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800人集まった
筑紫野・産廃焼却炉問題講演会
その2

青山貞一
掲載月日:2013年5月13日
独立系メディア E−wave Tokyo
無断転載禁


 ところで、先に山形県上山市で一部事務組合が歴史的に由緒ある里山の古戦場(最上と上杉陣営が戦った)にガス化溶融炉を計画していることに関連し、現地視察し講演した際、何で自分たちにとって最も大切であるべき、史跡近くにこともあろうかガス化溶融炉を建設するのかとお伝えしました。

 今回の筑紫野市の場合は、かの太宰府天満宮のすぐ隣に位置し、ており、しかも江戸時代から長崎街道と言って、長崎から北九州まで223kmほどの歴史文化ある街道の宿場町が筑紫野の山家(やまえ)宿と原田(はるだ)宿とふたつもあった場所です。

◆長崎街道

 長崎街道(ながさきかいどう)は、江戸時代に整備された脇街道の一つで、豊前国小倉(福岡県北九州市小倉北区)の常盤橋を始点として、肥前国長崎(長崎県長崎市)に至る路線である。57里(約223.8km)の道程で、途中に25の宿場が置かれた。


長崎街道と宿場の位置 出典:長崎街道 山家(やまえ)宿

 また現代においては、江戸時代の長崎街道に沿って走る国道200号や国道3号および国道34号の通称としても用いられる

 江戸時代においては、鎖国政策の下で幕府が日本で唯一、外国との交易を行う港である長崎に通じる街道として非常に重視された。

 筑前・筑後・肥前・肥後・薩摩の諸大名の参勤交代のほか、長崎奉行や西国筋郡代の交代、さらにはオランダ人や中国人の江戸参府や交易・献上品の運搬にも用いられた。

 小倉と長崎をできるだけ最短距離で結ぶため直線状に整備されたため、遠賀川沿いや佐賀平野など平坦な箇所もあるが、概して道程は険しく、最大の難所である冷水峠(福岡県飯塚市・筑紫野市間)や、最後の難所である日見峠(長崎県長崎市)のほか、現在の佐賀県と長崎県の県境である俵坂峠(佐賀県嬉野市・長崎県東彼杵町間)、当時は筑前国・筑後国・肥前国の三国の境界が接する地点で、現在も福岡県と佐賀県の境界である三国峠(福岡県筑紫野市(筑前)・福岡県小郡市(筑後)・佐賀県基山町(肥前)間)[1]などの難所があった。

出典:Wikipedia

 とくに筑紫野市の山家地区は、宿場があった場所です。しかも、山家地区の側には、大又という場所があり、そこは長崎街道と鹿児島や熊本から登ってくる街道の一大交差点であったそうです。

 この長崎街道は、西郷隆盛(鹿児島)や加藤清正(熊本)が京都に行き来する際に使った街道であり、参勤交代はじめ、かのシーボルトも山家の宿場に泊まったことがあるとのことです。

◆筑紫野の山家宿の景観


◆筑紫野の山家宿の町並み




 事実、山家地区などには、今なお当時の宿場町の面影を残す建物が点在しています。

 筑紫野市は、福岡県の中部に位置し、市域の南西部で佐賀県に接しており、佐賀県との県境付近は脊振山系山地にあたり、基山・権現山などの山があります。
 

筑紫野市は、北東部から東部にかけての飯塚市との境界付近は
三郡山系山地にあたり、宝満山・三郡山など標高800-900m級の
山がそびえている。 出典:Wikipedia

 下の地図は、筑紫野市における山家地区を示したものです。計画地はこのなかにあります。すぐ西側には菅原道真公で有名な太宰府天満宮があります。


筑紫野市における山家地区 出典:グーグルマップ

●太宰府天満宮

◆青山貞一:初秋の筑前歴史短訪 F道真と太宰府天満宮

◆青山貞一:初秋の筑前歴史短訪 G道真はなぜ神となったか


太宰府天満宮の鳥居
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.10


太宰府天満宮の楼門
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.10


太宰府天満宮の楼門
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.10


 よりによってそのような郷土の歴史、文化の中心地に、産業廃棄物の焼却炉を計画すること自体、一体何を考えているのかと呆れます。

 なお、筑紫野市にはすばらしい温泉があり、10年以上まえのときも温泉ホテルに宿泊しましたが、今回も主催者が筑紫野市随一の温泉ホテルを予約していただき、温泉を堪能しました。


西日本新聞 2013-5-12朝刊