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長野県の審議会事情(11)
〜公共事業評価委、浅川水系を実質審議〜


青山貞一

2008年2月17日



 2008年1月25日、長野県庁で第四回の公共事業評価監視委員会が開催された。昨年の夏から秋にかけ、第一回目、第二回目ともに青山、梶山両委員が重要案件があり、同委員会を欠席せざるを得なかった。

 その間、長野県土木部は2007年の冬から春にかけ、従来の浅川ダム建設は以下の経緯の平成15年12月17日の記述にあるよう、公共事業評価監視委員会からの中止答申でダム建設が中止されたことを前提として、新らたに学識経験者の意見を聞きながら浅川水系の河川整備計画を策定、関係住民を対象とした説明会を開催し、穴あきダムの建設認可を7月9日に国土交通省に申請、8月27日に国土交通省から認可が下りたと、説明していた。

◆青山貞一:長野県の審議会事情(8) 配布資料:浅川治水対策の主な経緯等

 私たちが第一回、第二回目の委員会を欠席しているさなか、福田公共事業評価監視委員長は、上記の説明と副知事が再評価委員会で浅川ダム事業は公共事業評価監視委員会の審議事項としないと決めた、ということをいわば「鵜呑み」にして、次のような対応をとったのである。

 すなわち、田中知事時代から就任していた委員(梶山委員、岡本委員等)と退任直後に任命した新規委員(青山委員、金子委員、福田委員等)の影響力を薄め、弱めるため、2007年度より県土木部は公共事業評価監視委員会の委員数を大幅に水増した。多くは信州大学教授や高等専門学校教員、それに市町村長らである。

 それら事務局(県土木部)の都合で水増しされた委員は、どちらかといえばダム問題に良く言って中立、どちらかといえばダム復活派であるという認識から、福田委員長は自身の判断で、「これ以上、浅川ダム問題を公共事業評価監視委員会の審議事項とすることは難しい。そこで、長野県が審議案件としない問題を棚上げにし、委員会として県の浅川水系問題への対応を提言の形でまとめ公表したい」という考えを福田委員長は委員会に出していた。

 だが、青山、梶山の両委員が参加した第三回目の委員会で状況は一変する。梶山議員らが第三回委員会前に、あらかじめ県に要請していた浅川水系、浅川ダムに関する各種資料、情報をもとに、青山、梶山の両院が県土木部に次から次へと徹底的に質問を繰り出した。

 以下は梶山委員が県に出していた資料要求の内容。



 その結果、どうみても浅川ダム水系におけるダム開発は、平成15年12月17日の公共事業評価監視委員会からの中止答申はあったものの、これは委員会から田中知事への答申であって、県土木部は何ら国土交通省に取り下げの申請をしておらず、補助金の申請も取り下げていなかったことがわかってきたのである。事実、第三回の委員会の最後で県職員は「中止していない」と、ポツっと呟いた。

 つまり、福田委員長はもとより、委員全体が県の言い分に騙されたいたと言える。県はおそらく誤解、見解の相違というだろうが、これは間違いがないところである。委員会に第三回になるまで正確な情報を提供せず、本来4月から開催すべき委員会を8月、すなわち国土交通省から認可が下りるまで開催しなかったことも、そのためのタクティクスであると思える。

 県が国土交通省に認可申請したいわゆる「穴あきダム」だが、2001年当時、田中康夫知事が脱ダム、すなわちダムによらない治水の一案として検討した模様が以下の新聞記事に示されている。記事から分かるように、田中知事は「脱ダム宣言と矛盾する」として否定し、採用されていない。

 となればなおさら、昨年の県による穴あきダム関連の国土交通省への認可申請は、中止されていないダム事業を公共事業評価監視委員会に諮らず、県土木部が勝手に新規事業を含む河川整備計画として国土交通省に認可申請したのは、問題である。

 そもそも公共事業評価監視委員会の実施要綱によれば、委員会自身が審議案件を選定することも可能であり、その点からも県が委員会にまったく相談せずに、審議案件としてこなかったことは故意又は過失であり行政裁量の逸脱であろう。

《讀賣》
◎長野県が脱「脱ダム宣言」…浅川ダム建設を検討 【全国版】

 長野県の田中康夫前知事が建設計画を中止した浅川ダム(長野市)について、9月1日に就任した村井仁知事がダム構造を持った「河道内遊水地」を軸に新たな施設建設の検討を始めたことが26日、分かった。

 事実上、田中氏が掲げてきた「脱ダム宣言」を見直す形だ。

 田中氏は2002年に県内2ダムの建設中止を表明。浅川については、ため池と放
水路を組み合わせた治水対策をまとめ、国土交通省と交渉を続けていた。

 河道内遊水地は堤防と水門からなり、増水時に水をためて洪水が起きるのを防ぐ仕
組み。別名「穴あきダム」と呼ばれている。田中前知事時代にもダム建設の代替案と
して県内部で検討されたが、「脱ダム宣言と矛盾する」として否定されてきた。 

(2006年9月27日3時4分 読売新聞)

