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映画『ダーウィンの悪夢』
について考える(2)


阿部 賢一

2007年3月17日


4.映画『ダーウィンの悪夢』についてタンザニアに関わる邦人のコメント

 前回紹介したタンザニアのムワンザ市を農村調査地の基地として使っている吉田昌夫氏は、「映画『ダーウィンの悪夢』を監督した「ザウパーの悪夢」に悩まされている。ザウパーの映画が現地の実態を伝えるものでない」と、痛烈な批判をしている*。

* フーベルト・ザウパー監督による映画『ダーウィンの悪夢』について
2006/10/06 http://www.arsvi.com/2000/0610fm.htm

 タンザニア在住23年、現地で観光ビジネス等を行っている根本利通氏は「ダルエスサラーム便り」*で三回にわたりヴィクトリア湖とムワンザの現状を紹介しながら、映画『ダーウィンの悪夢』についての現地発の貴重なコメントを出している。

*『ダルエスサラーム便り』No.47 「ヴィクトリア湖の環境問題」(2006年3月)
http://jatatours.intafrica.com/habari47.html

『ダルエスサラーム便り』No.49「ダーウィンの悪夢」(2006年5月)
http://jatatours.intafrica.com/habari49.html

『ダルエスサラーム便り』No.53『ダーウィンの悪夢』後日談(2006年9月)

 『今日のコラム』でも島津英世氏が特別寄稿していくつか疑問を呈している。

長編ドキュメント映画批評
ダーウィンの悪夢〜東アフリカ直送メッセージ〜
http://eritokyo.jp/independent/hshimadu-col0003.html

5.この映画についての誤解

 この映画を紹介する枕詞として使われている『生態系の宝庫で「ダーウィンの箱庭」』(後述)という用語から連想して、ヴィクトリア湖の環境問題を追及し、それに伴うグローバリゼーションの暗部を追求するドキュメンタリーと思ってこの映画を観たが、全然違った。

 映画『ダーウィンの悪夢』公式サイト(日本)は、「一匹の魚から始まる悪夢のグローバリゼーション」ではじまる。外来魚ナイル・パーチ(Nile perch)*が、この巨大な淡水湖に1960年代はじめ、たった一杯のバケツで投げ込まれ、それが、「ダーウィンの箱庭」の象徴であるシクリッド類(Cichlid---- haplochromis species)をどのように駆逐して行ったのか、その結果、水辺(ヴィクトリア湖の面積68,800 km2、その周囲総延長は3,440 km)とその背後地の人々の生活にどのような影響を与えたのかを告発するドキュメンタリーを期待したのだが、それが全くの誤解であり、まったく違う内容であることに、その期待を裏切られた。

 ヴィクトリア湖のムワンザ周辺と思われる場所のシーンだけである。

* 日本には「スズキ」として年間約3,000トン輸入されている。この魚が、日本のファミリーレストランフライをにぎわし、学校給食や弁当の材料に使われている。

-------ヴィクトリア湖の悲劇 ナイルパーチ
http://www.asahi-net.or.jp/~jf3t-sgwr/inyushu/nairuparthi.htm

消費地は日欧で、日本でもかつて白スズキの名で売られ、西京漬けや味噌漬けとして大量消費されている。

-------『ダーウィンの悪夢』を巡って 2006/12/21
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20061221

 ザウパーのルワンダ難民取材からイメージされた飢餓と食糧とアフリカへの武器輸出の闇という「悪夢」をリンクさせたドキュメンタリーである。

 ザウパーが来日して2006年11月8日の記者会見で次のように答えている。

 
この映画は魚についての映画ではなく、人間についての映画だということです。例えば、東京でスーパーマーケットにおいてある、どんな製品を見ても、バナナでも魚でも肉でもみな同じような物語があり、破壊的な出来事がその裏にはあると思います。それを見る目を持っているかどうかが問題なのです。

