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以下のガザ地区及びガザ(都市)に関する基本情報である。文章系の出典は主にWikipedia、地図系情報は主にGoogle Mapによっている。 ガザ地区は、パレスチナ自治政府の行政区画である。中心都市はガザである。ガザ地区は、中東のシナイ半島の北東部、東地中海に面して存在する帯状の地域で、パレスチナの一角に位置する。その名称は中心都市であるガザに由来している。約360 km2ほどの地域に150万人が生活している。 ガザ地区
ガザはパレスチナの都市でガザ地区に位置し、パレスチナ自治区で最大の人口を有する。行政の中心地であるガザには約41万人が存在している。 ガザ(都市)
ガザ市街地 Wikipedia 出典:Fuji Sankei Business i 2009.1.5 中東地域におけるガザ地区の位置 イスラエルとパレスチナ(ガザ、ヨルダン川西岸)の位置 ガザ地区の全体 現在ガザ地区に住む人々の3分の2は1948年の第一次中東戦争によって発生したパレスチナ難民およびその子孫である。この難民問題の解決策は現在も決定していない。 1948年にイスラエルが独立し、周辺のアラブ諸国との第一次中東戦争が勃発しエジプトが占領した。1967年に第三次中東戦争が勃発するとイスラエルにより占領され、イスラエル人の入植が進んだ。 1993年の中東和平「オスロ合意」によって、ヨルダン川西岸地区の一部と共にパレスチナ自治政府の統治下に置かれた。治安はパレスチナ政府の治安部隊および市民警察軍によって維持されているが、現在も航空管制権と沿岸航行権はイスラエルが保持している。 また、自治政府発足後も、入植者保護の為にイスラエル軍が駐留し、しばしば空襲(空爆)を行っていた。 2007年6月11日、ハマースがガザ地区を武力で占拠し、パレスチナ解放機構主流派のファタハは「クーデター」と批判した。イスラエルは経済制裁を強化し、再び大規模な侵攻を計画しているといわれている。ファタハ支持者を中心に、ガザ地区から脱出しようとする動きも見られる。ただし、日本では「ガザ脱出へパレスチナ人殺到」と報じられたが、実数では数百人程度で、ガザ地区の人口比としてはそれほどでもないという指摘もある。 2008年1月9日、米国ブッシュ大統領のイスラエル・パレスチナ歴訪を機に、ハマースはイスラエルへのロケット弾攻撃を行った。イスラエルは報復にガザ地区を完全封鎖し、国連の援助車両さえ閉め出された。1月15日には、イスラエル軍がガザ市街地に侵攻。連日空襲を行っている。1月20日には封鎖により燃料が底を突き、ガザ地区唯一の発電所が操業を停止した。この結果、パレスチナの電力の1/3(イスラエル側の主張によれば、1/4)が供給されなくなった。 2008年1月23日、エジプトとの国境の町ラファハで検問所近くの壁が爆破され、ガザ住民がエジプト側に流入した。その後も流入は続いており、不足している食糧や燃料を買い求めてガザへ戻る人々が列をなした。エジプト側は、当初は住民への同情もあり、非武装である限り容認した。1月25日に規制を始め、ハマースの同意を得た上で、2月3日に再封鎖された。これは、買い出しの時間的猶予を与えたための措置である。 イスラエルは2月27日より、ハマース側のロケット弾により犠牲者が出たことへの報復として(ただし、ロケット弾攻撃自体は、イスラエルの空襲で、ハマース側に5人の犠牲者が出たことによる)、空襲を激化させ、さらに3月1日には地上部隊を侵攻させた。 3月6日、アムネスティ・インターナショナル英国支部など、英国8団体によれば、人口150万のうち80%が食料援助に依存。2006年の63%より悪化し、失業率は40%に達するなど、人道状況が1967年の占領開始後で最悪になったとする報告書を発表した。 |