◎浅川治水 「穴あきダム」案復活 県対策振り出しに
 2004年に「代替案」で一時検討 【長野版】

 浅川(長野市、小布施町)を巡り、かつて検討されていた「河道内(かどうない)遊水地」の整備を軸とした案が復活したことによって、県の治水対策は振り出しに戻る格好となった。ダムと同様の施設でありながら、貯水量ではダムに及ばない「河道内遊水地」には、地元住民などから疑問の声が上がることも予想される。

 田中康夫前知事が2001年に「脱ダム宣言」を公表し、翌年6月県議会で、浅川と下諏訪のダム建設中止を表明した。下諏訪では最終的に地元合意が得られ、河川改修による治水事業が進められている。

 「河道内遊水地」は、2004年に県がダムの代替案として検討していたもの。川を遮る形で堤防を築き、通常は水門を開いて水を流し、増水時に水をためて下流で洪水が起きるのを防ぐ仕組み。関係者によると、村井知事もこの方針を了承しているという。

 堤防は高さ30〜40数メートルに及ぶと試算され、当時の県土木部長は「構造的にはダム」と説明。関係者の間では別名「穴あきダム」とも呼ばれており、当時知事だった田中氏の「脱ダム」方針と矛盾することから、県の正式な案としては承認されないままとなっていた。

 その後、県はため池と放水路を組み合わせた方式を検討し、国交省と交渉を進めてきた。 (2006年9月27日 読売新聞)

◎「穴あきダム」再浮上 浅川治水対策で県 2006年09月27日 【長野版】
朝日新聞

 ダム計画を中止した浅川(長野市)の治水対策で、県が2年前に見送った「穴あきダム」(河道内遊水池)を再検討する方針であることが26日、分かった。「穴あきダム」の高さは最低でも約35メートルとされ、河川法は高さ15メートル以上を「ダム」と定義している。このため、ダム建設を選択肢から外した田中康夫前知事による「脱ダム」宣言の転換が具体化する可能性が出てきた。(久保智)


 土木部幹部らが同日、村井仁知事や腰原愛正副知事に浅川の治水対策の状況などを説明。「穴あきダム」も選択肢の一つとすることで方向性が固まったという。


 ただ、村井知事は流域住民との懇談の場を近く設け、地元の意見を尊重する意向を示している。また流域を抱える長野市との協議も必要で、治水対策案として採用されるかどうかは流動的だ。


 「穴あきダム」は河床部に通水口を開けて常時水を流す仕組み。通常時は川の流れを遮らず、土砂も堆積(たい・せき)しづらい。増水時はダムの貯水機能が働き、下流への流量を抑える働きをするとされる。


 県が04年9月に公表した「脱ダム」後の代替案として盛り込まれ、下流に設置する遊水地を組み合わせた複数の試案が流域住民に提示された。


 県は当時「従来のダムとは異なる」と説明したが、高さは最大49・5メートル、最小35・5メートルとされ、「(高さ59メートルの)旧ダム計画の代替案が事実上のダムではおかしい」との批判が相次ぎ、見送られた経緯がある。


 県はその後、治水安全度を一時的に下げ、河川改修と遊水地などによる当面20年間の整備計画案を作ったが、将来的に旧ダム計画と同等の安全度を求める国交省との協議は難航している。

 結局、田中康夫知事時代の浅川ダムは正式に中止されておらず、国土交通省に取り下げされていないことがほぼ明確になったのである。事実、昨年末に数億円の調査費が財務省から長野県に下りたことからも明らかなように、県土木部は補助金申請もゼロ予算という形で田中康夫知事時代から現在まで継続しており、取り下げていなかったのです。

 そして、浅川水系で従来のダム建設を中止したので、浅川水系で河川整備計画を策定し、それをもとに新規に「穴あきダム」の認可申請を国土交通省に出した。それゆえに、本事案を副知事がチーフとなる再評価委員会で公共事業評価監視委員会の審議案件とはしないとした、という県の言い分はよくて県の裁量による勝手な判断であって、公共事業評価監視委員会の規定における審議議案要件からすれば、当然、審議議案としなければならなかったのである。

 すなわち中止していない事業であれば、当然、公共事業評価監視委員会の審議案件として昨年春から委員会で審議すべきである。

 ところで、第四回委員会では、最初に私があらかじめ配布した資料をもとに、上記について詳細、具体に委員、県土木部、傍聴人、報道の前で説明し、さらに岡本真二委員が白板に図を書いて説明した。


公共事業評価監視委員会でこの間の浅川水系に係わる
行政・計画手続きの流れ経緯を図解する岡本真ニ委員

 このように青山、梶山両委員が参加した第三回と第四回の委員会では、それぞれ2−3時間ずつ実質的に浅川水系問題を一から議論することになった。

 しかし、私たちから県土木部に向けられる質問に県土木部は、黙ってしまうか、きわめて部分的に、あるいは抽象的にしか答えないことから、2月19日に梶山委員(弁護士、理学博士)が代表して、長野県に対し、以下についての質問(尋問)を2時間行うこととなった。

 以下は2008年1月8月の委員会の開催概要を伝える朝日新聞の記事である。