  出典:http://www.darwin-movie.jp/

 わが国でも、すでに多くの書物*が出版されているわが国へ輸入される食品の原産地にある環境破壊とそれに伴う発展途上国の諸問題と同列のテーマであったのだ。

* 鶴見良行『バナナと日本人 フィリピン農園と食卓のあいだ』岩波新書 1982年8月発行

村井吉敬『エビと日本人』岩波新書、1988年4月発行
石弘之『地球環境報告』岩波新書、1988年8月発行
石弘之『地球環境報告U』岩波新書、1998年12月発行

 さらに、ザウパーは、「この映画を観たヨーロッパでは、ナイル・パーチを食べないという誤解、タンザニアでは、この映画自体をボイコットするという誤解が生じた」という。

 そして、日本でもつぎの二つの質問をどこでも受けた、と。

 ひとつは「この映画では“飢餓”を描いているが死に掛けている人はいない。武器の話はしているが武器自体は映画に出てこない。カラシニコフの映像は出てこない。証拠があるのかどうか見せてほしい」

 これに対する彼の答えは、「みんなが知っている情報・知識を違う形で表現することだ」と素っ気ない。

 アフリカにおける武器の闇取引の実態は、果たして「みんなが知っている情報・知識」だろうか。そうゆうものがあるだろうと想像はできるが、実態を明らかにした「みんなが知っている情報」を筆者は残念ながら観たことも、読んだこともない。

 もうひとつの「(アフリカに)色々な問題があることは映画を観てわかりました。ではどうしたらいいか教えてください」に対する彼の答えは、「私は解決法を皆さんに教えるためにこの映画を作ったのではありません。ひとりひとりが未知のジレンマの前にいて、それぞれに考えてほしいと思います。問題の本質を見せて、その本質を観客に感じ取るようにしているのです。この映画を観た人は心が急くでしょう。その後、もっと理解したいと思い、何をしたらいいのか答えを見つけたいと思い、誰かに伝えたいと感じると思います。」

出典:http://www.darwin-movie.jp/

 自分で考えてアクションを起こせという、ザウパーの答えは当然だ。しかしながら、ザウパーのいう「問題の本質を見せて、その本質を観客に感じ取るようにしている」について、この映画を観た直後の筆者の感想は、彼の言う『問題の本質』は、実に不親切で、説明不足で誤解が生じる危険性がおおいにあること、断面的なシーンというみせかけで、観客の想像を誘い出すことを意図していること、監督の事前のシナリオに合致したシーンを撮り、それも、どうやら、やらせが多そうだ、ということである。

 これを指摘したサイトは、現地をよく知る日本人、現地英字新聞、米国のアフリカ文化研究者など多数ある。

 もうひとつ、最初のシーンから最期まで、画面にはナレーションもなく、解説もない。ザウパーの好みで選んだのではないかと思われる現地の人?と、一対一のインタビュー(one-on-one conversation)で、ザウパーが英語で問いかけ、ジーっと待って彼が望む答えを引出している、という感じだ。ストリートチルドレンや「骨場」(後述)で魚のアラ(頭部や身を削いだ骨部など)を雑木の粗末な棚に乾す老婦人に対しては、英語の分からない彼らに、ザウパーが英語で話しかけ、それを現地語であるスワヒリ語?に翻訳する声が聞こえ(相棒のサンドール?、顔は映らない)、多分スワヒリ語で答えているのを、その声が、今度は英語に翻訳するというシーンがある。

 この映画のシーンは、一対一のインタビューが特色である。

 ムワンザに到着し、ナイル・パーチを積んでヨーロッパに向かう貨物機のロシア人、ウクライナ人のクルーとザウパーと会話するシーンが多く、クルーと娼婦達との会話、クルーの宿舎での応答など、クルーを中心とするシーンが多く映し出される。その意図が何であったかは最後に分かる。ザウパーが引き出したかった、会話はこれであったのだ、と。

5.貨物機は何を積んでくるのか?

