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カイバル峠の世界史的意味

〜米アフガン増兵に関連し〜

青山貞一 Teiichi Aoyama 27 Feb. 2009

独立系メディア「今日のコラム」

無断転載禁


 オバマ大統領がイラクに駐留する米軍をアフガンに移すことに関連し、その道の専門家から疑義が出されている。そのさえたる課題が、イラクとアフガンの地形の違いである。

 かのビンラディンが潜伏したというパキスタンとアフガニスタン(..タンは国を意味する)国境沿いではカイバル峠(Khyber Pass)以外、4000〜5000m級の山岳地帯となっており、おいそれと行き来が出来ない。その結果、物資輸送や人の行き来は、古来から、ほんんど唯一カイバル峠を通るしかなかった。


カイバル峠のパキスタン側
Source:Up the Khyber Pass - Pakistan

 このカイバル峠付近一体は、今はアフガニスタンとパキスタンに分かれているが、もともとパシュトゥーン人が多く住む地域で、古来より文明の交差点として重要な役割を果たしてきた。

 それは南アジア世界と中央ユーラシア世界を結ぶ交通の要衝であった。標高はそれほど高くなくなく約1070メートルである。そのカイバル峠は部族地域(自治区域)となり、部族の掟による自治にまかされている。ここではパキスタンの法律は国道上にしか適用されていない。


自治区の標識
Source:Up the Khyber Pass - Pakistan


ジャルムード門(ゲート)。手前がパキスタン、その向こうが自治区
Source:Up the Khyber Pass - Pakistan

 今でも部族地域への外国人の立ち入りは制限されている。カイバル峠を通過するには特別許可が必要となる。政治的に不安定な地域であり、状況次第では通過の許可がおりないこともある。

 カイバル峠は下の地図にあるように、パキスタンの北西端に位置しており、パキスタンのペシャワール(Peshawar)に近い。


カイバル峠の位置 Source:Wikipedia

 この地域はヒマラヤ山脈、スレイマン山脈、大インド砂漠(タール砂漠)などに囲まれた地域であり、外部からの侵入は容易でない。

 そのため、カイバル峠は古代よりアフガンとパキスタンを行き来する数少ない侵入路となっていた。地図で分かるように、カイバル峠を越えるとアフガニスタンのジャララバードに至る。ジャジャラバードからカブールは近い。

 古くは起源前1500年頃、カイバル峠を越えてアーリヤ人がパンジャーブ地方に侵入した。 このカイバル峠は、シルクロードから南下してインドにむかう際の交易路としても重要な役割を果たしている。


現在のカイバル峠。 出典:NHKのシルクロード50選より

 そのため、交易の利権を得ようとする諸勢力がこの地の周辺をめぐって抗争を続けた。インドのイスラーム化もこのルートから侵入した勢力によって進められたと言われている。

  16世紀前半には、ウズベク人の侵入を受けて滅亡したティムール朝の残党がインドへ侵入し、ムガル帝国を建国した。その際も、ウズベク人はこのカイバル峠を超えている。

 さらに 19世紀前半には、アフガニスタンにまで影響力を広げようとしたイギリスが、この地を戦場としてアフガン人と争った(第一次アフガン戦争)こともある。

  1880年、第二次アフガン戦争を経てアフガニスタンを事実上の保護国としたイギリスは、この地の交通網を整備した。現在、それらはアジアハイウェイ1号線の一部となっている。


アフガニスタンの地形図と主要地域
(カブール、カンダハール、ジャジャラバード、マザリシャリフなど)
上の地形図からはアフガンとパキスタンとはカイバル峠以外
通れる峠がないことが分かる。 Source:CNN


カイバル峠からちょっとでもはずれると上図にように
4000〜5000m級の標高を持つ山岳地域他続く。
トラボラはビンラディンが潜伏していたとされる洞窟
がある地域。 Source:BBC

