中津の歴史探訪 D中津城 青山貞一 掲載日:2008年7月13日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
●中津城 中津の城下町としての歴史は、1587年、黒田官兵衛孝高が豊臣秀吉から豊前6郡(京都・築城・仲津・上毛・下毛・宇佐)の12.5万石と馬ヶ岳城(福岡県行橋市)が与えられた。 後に、拠点を山国川河口部に移し中津城を築城したところから始まる。市街地がほぼ完成したのは1600年代中頃とされる。城主は後に細川氏・小笠原氏を経て、1717年(享保2年)に奥平氏が入封し明治維新を迎えることになる。 中津城は梯郭式の平城。縄張りが扇形をしているため、「扇城」とも呼ばれている。中津城は、周防灘(豊前海)に臨む山国川河口に築城され、堀には海水が引き込まれている。いわゆる水城であり、今治城・高松城と並ぶ日本3大水城の一つである。 現在の城跡には下の写真にあるように、5重5階の天守と2重の櫓が存在する。 これは昭和39年(1964年)、萩城天守を模して薬研堀端の隅櫓跡に観光開発を目的として鉄筋コンクリート造で建てられた、いわゆる模擬天守と呼ばれるものである。 奥平昌信氏が構想し、東京工業大の藤岡通夫教授が設計したものである。天守閣の高さは23m。竣工から度々改変が行われている。下に城の諸元を示す。
中津城本丸 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 下の説明は、最後の城主となった奥平氏(10万石)の解説。 中津城は、今治城・高松城と並ぶ日本3大水城の一つで有名だが、城の背後には下の写真のように中津川がゆったりと流れる。中津川の河口は周防灘の海に面しており、干潮河川となっている。満潮時には中津川のお堀に海の水が入ってくる。 お城の背後にはこのような風景が。北門橋が見える。 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 中津城旧地図 出典:中津市 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 ※中津城の城下町、城戸口、旧町名の詳細
ところで、中津城の場内の一角に、下の高輪地蔵があった。 私たちの環境総合研究所は、かつて東京都港区高輪にあったこともあり、何で「高輪」なのかと不思議に思った。 以下は高輪地蔵の由来である。江戸時代にもこのような正義感ある立派な人物がいたことがわかった! 中津城内にある高輪地蔵 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 下の2枚の写真は、中津城の場内にいた猫である。 物怖じせず、しっかりとポーズをとってくれた!先祖は中津の武士が飼っていたネコかな? お行儀が良い! 中津城内にいたにゃんこ、その1 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 中津城内にいたにゃんこ、その1-2 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 中津城内にいたにゃんこ、その2 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 中津城内にいたにゃんこ、その2ー2 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 中津城の西側には、こんなモダンな教会も! いずれにしても、中津にはゆったりとした江戸時代の悠久の時間がそこかしこに漂っており、観光や視察を超えた時間を満喫できる。是非、近くまで行かれる方はお寄りいただきたい。 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 おわり |