 映画のはじめの方のシーンから、武器類の持ち込みについて、ザウパーは関係者にしつこく聞く。貨物機がここに来るとき何を積んでくるのか?と。

 水産加工会社のマネジャー?は、「空っぽでくるんだよ」あるいは「おれには答えられない」と答えをはぐらかし、地元ジャーナリスト・チャチャは「武器を積んでいるのさ。アフリカの紛争で使われる武器が」と答えている。

 ロシア人クルーのひとり、航空エンジニア?の告白でこの問答を締めくくる。これをザウパーはラストシーン入れる。このシーンでザウパーはこの映画の「主張」としたのであろう。

 ロシア人は、自分は英語が下手で思うように話せないが、と自嘲気味に、とぎれとぎれ、ゆっくり話し出すシーンだ。

 その会話は、

Africa brings life to Europe. It’s a source of life, like food or young people, black people. Y’know, I have two flights from Europe to Angola with big machines, like tanks. I bring this to Angola. My company I think took the money, and after that I went to Johannesburg to take grapes and cigarettes back to Europe. So my friend told me, ‘Children of Angola received guns for Christmas day; European children received grapes.This is business. It’s a little story from me.I want all the children of the world to be happy. But I don’t know how to do it. . . .So many mothers….”

筆者邦訳:

 「アフリカはヨーロッパに命を運んでいるんだよ。それは、食べ物であり、若者であり、黒人であり、それらはみんな命の源だよ。おれは大型貨物機でヨーロッパからアンゴラに、戦車のような大型機械を二回運んだことがある。アンゴラに持っていったんだよ。おれの会社はこれで金を儲けたんだとおもう。そのあと、ぶどうと煙草を運ぶためにヨハネスブルグに飛んだ。そしてヨーロッパに戻った。仲間がこういったんだ。「アンゴラの子供達はクリスマスに銃を受け取り、ヨーロッパの子供達はぶどうを受け取ったんだよ」と。これはビジネスだよ。おれにとっては取るに足らないこと(little story)なんだ。世界中の子供達には幸せになってもらいたいよ。だけど、おれは、そうするにはどうしたらいいのかわからない。多くのお母さん達が-----」

出典:“The Little Story”: Darwin’s Nightmare, Hubert Sauper; Les Saignantes0, Jean-Pierre Bekolo By Kenneth W. Harrow publie le 28/12/2006“Africultures”---- http://www.africultures.com/index.asp?menu=affiche_article&no=4686


 しかし、ムワンザ空港に「武器が運び込まれて紛争地に運ばれる」という証拠はどこにも出てこない。

 これに関してタンザニア外務大臣が反論したと現地紙が報じている*。
* http://www.darwinsnightmare.net/Foreign_affairs_hits_at_Darwins_nightmare.html

 その要旨は以下の通り。

 2006年8月13日、タンザニアの外務大臣は映画『ダーウィンの悪夢』を非難して次のように述べた。

 
「この映画はタンザニアの海外に対する良好なそして実際のイメージを傷つけている。この映画には、タンザニア政府が合法的にせよ非合法的にせよ武器の輸送に積極的に関わったり、それらの動きを黙殺しているというような、ムワンザにおける武器の持込などについてのシーンはどこにも見当たらない。タンザニアはこれまで様々な局面で近隣諸国との和平対話を主宰してきた。その努力については関係諸国から称賛を得ている。タンザニアは調停者と(その反対の)妨害者の役割を同時に行うなどということは思いもよらないことである。」

 また資源・観光大臣も「世界中の多数の大学がタンザニアの真実を描くことに関心を示している。別のフランスのプロデューサーが「Other Side of Darwin’s Nightmare」と題する映画を撮るために6月に来訪した」とも語った。

 タンザニアの歴史を振り返ると、
大陸部は、1881年から第一次世界大戦まではドイツの殖民地の主要部分でタンガニーカ。ドイツが第一次世界大戦に負けて、英国の保護領となり、1961年独立。インド洋沖合い約30キロの英国保護領ザンジバルは、1963年独立。翌1964年、両国が合併してタンザニア連合共和国となった。その経緯から旧ザンジバル地区には強力な自治政府がある。合併後、1995年と2000年の選挙でザンジバルにおいて政治的対立が生じ、2000年には死傷者、タンザニア初の難民が発生する事態が生じたものの、2005年の選挙は、全体として民主的、平穏裡かつ透明性を確保して実施された。タンザニアは非同盟政策を基調としつつ、アフリカの統一と植民地の解放、独立等を強く唱え、アフリカ統一機構(OAU)、アフリカ連合(AU)、国連等の国際場裡においてリーダーシップを発揮してきている。
出典:外務省HP &Wikipedia

