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<今日の一枚>
雄大な浅間山の懐に抱かれて
 
青山貞一 
 2007年9月17日
無断転載禁
 
 浅間山
は群馬県吾妻郡嬬恋村と長野県北佐久郡軽井沢町及び御代田町の境にある安山岩質の複合火山で標高2,568m。世界でも有数の活火山として知られている。実際、よくみると噴煙をあげている。 

 私たちの別荘に近い「鎌原」地区は、天明3年の大噴火で1370名もの命を落としたと言い伝えられている(以下を参照のこと)。


天明3年(1783)の浅間山大噴火


 天明3年の大噴火は5月9日にはじまり、7月26日以降は絶え間ない噴火が続いた。8月4日には遂に吾妻火砕流が発生。翌5日にはあの悲惨な鎌原火砕流と鬼押し出しの溶岩流を起こし、しばらく終息に向かった。

 この噴火はすごい者で、「浅間山変異記」によると、「8月5日、暁4時より甚だしき大焼く、8時より11時に至る3時間は前代未聞の噴火にて、鳴動の激烈なること千萬の雷、一度にとどろくというも愚かなり。総身唯是。恐怖の魂。痛烈なる響音は、棒をもって胸を突き倒すごとくなり」と記されている。

 噴煙は関東に流れ、砂石を含む降灰は離山以東の軽井沢に4尺(焼く1.32m)、碓氷峠に5尺余り、松井田2尺、安中・高崎は1尺、遠く江戸にも一寸あまり(焼く3.3cm)に及んだという。浅間北麓の吾妻郡鎌原村を中心に火砕流に見回れ、犠牲者は総数1,370余名にのぼった。3尺を越す熱灰をこうむった地域の植物はほとんど死滅したと思われていた。

                      (長野県立小諸高等学校地学クラブの研究より)


 火砕流に気づき、階段を上り、鎌原地区に今もある鎌原観音堂に逃げ込んだ93名のみ助かったとされ、火山災害から命を救った観音堂は厄除け信仰の対象となっている。 この災害では当時の村の人口が600人程であり、477名もの人命が失われたという。鎌原観音堂の階段の高さ分が生死の分かれ目となったという。

 ところで、浅間山の勇姿は視点によって、時間によって、天気によって、そして季節によってその姿を変幻に変える。雄大な浅間山の懐に抱かれているだけで、気持ちがやすらぎ、うるおう。

 今回は2007年9月14日夜から17日夕方にかけ、研究所の青山、池田、鷹取ででかけた。下の写真は9月16日、別荘から高峰山(2000m級)を経由して池の平湿原(2000m級)に車で向かう途中に撮影した逸品である。


ニコンのデジカメ、CoolPix。逆行・パノラマモード。
撮影月日:2007年9月16日、嬬恋村にて。青山貞一が撮影。


 以下は、やっと晴れた9月17日、浅間高原の真ん中にある群馬県営の浅間牧場で浅間山を背景に学生さんにシャッターをお願いして撮影したもの。


浅間山を背景に。左から池田こみち、青山貞一、鷹取敦

浅間牧場では実に800万平米の巨大な県営牧場。浅間山系から高峰山系を経由し、草津・白根山系までがパノラマ状に一望できる。


浅間山の反対側を見る。草津・白根山系に連なる。 青山貞一撮影。


浅間牧場の丘から見た浅間山の雄姿。 青山貞一撮影。


浅間牧場から白糸の滝まで遊歩道がある。青山貞一撮影。