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『発電所、アセス対象外』
問題について


阿部 賢一

2007年3月29日


3月28日朝のNHKニュースで環境省の研究会で「道路やダムなど大規模事業に対する計画段階での環境影響評価(環境アセスメント)について、発電所を対象外にする」ことについて環境省は座長に一任するとの結論を出したとの報道があった。
早速同日付日経で関連記事を探したところ、42面【社会】のベタ記事で、
『発電所、アセス対象外に』のタイトルで13行、簡単に報道されていた。
研究会委員からは、発電所も対称にするよう求める意見が相次いだ。「計画段階で内容が公表されると立地が困難になる」と反発していた電力会社に環境省が配慮した、という。

これは、戦略的環境アセスメント(Strategic Environmental Assessment:SEA)の共通ガイドラインを検討していた環境省の有識者研究会(座長・浅野直人福岡大学教授)が3月27日、共通ガイドラインを盛り込んだ最終報告を了承したというニュースである。
戦略的環境アセスメント(SEA)とは、政策段階及び計画段階における環境アセスメントである。
環境省研究会の最終報告案にSEAの実施対象から発電所を除外する方針が盛り込まれていたため、多くの委員が発電所を対象に含めるよう強く主張していたが、発電所を除外する方針を明記したまま座長一任で了承されたという。座長一任などというあからさまな環境省の意向を押し付ける官僚主導の最終報告であり、この研究会の民主主義の原則が踏みにじられている。
いったい、何のための研究会であったのか。

発電所除外ということで、環境影響評価法自体が骨抜きにされる可能性がでてきた。
今後、大規模な事業(国交省の道路・鉄道・空港・港湾、農水省の農地改良事業・林業)などにも、波及する可能性がある。
現行の環境影響評価法では、事業段階における環境アセスメントであり、開発による環境影響は調査されているが、事業化がほぼ決定した段階で調査が行われるため、代替案を検討することもできず、計画の中止や大幅な見直しなど、後戻りが困難である。このため、より早い段階である「政策段階」「計画段階」でのアセスメントを進めるべく、SEA共通ガイドラインの策定を検討していた委員会ではなかったのか。

環境アセスメントの理念は、「環境に影響を与える事業を行うにあたって、
事前に環境の現状と事業が与える影響を評価し、関係住民の意見を取り入れながら複数の代替え案の中から環境に最も影響の少ない方策をとり、事後評価も適切に行う」である。

二十一世紀を生き抜く人類を含めたすべての生物、地球にとって最大の問題は環境問題であることは人々の共通認識となっている。

二十世紀は環境破壊、地球破壊の歴史であった。その反省に立って、環境影響評価という考え方が生まれたはずである。
平成9年6月、OECD加盟国で29番目(最後)に環境影響評価法を施行したのが、わが日本である。
「美しい日本」「美しい国、日本。」「美しい国へ」「美しい国づくり内閣」
得々と叫ぶ安倍内閣の環境省が何故、このような世界の動きに逆行するようなことをするのだろうか。

環境影響評価法は次の第一条で始まる。
「この法律は、土地の形状の変更、工作物の新設等の事業を行う事業者がその事業の実施に当たりあらかじめ環境影響評価を行うことが環境の保全上極めて重要であることにかんがみ、環境影響評価について国等の責務を明らかにするとともに、規模が大きく環境影響の程度が著しいものとなるおそれがある事業について環境影響評価が適切かつ円滑に行われるための手続その他所要の事項を定め、その手続等によって行われた環境影響評価の結果をその事業に係る環境の保全のための措置その他のその事業の内容に関する決定に反映させるための措置をとること等により、その事業に係る環境の保全について適正な配慮がなされることを確保し、もって現在及び将来の国民の健康で文化的な生活の確保に資することを目的とする。」

そして第一種事業に「電気事業法に規定する事業用電気工作物であって発電用のものの設置又は変更の工事の事業」とあり、発電所が対象になっている。

世界標準に比べれば、まことに不十分な我が国の環境影響評価法を本来改善すべき方向に持っていくべきなのに、それに逆行する動きである。
環境省は環境保全に対する国の責任をなおざりにしている。

事業者は、なぜこれまで電源立地が困難であったのかについての反省がない。事業関係者による秘密裏の計画の進め方が、国民・関係地元住民の合意形成の達成の大きな障害となってきた。
竹中平蔵はその著書『竹中平蔵大臣日誌』のなかで、自らの構造改革体験を通して、「日本ではいまだに過去の政策と行政の総括が十分に行われていないことである。政府の政策、行政の対応は十分だったのか、検証があってしかるべきである。」と厳しく指弾している。

我が国の公共事業、公益事業は、国民の前に、そのプロセスが、各段階で、情報公開されず、極秘裏に一部関係者間で決められる。それが利権構造に組み込まれる。国民や地元関係者に公表された時点では、計画事業が既成事実として、後戻りできない段階になり、事業者は「公共」「公益」の錦の御旗を振りかざし、強引に進めようとして猛烈な反対運動にあい、膠着状態が続く間に、当初の事業必要性が失われ、予算が倍増する。事業損益、費用対効果などは、「公共」「公益」の一言で押し通され、強行執行された挙句、事業完成時点で、本来の必要性がなくなる事例に事欠かない。

事業について、国民に事前に、すなわち、「政策段階」「計画段階」からタイムリーに情報公開されれば、国民の問題意識が高まり、様々な代替案も提案され、必要不可欠な事業であれば、国民の合意形成も最善の問題解決に向けて収斂する。

これまで公共・公益事業を推進してきた我が国行政組織の官僚群の「無謬性」など、いまどき、信じる国民はいない。むしろ「不信感」が増幅されているのが現実である。

民主主義社会は国民主権の社会である。主権者である国民を信じなければ、民主主義は機能しない。官僚達は、国民の知性、責任と義務を信じるべきである。