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第3回 アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 2013-6
A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comune

初夏のアマルフィ海岸を行く
 6日目

ラベッロの歴史と文化

    青山貞一・池田こみち  2013年6月14日
 独立系メディア E-wave Tokyo  無断転載禁


 2013年アマルフィ海岸現地視察調査報告<125本 全体メニュー>

    
アマルフィの位置 ラヴェッロの紋章 イタリア国旗

●ラヴェッロの歴史

 ラヴェッロの歴史をひもとくと、ラヴェッロは西ローマ帝国の終わりの頃、西ローマ帝国への侵略に対する避難所として5世紀につくられたとされています。

 9世紀にアマルフィ(後の都市国家アマルフィ公国)がつくられると、893年から1200年の間、ラヴェッロはアマルフィの地中海における重要な貿易力を商業、貿易で支える役割を担います。羊毛の生産と輸出はその一例です。これによりラヴェッロはアマルフィ海洋共和国の重要な位置を占めることになります。

 1086年、教皇ビクター三世はアマルフィの大司教区を分離し、ラヴェッロに司教区をつくりました。初期の段階ではラヴェッロの司教のすべてが教会出身者でしたが、後になってからは貴族の出身者も含まれるようになります。


ラヴェッロの歴史・由緒ある閑静な道
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 12世紀、ラヴェッロには、25,000人もの住民がいました。それは商業、貿易で名をなした貴族や富豪がラヴェッロの経済を成長させた結果、地域におけるひとつの雇用の場所としてラヴェッロに周辺地域から人々が集まってきたからです。

 商業、貿易が最も栄えた頃、ラヴェッロには以下の多くの貴族や富豪がいたとされています。

 Acconciajoco、アルファーノ、Appencicario、Aufiero、ボーブ、カンパニー、Cassitto、カスタルド、Citarella、Confalone、コッポラ、コルテーゼ、D'Afflitto、デ・カーティス、デリソッラ、デッラ・マーラ、Piccolellis、デヴィート、フェニーチェ、フォッジャ、Frezza、フスコ、ジュスト、Grisone、Guerritore、ロンゴ、マンシ、マリネ、Muscettola、Panicola、Papice、Pironti、Rago、Rogadeo、ロヴィート、ルーフォロ、ルッソ、Rustici、サッソ、Arcucciなど。


アマルフィ海岸ラヴェッロ・ルッフォー邸 (トリップアドバイザー提供)

 しかし、 1137年、ラヴェッロはイタリア北部にある海洋都市国家、ピサ共和国に攻撃を受け破壊させられてしました。以降、ラヴェッロの人口と経済は衰退の一途を辿ります。人口の多くは、ナポリとその周辺に移動したとされています。

 ラヴェッロの教会の司教が隣のスカーラ(Scala)に移る前の1086年から1603年まで間、教区のまちでもありました。

 1603年7月31日、ラヴェッロの教区は、隣にあるスカーラ(後に Comune di Scala)の教区である Aeque principaliterに統合され、さらにアマルフィの大司教区に併合されました。以降、1818年6月27日に至るまで、ラヴェッロとスカーラ両方がアマルフィの大司教区一教区となります。


ラヴェロの大聖堂  撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


スカーラの広場に面する聖ローレンツォ大聖堂
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10  2011.3


ラヴェッロ大聖堂(Duomo di Ravello)  撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


●ラヴェッロの文化と魅力

 ラヴェッロ(Ravello)からは世界で一番美しいアマルフィ海岸の展望が楽しめます。上述のように、ラヴェッロには11世紀の頃から貴族や富豪の別荘が数多くつくられました。また傾斜地には他のアマルフィ海岸の地域同様、段々畑を利用したオレンジ、オリーブ、レモンなどの栽培が活発に行われました。

 ラヴェッロからスカーラの山の斜面に散在する集落には、11から13世紀にかけ小さな教会が数多く建てられました。これらの教会もラヴェッロの文化遺産であると言えます。下の写真は、スカーラの広場に面する聖ローレンツォ教会です。


スカーラの広場に面する聖ローレンツォ教会
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10  2011.3

 ラヴェッロのテラスは、季節によってブーゲンビリアや夾竹桃(きょうちくとう)が咲き乱れ、まさに天空の楽園となっています。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-6

 
 ラヴェッロは現在まで多くの芸術家、音楽家、作家などを魅了し続けてきました。

 たとえば、ジョヴァンニ・ボッカッチョ、リヒャルト・ワーグナー、エドヴァルド・グリーグ、MC エッシャー、ヴァージニア・ウルフ、グレタ・ガルボ、ゴア・ヴィダル、アンドレ・ジッド、ジョアン・ミロ、トルーマンカポーティなどです。ローレンスが『チャタレイ夫人の恋人』を執筆したのもこのラヴェッロの地です。


音楽のまちラヴェッロとあります
 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 さらにテネシー・ウィリアムズ、グレアム・グリーン、ジャクリーン・ケネディ、レナード・バーンスタインとサラ・ティーズデールといった劇作家、小説家、文化人などもラヴェッロに魅了された著名人です。


つづく