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仕方がないの論理を超える
市民の環境戦略


青山貞一
 
掲載日:2007.8.25


 この論考は、「環境行政改革フォーラム」2006〜2007年度研究発表会予稿集の巻頭言です。

 世界一の土木系公共事業を永年続けてきた結果、日本は国、地方あわせて1000兆円になんなんとする累積債務大国となってしまった。公共事業といえばすぐさまダムとか道路を思い起こすが、一般廃棄物の焼却炉や溶融炉、それに最終処分場など廃棄物関連施設も立派な「公共事業」である。

 極度に中央集権な国家である日本では、中央省庁が補助金と特別地方交付金によって、地方に一律に特定の政策を押し付けることが永年続けられてきた結果、たとえば一般廃棄物を例に取れば、日本は大量生産、大量消費、大量廃棄にとどまらず、世界一の大量焼却、大量埋立て“推進国”となってしまった。

 国の情報公開法が制定、施行される以前、知人の国会議員三名に依頼し、過去、国が市区町村に出した焼却炉、溶融炉などへの国庫補助、それに特別地方交付税の額を調べたら、尋常でない値となっていることが分かった。

 また国から地方への補助率は、補助率が1/2のときで最大で84%、地方単独事業の場合でも60%近くとなっていることが判明した。その結果、この狭い日本全体で膨大な量のゴミが国策として燃やされ、山や海に焼却灰が埋め立てられると言う異常な環境政策が当たり前のように行われてきたのである。

 私たちがアメリカの大学教授から、ゼロ・ウェイストという考えの下で、ほとんどゴミを燃やさず埋め立てない、まさに循環型のゴミ行政を行っているカナダ・ノバスコシア州の存在を知らされたのは5年前のことである。

 連邦分権国家のカナダでは、環境や教育分野で国、すなわち連邦政府が補助金を出すことで、地方の政策をコントロールすることはない。州や市町村は、自分たちならではの理念と政策にもとづき、独自の行政を行っている。

 ノバスコシア州では、市民団体や民間コンサルタントからの政策提言によって、従来とまったく異なった循環型社会経済づくりが行われている。そこでは、ゴミは資源であるという共通認識と、事後処理型(End-of-Pipe)行政ではなく、未然防止型(Front-of-Pipe)の循環型社会経済づくりが市民、NPO、事業者らの全面的な参加によって行われている。

 日本では、中央政府、霞ヶ関の官僚組織が社会をすみずみまで支配し、中央政府によって都道府県など地方行政が一世紀近く蹂躙されたために、住民団体の間では、何を政策提言しても世の中はまったく変わらないという諦めが蔓延している。

 さらに、「政」「官」「業」の癒着や談合型社会だけでなく、本来、社会経済的弱者や物言わぬ環境をアドボケイト(支援)すべき、学者や研究者、報道機関までもが、「政」「官」「業」「学」「報」の現状追認、利権癒着のペンタゴンを形成するに及び、住民団体は「仕方がないの論理」に埋没せざるを得なくなっている。「何をしてもダメ」という「仕方がないの論理」が津々浦々に行き渡ってしまったのである。

 環境行政改革フォーラムは、全国津々浦々でダム・堰建設、海浜埋め立て、道路建設、焼却炉・溶融炉建設などによる環境と財政の破壊に対抗し、体を張ってがんばる住民団体に、「仕方がないの論理を超える市民の戦略」と具体的な戦術、さらに道具を提供してきた。

 争いが行政訴訟や民事訴訟となった場合にも証拠を提出し、証人となって支援してきたのである。支援しているのは、環境行政改革フォーラムに参加する普通の専門家や研究者、弁護士らである。

 さまざまな意味で閉塞状態にある日本だが、日本にもここにきて少しではあるが、変革の兆しが見えてきた。それを持続し発展させるためには、ひとびとが観客民主主義、お任せ民主主義、劇場型民主主義から脱却し、主体的市民として、環境に配慮した持続可能な社会経済づくりにまい進することが問われていると思う。