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 <今日の一枚>
源頼朝が開湯、元祖、
  源泉かけ流し「草津温泉」
 青山貞一
 2007年9月19日
無断転載禁

 2007年9月14日から17日、環境総合研究所の青山、池田、鷹取で北軽井沢の保養所(別荘)にでかけた。

 9月15日、吾妻渓谷でいつものように八ツ場ダムの建設現場を自慢のデジタル・ハイビジョン・カメラで撮影した後、国道145号線で長野原草津駅より少し渋皮側で国道292号線に入る。

 その後、六合村(くにむら)の道の駅でいつものように昼食をとる。あまり天気がよくないが、405号線で野反湖に向かう。案の定、野反湖には霧が立ちこめ、何も見えない。それでも湖畔に降りる。

 野反湖の帰り草津温泉による。何度来ても、草津温泉はすばらしい。
 「豊富な湯量」と「完全な源泉かけ流し」はおそらく日本一ではないだろうか。一度は訪れてみたい温泉だ。

 草津温泉(くさつおんせん)は、群馬県吾妻郡草津町(旧国上野国)にある温泉で正確には温泉のあるところが町になったというべきであろう。林羅山の日本三名泉に数えられる。江戸時代の温泉番付では当時の最高位である東大関にランクされ、名実ともに日本を代表する名泉のひとつである。また群馬、長野(東信)にある温泉の多くは源頼朝が開湯したという(伝)説が多数ある。

 いつものように「大滝の湯」の駐車場に車を入れ、大滝の湯の温泉に入る。玄関で800円を払い内風呂、露天風呂、合わせ湯、サウナなど、いまどき800円でこれほど楽しめる場所もないだろう。大滝の湯は日帰りタイプの温泉で誰でも入れる。

草津を代表する立ち寄り温泉の定番 大滝の湯入り口

 大滝の湯は、いわゆる立ち寄り温泉。一度施設に入ると、何度でも温泉に入ったり出たりができる。中にはレストラン、売店、休憩施設、マッサージ施設もあり、まさに極楽。子供からお年寄りまで多数でにぎわっている。温泉は、大浴場、サウナ、水風呂、露天風呂、あわせ湯(昔風の木の湯船)、箱蒸し(一人用サウナ)、打たせ湯がある。あわせ湯は時間帯により男性湯、女性湯となる。

温泉名
大滝乃湯
住所
群馬県草津町596-13 
営業時間
9:00〜22:00(10〜5月は〜21:00)
値段
大人
800円
子供
400円
電話番号
0279-88-2600

 草津温泉街には、無料で入れる温泉が多数散在している。タオルあるいは手ぬぐい一枚で入れる。ただし、無料で入れる公衆温泉はいずれも45−46度ど湯温が高いので要注意!


草津の無料公衆温泉のひとつ。頼朝が開湯したと伝えられる白旗の湯。
池田さんが様子を見ている。(2007年8月6日、ニコンCoolPix 撮影:青山貞一)

 大滝の湯から出て、これもいつもの定番、散歩がてら湯畑まで歩く。なぜか、やたら人通りがある。浴衣姿の若い女性もたくさんいる。下の写真は有名な湯畑。


草津の湯畑。今や世界的名所!? 箱のなかにいわゆる「湯ノ花」がたまる仕組みになっている
(2007年9月15日、ニコンCoolPix 撮影:青山貞一)


湯畑にて。これは青山ゼミの学生を連れ2006年8月にでかけたときに撮影
(2006年8月8日、ニコンCoolPix 撮影:青山貞一)


いつもにぎわう湯畑。
(2007年9月15日、ニコンCoolPix 撮影:青山貞一)

 上の写真は湯畑から湯が流れ込む温水池側を撮影したもの。

 湯畑の周辺にはたくさんのお土産やさん、ホテル、旅館が建ち並ぶ。また草津よいとこ一度はぁおいで...と草津節で有名な湯もみ踊りを実演するホールもある。さらに、湯畑から何本か路地が広がり、その沿道に多数の食べ物屋、娯楽施設、美術・文芸施設も建ち並ぶ。

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姿












湯畑周辺に立ち並ぶお土産やさん。揚げまんじゅうが逸品かな!
(2007年9月15日、ニコンCoolPix 撮影:青山貞一)