 以下は「世界史最大のif、Kyber Pass」を出典としている。

 私は先に、起源前1500年頃、カイバル峠を越えてアーリヤ人がパンジャーブ地方に侵入したと述べたが、紀元前4世紀には若きアレキサンダー大王がこの峠を渡っている。さらに7世紀には玄奘三蔵がこのカイバル峠を渡っている。

 それ例外にも、かのチンギス・ハンそしてマルコ・ポーロなどが、カイバル峠を渡っている。なかでも22歳にして祖国マケドニアを出発したアレキサンダーは、宿敵ペルシャ帝国を打ち破った勢いで中央アジアを駆逐、このカイバル峠を越えてインドのインダス川流域に至る。

 アレキサンダーの長旅と戦闘で疲れはてた軍は士気も低下し、世界史的に見て最も勇猛果敢で知られるパシュトゥーン人を前に世界帝国の夢は挫折している。
破れることとなった。
 
 中国の唐を出た玄奘は灼熱のタクラマカン砂漠や厳寒の天山山脈はおろかカイバル峠も越えてインドに至り、大分冊の教典、仏像、仏舎利など、仏教のすべてを持ち帰る。帰国後は皇帝の支援も受けて訳経に専念し、その成果は中国のみならず朝鮮半島や日本にも伝えられることとなった。


 参考:「世界史最大のif、Kyber Pass」

 事々さように、アフガンとパキスタンを繋ぐカイバル峠は、有史以来、広く世界史、文明史にあってもシルクロードにあるように、西洋と東洋の接点、東西交易の最大の要所であったと言ってよい場所である。

 ところで、ダニエル・スミス氏は、 Why is Obama Poised to Escalate a Bad War? なる論考の中で、オバマ大統領がイラクの米兵1万7千人をアフガンに投入することに関連し、大きな疑義を呈している。その疑義の3番目に記したのが、アフガンの地形である。
 
■標高に関する問題

 3番目は、アフガニスタンの特殊な地理的条件に関する問題です。アメリカは、増軍の基地をアフガニスタンで極めて起伏が大きく標高の高い場所につくる計画です。

 厳しい環境にもかかわらず、兵士一人ひとりが運ばなければならない武器と保護具の重量は、典型的な3日間の作戦でも130ポンドから150ポンド(【訳註】約59〜68kg!)に達します。わたしは、歩兵隊の小隊長としてでさえ、これに匹敵する重量を訓練で「強行軍」として運べなどと命令したことはありません。

 これは、海軍省が2007年に示した海兵隊一人当たりの推奨携行重量50ポンド(【訳註】約23kg)の実に3倍です。

 標高が高く酸素の薄いこと、車が一部使えない起伏の激しい地勢と相まって、必須と見られている装備の重量は、任務からの撤退を促す新しい種類の緊張を作り出すでしょう。

 2007年、アメリカ陸軍は、筋肉または骨格の変形や破損など、25万7千件に及ぶ急性の整形外科的負傷を記録しました。この数字は、2006年より1万件増えています。

 このままでは、物理的あるいは精神的ストレスから、もっと深刻な場合「永久に配備できない」おそれがあるため、オバマがアフガニスタンに派兵しようと計画している数を現在考えている数よりさらに増やして、歩いて兵器を運ぶ人員を軍にもう一度選び出し直させることになるかもしれません。

 その結果、多くの兵士がPTSDに苦しむでしょうが、助けを求めるのを潔しとしないのが、「戦士の文化」のひとつなのでしょう。

出典:ダニエル・スミス Why is Obama Poised to Escalate a Bad War?


