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第3回 アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 2013-6
A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comune

初夏のアマルフィ海岸を行く
 6日目

トラモンティの教会と修道院

    青山貞一・池田こみち  2013年6月14日
 独立系メディア E-wave Tokyo  無断転載禁


 2013年アマルフィ海岸現地視察調査報告<125本 全体メニュー>

    
ソレント半島の位置  トラモンティの紋章  イタリア国旗

◆トラモンティの教会、修道院など

 トラモンティはアマルフィが公国として共和国だった時代、まちとしての総合力が頂点に達していました。13ある集落には、ひときわ美しい宮殿や教会、修道院がたくさんつくられました。

 そのような背景から、トラモンティには今なお集落に教会や修道院が沢山あります。そこでは希有で秀逸な歴史的建築物を目の当たりにすることが出来ます。実際、私達もそのうちのいくつかを回りましたが、どこもいわゆる観光客はもとより地元の住民もおらず、じっくりゆっくりと見ることが出来ました。

 以下にそのうちの主なものについて概要と現地で撮影した写真を紹介します。ただし、本稿は未完であり、記述内容と写真が一致しない可能性もあります。


Source:Comune di Tramonti


◆聖フランチェスコ修道院 Convent of Saint Francis


聖フランチェスコ修道院の位置

 聖フランシス修道院は1474年に建設された修道院で、トラモンティのMattew D'Angeloに依頼されたものです。彼の財産は聖フランチェスコ又は聖フランシスまたは聖ドメニコに敬意を表して修道院を建てるために用いられました。修道院は広く3階建てとなっており、最近改修された広い回廊があり、数世紀にわたり様々に形態が変化してきました。

 まず右側には、偉大な文化人であるトラモンティのアンブローズ・ロマーノの遺骸を祀っています。彼は1509年にミノーリの司教となりました。次に、左側にはトラモンティの上級聖職者であるマーティンデマジョの遺体が納められています。彼は、1475年にはBisacciaの司教に推挙され、後に、487年にはBisceglieの司教になりました。


聖フランチェスコ修道院   撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 廊下の両側には、3つの祭壇があります。まず右側のくぼみには聖ジェラルドの像があります。つづいて、3つの祭壇にはハンガリーの聖エリザベスの美しい像があり、三枚続きの大理石には聖ステファン、聖アントニ、そして聖バレンタインが描かれています。さらに、三枚続きの彫刻と、一番上にある告知を描いている浅く浮彫りされた彫刻は、おそらく、既に壊されてしまった聖ステファンの古代の教会に付属していたと思われます。

 入口から左側の祭壇のくぼみには、それぞれ、聖ヨセフ、無原罪懐胎と聖アントニーの彫刻が並んでいます。中央の上の高い祭壇には聖フランシスの大理石の王位があります。中央の両脇にはガペストラノの聖ジョバンニとカピストラノの聖ジョバンニ、そしてポルトマウリツィオの聖レオナルドのフレスコ画が描かれています。


聖フランチェスコ修道院   撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 教会の後陣によって二つに分かれたアーチの下に置かれた聖餐のテーブルは、説教壇として、また、大きくて大量の大理石を側面に配置し、それは洗礼堂として用いられます。

 1926年の聖フランシスの死の100周年のために、教会の屋根とともに、フレスコ壁画や像を飾るくぼみなどで強化され、ラファエルセベリノにより装飾された天井の完全な再建のための膨大な作業が行われました。

 フレスコ画は、聖チアラの死、Porziungolanoの免罪符、聖フランシスの死が絵が描かれています。教会入口の上部には、修道士への奉仕のために、1700の美しい木製の聖歌隊が描かれています。修道院の第三の廊下からその中心部にアクセスでき、1926年に二つのキーボードを備えたオルガンが装備されました。教会に隣接するホールには、聖フランシスの兄弟修道士たちのための古い座席があり、そこから、聖人の特徴を描いたフレスコ画など質の高い芸術を鑑賞することができます。


◆司教の大理石の墓
 
 さらにポルヴィカ集落にはアン・ブローズ・ローマン・マイノーリの元司教とマーティン・デ・マイオ島のビシェリエ司教の大理石の墓があります。


◆岩のチャペル(礼拝堂)* Cappella Rupestre (Chapel in the Rock) 
  次頁に関連する沢山の写真があります。

 ゲーテ(Gete)の集落には岩のチャペルとしても知られる礼拝堂があります。

 この礼拝堂は、13世紀後半にできたものと推定されています。この礼拝堂は、岩の僅かなくぼみに押し込められるように建っています。岩の脇を切り込んで設置された墓が有名がです。


トラモンティのゲーテ村の教会   撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


トラモンティのゲーテ村の教会   撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


◆キリスト昇天教会

 昇天教会の場所は「軽石」と呼ばれ、鐘楼が隣に併設された教会です。身廊は一つで、半円筒天井をそなえるこの教会は、複数の副礼拝堂(サイドチャペル)を持ち、 鐘楼は四角い基礎部分と4階建ての構造となっています。