湯もみおどり実現ホール。結構外国人も行列している
(2007年8月6日、ニコンCoolPix 撮影:青山貞一)


「西の河原園地」、この先に大きな露天風呂がある。入力料金は確か500円ほど
(2006年8月8日、ニコンCoolPix 撮影:青山貞一)


「西の河原園地」、(2006年8月8日、ニコンCoolPix 撮影:青山貞一)


草津温泉の歴史

 日本武尊や行基、源頼朝が開湯したという伝説を持つほど、古くから知られた湯治場である。草津の名の由来は「くさうず(臭水)」が訛ったものであるとされる。

中世
 『吾妻鏡』によると、建久4年(1193年)8月源頼朝が浅間山で巻狩りを行った際に、木曽義仲の遺臣で義仲遺児を匿って草津に潜んでいた細野氏を見出し、湯本の姓を与えて草津の地頭としたとされる。以後、湯本氏は温泉経営をもって北条・足利に仕えたとされるが確実な裏付けがあるわけではない。草津温泉の直接史料での初出は文明4年(1472年)で、蓮如が訪れたときのものであり、この頃にはすでに全国に名の知れた湯治場となっていた。戦国時代になると湯本氏が文献に多く登場し、草津の湯治客からとる湯銭を武田配下の真田氏に納めたり、草津や白根で採れる硫黄を戦国大名に贈ったりしている。豊臣秀吉が徳川家康に草津入湯を勧めた書状なども伝わっている。

○近世
 江戸時代初期は真田氏の沼田藩、その後は天領として幕府の直轄支配を受けている。湯本氏は沼田藩の家老として重用されていたが、後に本家は断絶させられてしまう。現在と比べて交通は不便にもかかわらず、湯治客で賑わいは年間1万人を超える数を記録している。近世を通じて60軒の湯宿があり、幕末には「草津千軒江戸構え」といわれたほど栄えていた。草津温泉は泉質が強烈なため、湯治後に肌の手入れのために入る、「草津の上がり湯」なる温泉地が周辺に複数できた。

 江戸時代初期は内湯はなく、湯宿は基本的に素泊まりだった。18世紀初頭になると、「かこい湯」・「幕湯」という貸し切り湯の習慣ができ、のちに内湯が設けられるようになった。

○近代
 明治時代、お雇い外国人として来日したドイツ人医師ベルツ博士によって、その良さを再発見される。大正期には軽井沢から草軽電気鉄道という軽便鉄道が草津まで開通し、更に後には高崎・渋川などからバスも乗り入れるようになった。長野原線(現・吾妻線)が長野原駅(現・長野原草津口駅)まで開業したのは1946年(昭和21年)である。

○現代
 2003年(平成15年)から、「ONSEN」を世界で通用する言葉にしようという運動を行っており、草津温泉もその運動に参加している。2005年(平成17年)には、それに関連したシンポジウムを開催した。

 2004年(平成16年)、長野県の白骨温泉に草津温泉の入浴剤(草津ハップ)が用いられたことが発覚したことから、その効能が再び注目されている。但し、これをきっかけとした温泉偽装問題の中、入湯税の徴収額と納入額に差が有ると報じられた。ところで草津温泉ハップを溶かした湯はアルカリ性であり、皮肉なことに白骨温泉特有の白濁したアルカリ硫黄泉に酷似。

 2006年には草津温泉の土産物店などで売られている『湯の花』の多くが、同温泉で採集されたものではなく、硫黄に炭酸カルシウムを混ぜて製造したり、近隣の温泉の湯の花だったことが判明した。これを受けて公正取引委員会は、景品表示法違反(優良誤認)で製造販売した4社に排除命令し、6社には注意をした。

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



湯畑を背景に。鷹取敦、池田こみち(2007年9月15日、ニコンCoolPix 撮影:青山貞一)


草津温泉の中心部には観光用人力車もある。右は池田こみちさん
(2007年9月15日、ニコンCoolPix 撮影:青山貞一)


湯畑から大滝の湯に向かう途中の会席料理を出す旅館の玄関で撮影した一枚。
屋号は「手の字屋」 Webはこちら 
(2007年9月15日、ニコンCoolPix 撮影:青山貞一)