちも、次のアクションを取るようになった。なかには、天皇陛下に手紙を書いた人もいた。他に天皇陛下に手紙を書いた人はいるのだろうか?少なくても僕が知っている限りでは彼一人だ!

 記者会見はさらに南山問題の深さを露呈することとなった。政府と地主と開発業者はがっちりとタッグを組んでいるらしい。東京がこれでオリンピックのチャンスを失っても人々は気にしていないようだった。

 でも、どうしてこんなことになったのだろう?都知事あての手紙の中で僕は、「南山を守れば、東京にとってはオリンピックを招聘できる有利な要素になります。逆に破壊すれば不利になりますよ」と説明した。

 東京が2016年のオリンピックを失うことは、まったく僕の意図したことではなかった。でも、記者会見の後、僕はこの小さな南山が国際的にとても重要な意味があるということに気づいたのだった。

 2007年の9月から2008年の8月まで、僕と木乃実は香港から北京を目指し、中国の「緑のオリンピック」をアピールするため、3000キロ以上を歩いて、植樹をした。しかし、オリンピック直前に厳戒な警戒態勢を理由にビザを短縮され、徒歩の旅はストップを強いられた。

 中国を歩いてみて、「緑のオリンピック」とは、緑のペンキで塗られた山であり、緑のペンキで染められた川のことであるということに気がついた。

 僕らは想像を絶する環境汚染を経験した。環境汚染の原因となるすべての工場が北京郊外に移され、北京の発電所は北京の空気をきれいにするためにすべて運転が停止された。その結果、北京の郊外にある発電所は北京の中心部に供給するためにさらに大量の電力を発電しなければならず、それが郊外の環境汚染を加速させることとなった。

 中国を出てから、僕らは中国の「緑のオリンピック」の実態を記録したビデオを人々に見せてショックを与え、そこからポジティブな行動を起こしてもらおうと活動を始めた。そして、どんなゲームも、どんなスポーツも、どんな産業も、地球上のすべての命を守ることにおいては、どれも神聖とはいえないという結論に達した。

 ほかのすべての事業もそうだが、オリンピックも持続可能な開発を実践すべきであり、一般大衆がチェックできるように透明に公開すべきである。僕らの地球が、というよりも、我々人類の命が危機に面しているのだ。オリンピックは持続可能な開発を発展するための最高の機会を提供するべきであり、「緑」をただ謳うのではなく、実際に、本当に「緑を実践する」ことが必要である。

 もし南山の破壊が原因で東京がオリンピックのチャンスを失うのであれば、それも仕方あるまい。東京にとっては、そんなにひどい打撃にはならないだろうし、むしろ地球にとっては勝利となる。他の国々も、グリーンを謳うだけでなく、実際にグリーンを実践することでこそオリンピックを勝ち取るチャンスがあるのだということを肝に銘じるだろう。

 記者会見から数日後、我々は、横田氏とちーむポンポコのメンバーや稲城市の市会議員の方とお会いして、さてこれからどうしようかということを話し合った。人権問題専門の弁護士さんは、石原都知事が怒りと共に「ただの外人。そんなの関係ない」と私の意見を無視するような発言をしたことを理由に、都知事を訴えることもできるとアドバイスしてくれたが、その道は選びたくなかった。

 僕らのゴールは、命を祝うことだし、法廷で争うことで、そこへたどりつくとはとても思えなかった。すると、思わぬ誘いが舞い込んだ。「石原都知事と同じタイミングでスイスのローザンヌへ行って、国際オリンピック委員会に我々からの手紙を届けてもらえませんか?資金はなんとか集めます」

 ローザンヌのブリーフィングまで1週間ほどしか時間がなかった。しかし、数日後電話があった。「資金が準備できました。行ってもらえますか?」

 それが、6月14日だった。都知事は、16日から18日までブリーフィングに参加する。時間があまりなく、スイス行きは格安航空券を探せるかどうかにかかっていた。しかし、宇宙が何かを起こしたいときには、パズルのピースがきちんとはまるようにすべてがうまくいく。そして、奇跡的にも僕らは大阪発ジュネーブ行きのチケットを10万円で手に入れ、2日後国際オリンピック委員会の本部があるスイスのローザンヌに到着したのだった。


ポール・コールマン氏


第四章 ダイレクト・アプローチには思いがけないメリットがある

 スイスの国際オリンピック委員会(IOC)に手紙を渡すのは容易ではなかった。僕らは飛行機を乗り継ぎ、24時間かけてやっとローザンヌに到着したというのに、観光案内所に行ってみると、ちょうど3つも4つも国際会議が重なって、町のホテルはすべて満室とのことだった。30分電車に乗り、 Yverdon-les-Bainsという次の町に行けばホテルが空いているはずだという。


撮影:ポール・コールマン氏

 そこで、電車に乗り、次の町へ行き、そこで何時間も歩き回って、値段の手ごろホテルを探した。しかし、スイスのホテルはどこもとても高いし、値段が手ごろなホテルはひどい状態というのはヨーロッパではよくある話だ。