 1階部分は岩に掘り込まれており、最上階は八角形のピラミッドの形状となっています。


◆聖ペテロ教会(聖ペテロ使徒教会) Chiesa di Pietro Apostolo (Church St. Peter Apostle)

 同時期にはフィリーネ集落で聖ペテロ教会がつくられています。

 聖ペテロ教会には、8世紀のビザンチン様式のフレスコ画もあります。教会の内部はバロック様式で設計されており、塗装タイル張りの床は特に注目に値します。


◆聖マリア・ラ・ノヴァ城 Castle of Santa Maria La Nova

 プカラ集落にあるこの城は、1457年頃にサレルノの王子であり、アマルフィ公国の大君主である レイモンド・オルシニ(Raymond Orsini)によって建設されました。長方形の基礎は10の小さな四角の塔と7つの塁壁(城壁)にほって強化されています。

その中のごく一部が現在も残っています。城には、大きな家が複数あり、雨水のタンクや刑務所もありました。 城の中には聖母マリアに捧げられた小さな教会がありました。

 後に、その壁の内部に聖マリアラノヴァ教会が建てられました。聖マリアラノヴァ教会は、長い間、トラモンティの町の教区の教会でしたが、現在は、城の壁内部が墓地となっています。


聖マリア・ラ・ノヴァ城    撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


プカラの城跡遺跡   出典:Wikipedia


プカラの遺跡   出典:Wikipedia


◆聖ヨセフと聖テレサ修道院 Monastery of St. Joseph and St. Teresa

 この修道院はもともと温室であり、聖フランシス・アントニー・リッカの意思によって建てられました。彼は1624年に処刑され、アマルフィの大司教がその財産を保管していましたが、彼の3人の息子が相続しないで死亡したためその遺志に基づき、遺産を使って温室を設立して、地域の子供たちを住まわせることとなったのです。

 聖ヨセフの後に命じられた温室の建設は、彼の末息子のフランシス・アントニー・リッカを記念し、1662年に始められ、幾多の困難の後、監督と役人、さらには宗教的権威者たちとの対立があって、1723年12月8日に漸く完成しました。

 知事たちは経済、宗教権限などの行政を任せられていましたが、それが精神生活のすべてでした。

 修道女たちの働きのお陰で、温室は宗教的な建物となり、聖ヨセフ・聖テレサ修道院と名付けられました。

 修道院には聖アルフォンソが度々訪問し、修道女と一緒にそこにとどまり、また、手紙によって連絡をとりあっていました。しかし、1900年には、経済的な困難にみまわれ、修道女は修道院を去りました。ここでは、彼らは、トラモンティに特有な、ハーブと大麦で作られたリキュール“concerto”を初めてつくりました。

 今日、温室の建物は、美しい教会が併設されましたが、残念ながらまったく見捨てられ放置されてしまっています。


◆聖ヨハネ教会 Chiesa di San Giovanni (Church of St. John)


聖ヨハネ教会の位置、聖フランチェス修道院の隣にあります

 ポルヴィカ村にあります。明らかに、ナポリの王フェルディナンド1世を記念した盾を表しています。彼(フェルディナンド1世)は、1460年 にTramontiで 歓迎され、避難民を捜索しました。王は、感謝し、多くの人々に「高潔な人」という称号を与え その労に報いたのです。


トラモンティの聖ヨハネ教会(聖ヨハネ教会)の鐘楼
 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


◆聖エラスムス教会 Chiesa di Sant'Erasmo (Church St. Erasmo)

 プカラ集落村にあります。プカラ村の聖エラスモ教会は特に関心が高い場所です。

  1412年と1533年に旧聖セバスチアーノ教会の跡に、再建されました。玄関は、2本の溝のある柱と美しい土台からなり、装飾された高い台座に載り、その一方には、1500年と年代が刻まれています。

 内部は、ラテン様式の十字形の空間となっています。(十字形教会堂の)翼廊は、集会が行われるたり、死者が葬られる場所へと続いており、そこでは、死者が粗い石のベンチに乗せられ、今でも見ることができますが、中央には穴があってそこに葬られます。

 内部には保存状態がよい 数枚のルカ・ジョルダーノ派の絵画があります。


◆聖エリアス教会(聖エリヤ教会) Chiesa di Sant'Elia (Church of St. Elia)

 聖エリアス教会はサンテリア集落にある教会で、溶岩石を繊細に彫刻したポータル(表玄関)となっていましたが、現在は部分的に壁となっています。内部は、3つの通路(側廊)からなり、フレスコ画が描かれています。

 教会の鐘楼は、四角で異なる一つまたは二つの窓が各側面に設置されており、上部は、八角形のピラミッドへと続いています。

  往時は、白い大理石の次のような文字が刻まれた洗礼用噴水がありました。日付は1548年、そしてトラモンティの紋章である半月が上にあがっている3つの山を描いたシールド(楯?)です。


つづく