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今でも東京のシンボル

<芝、東京タワー>

青山貞一
Teiichi Aoyama

掲載月日:2010年11月17日〜11月25日
独立系メディア「今日のコラム」
無断転載禁

 ひょんなことから東京都港区芝の御成門にある東京慈恵会医科大学付属病院の脳神経外科で手術を受けることになった。

 私の病室は地上60m以上の高さにあり、窓からは下の写真にあるように東京タワーがすぐ近くに見える。


病室から見た風景 2010.11.16

 品川区小山(JR目黒駅近く)にある自宅の前からも東京タワーがよく見えるのだが、慈恵医大病院からは目と鼻の先にある。


見舞いでいただいた花です  2010.11.25

 病室から直前に見える東京タワー。電波塔としては、今や押し上げの東京スカイツリーに人気を奪われた感があるが、やはり私の世代にとって東京タワーはさまざまな意味で東京の<偉大>なシンボルであることに違いはない!


病室から見た東京タワー  2010.11.16 朝

 押上(おしあげ)の東京スカイツリーにすっかりお株を奪われている感があるが、東京タワーの夜景も絶品だ!


病室から見た東京タワー  2010.11.16 夜

 下は11月25日夜から新たなイルミネーションとなった東京タワーだ。

 11/25(木)、東京タワーは突如紫色のイルミネーションに変わった。

 何でも「女性に対する暴力撤廃 東京タワー パープルイメージ特別ダイヤモンドヴェール」という行事で、東京タワーでは女性に対する暴力根絶運動のシンボルであるパープルリボンにちなみ「女性に対する暴力をなくす運動」の最終日で「女性に対する暴力国際撤廃日」の11月25日(木)、新ライトアップ「ダイヤモンドヴェール」を、紫色をイメージしたカラーにライトアップしたそうだ!

 これは女性に対する暴力の根絶を呼びかけるとともに、被害者に対して「あなたは1人ではないよ!」と励ますメッセージでもあるのだそうだ。


病室から見た紫色のイルミネーションに変わった東京タワー
 2010.11.25
 夜


出典:東京タワーオフィシャルサイト

 下は入院中の慈恵医科大学中央病棟のと東京タワーとの地理的位置関係を3次元で示している。


位置関係 出典:Google Earth

◆青山貞一:九十九死に一生

<東京タワー>

 東京タワー(とうきょうタワー、Tokyo Tower)は東京都港区芝公園4丁目にある東京地区の集約電波塔。1958年(昭和33年)10月14日竣工、同年12月23日に完工式が開かれた。一般的に東京のシンボル・観光名所として知られる、日本で2番目に高い建造物である。
 
 昼間障害標識として、頂点より黄赤色(インターナショナルオレンジ)と白色を交互に配した塗装となっている。

 地上アナログ・デジタルテレビジョン放送(VHF・UHF)及びFM放送のアンテナとして放送電波を送出、また東日本旅客鉄道(JR東日本)の防護無線用アンテナとして緊急信号を発信する他、東京都環境局の各種測定器なども設置されている。管理、運営しているのは民間会社である日本電波塔株式会社である。

構想

 東京タワーの建設前、放送事業者は個々に高さ150〜165mの電波塔を建設して、自局の塔から放送を行っていた。しかしこの高さだと放送電波は半径70km程度しか届かず、銚子や水戸では満足に電波を受信することができなかった。また受信アンテナには指向性があるため、チャンネルを変える毎にアンテナの向きを各電波塔の方向に変えなければいけないという不便が生じた。

 さらに鉄塔の乱立は都市景観においても好ましい状況ではなく、当時郵政省の電波管理局長であった浜田成徳を初めとする関係者の中で電波塔を一本化する総合電波塔を求める機運が高まっているところ放送事業の将来性に着目した前田久吉[5]と鹿内信隆によって計画された。

 他の計画案もあったが、高さ300mを超える案は東京タワーのみで、次に高いものは200m級であり、放送事業者の既存の限られた土地を利用するため、展望台のないスリムなものであった。浜田成徳はエッフェル塔を超える世界最大の塔を造り、そこに展望台を設けて集客すれば、建設費は10年で元が取れると考えていた。

建設場所

 建設地は安定した電波を供給するために巨大な電波塔の建設が可能な広さと強固な地盤を有していること、魅力ある展望台のために工場などの煙が景観を妨げないことなど厳しい条件が求められた。

 当初は上野公園付近への建設も検討されたが海抜18mの高台にある港区芝公園地区は基礎を打ち込むための東京礫層地盤もより浅いところにあり、国の中枢機関や各放送事業者との距離が近いなど報道と観光の両面に恵まれた立地であった。

 土地の買収は増上寺の檀家総代に前田が日本工業新聞の社長時代から親交があった池貝庄太郎がおり、増上寺との間を取り持って用地買収を成功させるよう働きかけた。

 また芝公園4丁目地区の周辺一帯は建物倒壊危険度、火災危険度、避難危険度を示す地域の危険度特性評価(東京都2002年(平成14年)実施)において「相対的に危険度の低い町」を示すAAAの評価を得ており、防災面でも電波塔の立地に適していることが後に判明した。

出典:Wikipedia