 何キロも歩き回ってやっと空室があったところは、こんなにひどいホテルは見たこともないというほどひどく、一泊90スイスフラン(約8000円)で朝食なし、トイレもなし、水は出ないし、カーペットもシーツも世ぼれているという有様だったし、


撮影:ポール・コールマン氏

 もうひとつ空室があったところは、一泊240スイスフラン(約22000円)と、途方もなく高かった!それでも、このホテルはとても素晴らしいホテルだったので、ここに2泊することにして、その間、国際オリンピック委員会へどうやって手紙を届けるか、方法を考えることにした。

 国際オリンピック委員会のように大きな組織なのだから、本部のある建物に行けば、受付の人に用件を伝えて、誰かに会えるだろうと思っていたが、観光案内所に行って聞いてみると、そう簡単でもなさそうだった。「IOCの建物には観光客は入れませんよ。観光ならIOCの博物館へ行ってください」観光案内所の女の子はそう言った。


IOCへのポール・コールマン氏手紙

 「いや、我々は観光客ではないんです。委員会の人に会って手紙を渡すために来たんです」

 「それはできません。電話をしてみたらどうですか?これが電話番号です」

 僕はいつもダイレクト・アプローチがもっとも効果的な方法だと思っている。中国でもアフリカでもヨーロッパでも市役所に歩いて行って、市長さんに会いたいと言うと、すぐに会わせてもらえて、翌日には木を植え、メディアのインタビューを受け、次の町へ歩いて行って、同じアプローチを繰り返すということを数え切れないくらいやってきた。

 そのことを胸に、僕らは出かけた。とても天気がよく、湖のほとりを5キロ歩いて、森の中にひっそりと目立たないように建てられたIOCの本部にたどり着いた。IOCは必ずしも透明な組織とは言えないが、建物を隠したい場合はこれはいい方法だと思われるような場所に建っていた。建物は小さかった。全体が黒いガラスで覆われていたが、セキュリティーは厳しそうでもなかった。

 周りは広い芝生で、人々がピクニックをしており、セキュリティーカメラなどはなかった。2000年に作られたブロンズ像があり、土台を見るとここがIOCの本部であることは明らかだった。僕らは入り口へ向かって行った。

 その前に少し離れた場所で、小さなデジカメで短いビデオを撮影した。そして、僕らはガラスのドアとその横に取り付けてある数字のついた小さなパネルを見つめた。パネルは、マンションのオートロックのようにパスワードを入れてドアを開けるためのものだろうか。我々は入れるのだろうか?

 すると、とても高価そうな地味なスーツに身を包んだ男性が入り口へ向かって歩いて行った。彼がドアの前に立つと、魔法のようにドアが開いた。と同時に、建物から男性が出てきたのにも気がついた。

 偶然、建物から出てくる人がいたのでドアが開いて、彼は中へ入れたのだろうと推測した。もう少し、観察することにした。ああ!今度は男性が歩いて行って、パネルにパスワードを入れるようなこともせず、そのまま入り口に立つとドアが開いた。

 中から出てくる人もいない。よし。僕らは入り口に歩いて行った。ドアが開いて中に入ることができた。外から見たときに、まるでアートギャラリーのようだと思ったけれど、その印象は正しかった。

 がらんとした大きな真っ白なスペースに、あまり魅力的とは言いがたい氷山のような冷たい感じの受付嬢が座っていた。「こんにちは」僕は言った。「日本から手紙を届けに来たんですが。2016年オリンピック委員会のメンバーと会えますか?」

 「無理です。今日は全員ミーティング中です」断固とした口調で彼女が言った。

 「では、誰に手紙を渡したらいいのか名前を教えていただけますか?」

 「だめです。ここに電話してみてください」

 彼女がくれた電話は、観光案内所でもらった電話番号と同じだった。

 「担当者の名前だけでも教えてませんか?電話をしたときに一から説明する手間が省けますから」

 だめだった。それ以上は何も聞き出せなかった。
 
 翌日電話をすると、「全員ミーティング中です。2時に終わりますからそれ以降に電話をしてください」と言われた。

 その時点で、僕は木乃実が日本人としてどうして日本からわざわざスイスまで来たのかを説明したほうがいいだろうと思った。

 2時になって木乃実が電話をした。

 「2016年オリンピック委員会の方をお願いできますか?」

 「どんなご用件ですか?」

 「東京の都民からのメッセージを届けるためにわざわざ日本から飛行機で来ました。どうしても2016年オリンピック委員会に届けたいんです」

 「それじゃあ、メールアドレスをお教えしましょう」

 「いえ、あの封筒に入った手紙を届けたいんです」

 「ああ、ええと、住所は・・・」

 「いえ、そうじゃなくて、わざわざローザンヌまで手紙を渡すためだけに来たんですから、どうしてもオリンピック委員会の人に手渡ししたいんです。昨日、オフィスを訪ねたら、この電話番号に電話をすれば担当者と話せると言われました。担当者に手紙を手渡しすることはできませんか?」

