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2013年 夏

1000年余続く

「相馬野馬追」参加記A

青山貞一

独立系メディア E−wave Tokyo
掲載月日:2013年7月30日
無断転載禁


<お行列>

お知らせ
 <お行列>をデジタル・ハイビジョンカメラでほぼすべてを撮影することができました。近日中に詳細画像モードの動画としてYouTubeで公開します。



お行列 出典:相馬野馬追公式Webより

 現在行われています<お行列>は、相馬太田神社の中ノ郷騎馬会、相馬中村神社の小高郷騎馬会、標葉郷騎馬会、それに相馬小高神社の北郷騎馬会、宇多郷騎馬会の順で429頭の馬に乗った甲冑武士らがゆっくり行列する時代絵巻です。

 お行列では、夏空にとどろく花火を合図に、三番螺、陣太鼓が鳴り響き、出発を告げます。相馬太田神社に供奉する中ノ郷勢を先頭に、相馬小高神社(小高・標葉郷勢)、相馬中村神社(宇多・北郷勢)の順に総勢五百余騎、それに総大将、執行委員長、軍師、郷大将、侍大将、軍者、組頭、螺役長・・・などの役付騎馬が整然と駒を進めます。

 お行列は陣螺・陣太鼓の合図により時に止まり、時に前進して隊列を整えながら、約三キロメートル先の御本陣雲雀ヶ原の祭場地へ向かいます。

 騎馬武者全員が甲冑をまとい、太刀を帯し、先祖伝来の旗差物を風になびかせながらの威風堂々にして豪華絢爛な戦国絵巻は、まさに天下無比の圧巻です。

 文化財的逸品が揃う「お行列」は動く文化財展として好事家に野馬追をもう一度見たいと言わせる所以です。

 下の図は野馬追で騎馬武者たちが身につける甲冑や武具・馬具です。これらは平将門時代から現在まで、ほとんど変わっていないようです。とくに、色とりどりの泥障(あおり)や馬衣(ばきん)は、目にも鮮やかです。

野馬追で着用される甲胄の大部分は、江戸時代の当世具足

 現在野馬追で着用されている甲胄は、先祖伝来のものもあるが、ほとんどは野馬追の歴史のなかで全国から集められたものです。

 甲胄は戦闘の防具であるとともに、美術的にもすぐれた意匠をもっており、戦闘法の進歩や変遷により「大鎧(平安中期・鎌倉時代)→胴丸・腹巻(平安中期・鎌倉・室町時代)→当世具足(安土・桃山時代以降)」というように少しづつ変化してきました。

 野馬追で着用している甲胄は各種ありますが、大袖の甲胄が多いといわれます。これらの文化的価値の高い名品が数多くそろうことは、野馬追が長年続けられてきたことの結果であり、豪華絢爛な野馬追祭りの魅力のひとつです。



甲冑武士が身につける甲冑や武具
出典:公式Webより


野馬追で騎馬武者たちが身につける甲冑や武具・馬具など
出典:公式Webより

 下は実際に南相馬の沿道で撮影したお行列の一部です。それぞれの指揮旗が往事を彷彿とさせます。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-7-28


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-7-28


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-7-28


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-7-28

 今回参加した馬の数は実に429頭、武士らはおそらく2000人をくだらない人数が、一時間弱かけ、ゆっくり歩きます。

 「相馬野馬追」に使う(参加する)馬は、つい最近まで、福島県相馬郡や双葉郡の自治体(北から相馬市、南相馬市、浪江町、双葉町、富岡町、大熊町など)の民家で「相馬野馬追」用に飼っていたそうです。

 しかし原発事故以降、飼料が放射能で著しく汚染され、それをエサとすると馬に高濃度の放射能が蓄積することから、飼ってきた馬を遠くに預けたり、遠くの馬を「相馬野馬追」の期間に借りるなどして、乗馬や行事のための練習をしているとのことで費用もかなりかかっているようです。
 
 ちなみに馬を10日前後借りる場合、安くても10万円程度かかることもあり、最盛時の規模(500頭)を借りるとなれば、5000万円もの費用が馬の借料だけでかかることになります(これは関係者へのヒアリング)。

 このように、福島原発事故の影響、被害は、実はこのような重要無形民族文化財にまで及んでいたことが分かりました。3.11以降、部分的に「相馬野馬追」が行われてきましたが、今回はほぼフルスケールの行事実施となったそうです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-7-28


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-7-28

つづく