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<今日の一枚>

「故宮博物院」の文物
Gugong Museum in Beijing, China

青山貞一

掲載月日:2008年12月3日


 2008年11月24日(日)中国滞在の最終日の前日、故宮博物院にでかけた。故宮博物院はその昔、映画ラストエンペラーでも有名な紫禁城と呼ばれる宮殿であった。

 故宮博物院のはじまりは、1924年、北洋軍閥の一人である馮玉祥が溥儀を紫禁城宮殿から退去させ、1925年10月10日に宮殿内で清朝が持っていた美術品などを一般公開したのが始まりであるとされている。

 現在、故宮博物院では完全公開の展示、企画展示、限定展示、非公開など、各宮や殿で一般公開の展示が行われている。その数は40カ所近くに及んでいる。それらの宮や殿をひとつひとつじっくり見て回ると、数日かかる。


北門近くにある特別展示の案内
撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S10

 下の地図は故宮博物院の平面図である。図中、黄緑の楕円で囲った部分が<奉先殿>という文物の常設展示施設である。凡例には<長期展覧地点>とある。


撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S10

 下はその<奉先殿>である。


撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S10


撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S10


撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S10


撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S10


撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S10


撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S10

故宮博物院の文物

 1925年当時の所蔵品点検レポートによると所蔵品総数は117万件を超えており、博物院は古物館、図書館、文献館を設けて各種文物の整理をする一方で、宮殿内に展示室を開設して多様な陳列を行なっていた。

 その後、満州に駐留していた日本軍が華北地方に軍を派遣してきた為、蒋介石の国民政府(1948年からは中華民国政府)は博物院の所蔵品を戦火や日本軍から守るべく重要文物を南方へ疎開させ、1933年2月から5月までの間に1万3,427箱と64包に及ぶ所蔵品が上海経由で南京市に運ばれた。

 国民政府は南京市内に所蔵倉庫を建てて故宮博物院南京分院を設立したが、1937年に日本軍が南京に向けて進軍してきた為に、所蔵品は再び運び出されて四川省の巴県、峨嵋山、楽山の三箇所に避難させられた。

 第二次世界大戦後、運び出された所蔵品は重慶を経て再び南京・北京に戻されたが、国共内戦が激化するにつれて中華民国政府の形勢が不利になった為、1948年の秋に中華民国政府は故宮博物院から2,972箱に及ぶ所蔵品を精選して台北へと運んだ。

 これによって誕生したのが台北市の國立故宮博物院であり、現在故宮博物院の所蔵品は北京と台北の二箇所に別れて展示されている。なお、これとは別に所蔵品の一部は国共内戦後の中華人民共和国建国後の混乱のため北京に戻すことができず、現在も南京博物院の管轄の下南京に保管されている。

 なお、瀋陽の故宮博物院は、元々が後金の小規模な宮城であった瀋陽故宮に置かれており、主に後金・清時代の文物・美術品が展示されている。

出典:Wikipedia