 「もちろんできますよ。受付に渡してください」

 「どなた宛にしたらいいですか?」

 「2016年オリンピック委員会宛てで結構です」

 「個人の名前をいただけますか?」

 「ご心配なく、私たちが確実に担当者に渡しますから」

 「わかりました」

 もうそれ以上は先に進めそうもなかった。もちろん、僕らは少しがっかりした。IOCの秘密めいた建物の内部まで入っていくのは簡単なことではないとわかってたけれど、もしかしたらという希望もあったのだ。それでも、少なくとも手渡しできるということがわかってほっとした。

 僕らは日本を発つ日にメールで受け取った高畑監督の手紙とそのほかの手紙を封筒に入れ、なぜ、このような手紙を手渡しするのかという理由を手書きで書いた手紙も同封した。それを渡すため、木乃実がIOCの本部まで再び出かけた。その日、IOC本部の前では、前日よりいろんな動きがあったそうだ。

 ブリーフィングが終了した後だったからなのか、本部の前庭には、前日にはいなかった警備員がおり、リムジンが出入りし、日本人と思われるジャーナリストのような男性がいたという。

 警備員がいたので、木乃実は少し離れてビデオを撮った。それから、建物の中に入って受付へ行った。

 その日は、前日とは違う受付嬢が二人いた。

 「こんにちは。2016年の東京オリンピックの招聘に関する手紙を手渡すため、日本からわざわざ飛行機で飛んできました。これを担当者の方に渡していただけますか?」

 「かしこまりました」

 受付の女性は封筒を受け取ると、バシッと音を立てて大きな受領印を押した。

 木乃実は達成感を感じてIOCを後にした。手紙は必ず読まれるだろう。僕らはその日、ローザンヌを後にして、少し休暇を取るために国境を越えてフランスへ行き、アナシーという美しい中世の町に滞在した。アナシーには湖があり、湖面は太陽の光を浴びてエメラルドとターコイズブルーに輝いていた。


チューリッヒにて 

 僕らはフェリーに乗って湖を回り、僕らの旅の目的のことを思い返した。来た甲斐はあったのだろうか?

 IOCにみんなの思いを伝えれば、それがなんとかして南山を守ることにつながるだろうという望みを胸に、日本からはるばるやって来たことが?・・・・・もちろん!価値はあった!

 もし、Eメールで送ったら、誰かが必ず読んでくれるという確信は持てなかっただろう。手紙を郵送すれば、Eメールよりはいいかもしれないが、海を何万キロも越えてはるばるとやってきた人物によって手渡しされ、受付で受領印を押された手紙には、Eメールや郵送にない価値があるし、緊急性が感じられる。

 最近、南山について多くの報道がなされた。僕らはIOCに手紙を手渡しした翌日、2つの全国ネットで放送された番組のビデオのリンクと石原都知事の記者会見を英訳したビデオのリンクをメールした。

 番組では司会者が、「市街化区域を元に戻したり、地主に税金を還付するなどして南山を守ることができるのではないか」と言っていたし、怒った住民が業者と衝突する場面なども映っていた。これを見たらIOCも東京がオリンピック開催地に本当にふさわしいかどうか、ちょっと立ち止まって考えるだろう。

 オリンピックは政治や文化などで分断された世界の国々が一同に会し、お互いの友情と団結を深めるために行われるはずだ。

 それなのに、記者会見で見られるように、外国人や同意しない人間に対する石原都知事の対応は、歓迎や友好とは程遠い。できることなら、壁に止まるハエになって、IOCの人たちが僕らがリンクを送ったビデオを見ているところをそっと観察してみたいものだと思う。

 手紙を手渡ししに行っただけで、話は終わりではない。

 僕らが、南山を守りたいという多くの人々からの手紙をIOCに手渡しに行ったという行動に対して、世界中から素晴らしいコメントをもらった。ブログやコミュニティーに今までにないくらいたくさんのメッセージが届いた。

 都知事の極端に配慮のない態度に失望し、稲城市長や開発派の地主や市会議員や開発業者などに対して、希望を失いかけていた人々から、勇気付けられたというメッセージが寄せられ、彼らが南山のことを知らなかった人たちにも、僕らの旅の話を広めてくれた。

 活動はポジティブなエネルギーと共に大きくなり、どんどん広がっている。海外にいる人たち人も支援し始めている。まもなく、南山のホームページを作る予定だ。問題を解決するための答えは、必ずもたらされるだろう。ある市では市が債権を市民に買ってもらい、それで森を買い上げて里山を守ったそうだ。そういうやり方もあるだろうし、税制を変えるやり方もあるだろう。

 南山の物語は語られ始めた。里山は人々に共有され、森を救う活動は怒りと抗議の道を後にした。

 新しい道が作られたのだ。

(作者注)小宇宙と大宇宙とは、最大規模(大宇宙、宇宙レベル)から最小規模(原子レベル、非物資レベル)に至るまでの宇宙のあらゆるレベルで、同じパターンが再生されるという古代ギリシャの思想。Wikipediaより