パキスタンとアフガン国境のKhyber Pass、
いわゆるカイバル峠(Khyver Pass)。(この注は青山貞一)

出典:Chinadaily

 ※カイバル峠遠景  ※カイバル峠遠景2

 
米国のイラク駐留軍をアフガンに移すことに関連し、国際ジャーナリスト田中 宇氏は、米露逆転のアフガニスタンのなかで次のように述べている。長くなるが引用してみよう。

 ソ連軍がアフガニスタンを占領していた時、アフガンとソ連(タジキスタン共和国)との国境であるアムダリヤ(川)を渡ってソ連側に戻ると、兵士は安堵した。

 同様に今、アフガンを占領しているNATO軍の兵士は、アフガンからパキスタンに戻り、カイバル峠を越えてペシャワールに下ると、安堵しているはずだ。かつて英国がインド(今のインドとパキスタン)を占領していた時、何度かアフガンを攻略して失敗したが、その時からカイバル峠は変わっていない。それ以前にペルシャ(今のイラン)の勢力がインドを占領していたときには、カイバル峠はペルシャ勢がインド植民地に入る入り口だった。

 そのカイバル峠は、今回の米露逆転劇でも重要な役割を果たしている。カイバル峠はこれまでNATO軍の唯一の陸路の補給路で、アフガン駐留軍が使う物資の7割がこのルートで運ばれてきたが、パキスタンで反米イスラム主義が拡大した昨年後半以降、タリバン系のゲリラ(民兵、山賊)がNATO軍の物資を運ぶ輸送トラックをカイバルの峠道で襲撃する事件が頻発した。

 物資輸送を請け負うトラック会社の経営者や運転手の多くは、タリバンと同じパシュトン系の人々で、彼らにも脅しがかかった。カイバル峠から下ったペシャワール郊外の公然・非公然の市場では、強奪したNATO軍の物資が売られていると報じられている。かつてソ連軍がアフガン占領に苦しんでいたとき、同じ地域の市場では、ゲリラ戦で奪ったソ連軍の物資が並んでいた。この点も、攻守が逆転した形で悲喜劇が再演されている。 ( 自由経済の最先端を行く「無法諸国」(ペシャワール郊外の市場の例) )


現在のペシャワール郊外の市場のパシュツウン人(パキスタン側)
Source:Up the Khyber Pass - Pakistan

 外部からアフガンへの補給路としては、カイバル峠経由のほかに、パキスタン南部からアフガン南部への道、イランからアフガン西部への道、そして前出のロシア側タジキスタンからアムダリヤを渡る道がある。だが、アフガン南部はタリバンの巣窟であり、イランは米国の敵、そしてロシアも米国の敵であるため、NATOはカイバル峠しか補給路がなかった。

 米軍は、アフガン側だけでなくパキスタン側でもタリバン掃討と称して空爆を繰り返し、誤爆で一般市民が殺される事件が相次いだ結果、パキスタンの国民感情は反米化している。パキスタンは米欧のアフガン占領にとって大事な後方地域なのに、未必の故意的なひどい誤爆で、その国民を激怒させる間抜けで自滅的な米軍の戦略は、大統領がオバマに代わっても相変わらず続けられている。

▼世界を揺るがす峠の山賊

 カイバル峠の通行が困難になり、パキスタンが反米化する中で、米欧はアフガンへの物資搬入をロシア・中央アジア経由でやらざるを得なくなっている。ロシアは昨春のNATOサミットで、ロシア経由の物資搬入に同意していたが、それはNATOがロシア敵視の姿勢をやめることが条件だった。グルジアやウクライナといったロシア近傍の諸国を反露親米にしておく戦略から脱せられない米英は、ロシア経由ルートを使うことを見送ってきた。

 しかしパキスタンの状況が悪化し、アフガンでもタリバンの再台頭が著しく、昼間は米欧軍が支配するが夜はタリバンが支配するという、ベトナム戦争末期的な状態になった地域が拡大している。米欧軍が体勢を立て直すには、新しい補給路の確保が不可欠だ。そこで米中枢では最近、ロシアとの関係見直しにつながるような動きが出てきた。

 オバマ就任の日には、米軍司令官が「ロシアは、アフガンへの米軍物資の輸送を了承している」と述べ、ロシア経由の物資搬入に意欲を見せた。

 2月3日には、カイバルの峠道にかかる橋がゲリラによって爆破され、峠道が通行不能になった。この爆破は、単発の事件として見ると、昨年から続いているタリバン系ゲリラによる峠道襲撃の一例にすぎないが、同時期に起きた他の事件と組み合わせると、アフガンをめぐる米露逆転劇(ないしは多極化謀略)の本格開始を意味する「号砲」とも感じられる。


カイバルの峠道にかかる橋
Source:Up the Khyber Pass - Pakistan

 翌2月4日には、中央アジア地域で唯一の米軍基地であるキルギスタンのマナス空港について、キルギス政府が米国に基地としての使用停止を求める決定を下した。マナス基地は、米国が02年にアフガン侵攻する際、後方支援基地としてキルギス政府から借りたが、基地設置は「テロ戦争」を口実に米国がロシアの「裏庭」に軍事進出してきたことを意味した。

 ロシアは強い脅威を感じ、米国の方が強かったので黙っていたものの、その後、中央アジアに影響力を持つもう一つの大国である中国との関係が、上海協力機構の組織的進展などを通じて緊密化したことを活用し、マナス基地に象徴される中央アジアへの米国の進出を中露協調で潰す戦略を開始、キルギス政府に影響力を行使し、キルギスは中露側に傾いた。そして今回、米国がアフガンで占領の泥沼に陥り、ロシア・中央アジア経由の輸送路利用が不可欠になった弱みを突いて、中露と謀ったキルギス政府は、米国にマナス基地の使用停止を通告した。

 アフガニスタンでタリバンが米欧を追い出して強くなりすぎると、中央アジアやロシアにイスラム過激派の運動を輸出しかねない。ロシア自身、米欧のアフガン占領がベトナム的に崩壊するのは見たくない。しかし、昨夏のグルジア戦争のように、米英がロシア周辺国の反露勢力をけしかけて代理戦争させるのはやめさせたい。そこで「物資搬入は手伝うが、その代わりロシアの影響圏設定を邪魔するな」と言うことにした。

出典:田中 宇、米露逆転のアフガニスタン

 以上長々とカイバル峠がいかに世界史上で重要な要所となってきたか、そのカイバル峠が中央アジアで旧ソ連で一旦ブッシュ政権にすりより、その後反米的色彩を強める中央アジア諸国から四面楚歌状態となり、空路による物資補給が困難となっているNATO軍、とりわけ米軍にとって物資補給のカギを握っているかが分かる。

 当然、カイバル峠はもとよりアフガンとパキスタン国境沿いは地形が複雑で高度が高く、ジェット戦闘機や最新ミサイル、爆弾などでどうにかなる場所ではない。そこに大量の米兵が投入されれば、どうなるか? まさに泥沼のベトナム化が侵攻することは明らかだ。おそらく多くの米兵はダニエル・スミスが言うように精神障害となり、自殺者も激増するだろう。

 
1878年、カイバル峠のジャムルード砦のアフガン人(パシュツウン人)ら
Source:Wikipedia English version

パシュトゥーン人

 アフガニスタンの中部・南部およびパキスタン北西部の北西辺境州・辺境部族自治区に各1千数百万人が居住し、アフガニスタン人口の45%とパキスタン人口の11%を占める。

 民族の居住地域が大きく分散していないのにも関わらず、2つの国家に分割されているのは、19世紀当時にアフガン戦争によってこの地域を支配下に置いていたイギリスが、保護国アフガニスタンと植民地インドとの境界を民族分布を考慮せずに引いたためである。

 多くの部族集団に分かれて伝統的には山岳地帯で遊牧などを行って暮らしてきた。強固な部族の紐帯を維持しており、パシュトゥーンワリと呼ばれる慣習法を持ち、男子は誇りを重んずる。部族の中では、カンダハール、ヘラート、ファラー州に居住するドゥッラーニー部族連合とガズニー州等に居住するギルザイ部族連合の2大部族が有力である。