 独立したアフリカ諸国の歴史は、悲惨な内部衝突や、外部からの介入による混乱の多さとその長期化である。独立後のタンザニアにはそれがほとんどない。唯一、隣国ウガンダのアミン政権末期の1978年8月、アドリシ前副大統領によるアミン暗殺計画が発覚し、国民の支持率低下を自覚したアミンは、政治の常套手段、国民の目を外に向けるべく、隣国タンザニアへの侵攻を計画した。ウガンダ軍が同年10月31日、国境を越えてタンザニアに侵入、タンザニア軍が反撃に転じた。ウガンダ国内では、反アミン組織「ウガンダ民族解放戦線」が立ち上がり、翌1979年4月11日、ウガンダの首都カンパラ陥落、アミンがリビアへ逃亡したという、ウガンダとの戦争があった。この戦争では双方兵士による目に余る略奪行為があったようだ。

 石油危機、対ウガンダ戦争、旱魃などにより80年代、タンザニアは経済が疲弊した。その後は世銀・IMFの支援を得て、回復・安定に向かっている国である。
非同盟政策を基調にアフリカ諸国の平和と統一に向けてのリーダーシップを発揮してきたと自負する国が、武器の闇取引の玄関口になっているかのように示唆されれば、国の誇りをかけて疑いを晴らすべく努力し、上述のような反論するのは当然だろう。近隣諸国との外交紛争に発展しかねない危険性がある、きわめて政治性の高い問題であるから、「みせかけ」で想像させてしまう手法などという手法は、幾重にも慎重さが要求される。

 ザウパーのいう「問題の本質」を「みんなが知っている情報・知識を違う形で表現する」手法によるシーンが、観客に誤解を生じさせる。この映画全体を通して、ザウパーの現地の人々に対する「愛」を感じることはできない。EUにおいては、ナイル・パーチ不買行動なども発生し、貧しいタンザニアの経済は打撃を受けた。貧しい最貧国の人々を傷つけていることに、思いを致すべきである。

 キクウェテ・タンザニア大統領は、2006年7月31日、ムワンザの会議で演説して、ザウパーの映画『ダーウィンの悪夢』を非難した、と現地英字紙が報じている。ちなみに同大統領は昨年10月31日から11月3日まで、我が国の招待(実務訪問賓客)により来日した*。

* キクウェテ・タンザニア連合共和国大統領の来日(概要と評価)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/tanzania/visit/0611_gh.html

 あの映画はタンザニアについての素晴らしい国際的なイメージとヨーロッパへの魚の輸出を傷つけるものであった。真実と現実について全くのでっち上げ(complete fabrication)であり、それらを裏付けるものはなんにもない。この国に対して好意的でない映画だ。あの映画は噴飯ものであり、事実を裏付けるものは少しも(a inch of)ない。ムワンザを魚の輸出で希望のない場所であるとして描いている。タンザニアのイメージを傷つけることを意図したストーリーを誤り伝えていることに憂慮している、と。

 さらに、大統領は、
タンザニア政府は、報道の自由を大切にしてきたが、その自由は、中傷したり、損害を与えたり、傷つけたりするために誤って使われるべきではない。メディアは、徹底的に調査して、報道する前に十分な事実(facts)を収集すべきだ。それがプロフェッショナルの仕事であり、人々はそうであることに価値を見出すだろう、と強調した。

 大統領はタンザニアの海外公館に対して、ザウパーのドキュメンタリー映画によって与えられた悪い印象を払拭するように指示した。タンザニア国内は今まで近隣諸国の戦争に使われる武器などの輸送に関わったことはない。我々は地域の平和維持に努めている。なぜそれに逆行するようなことをする必要があるのか、と述べた。(概略)

出典:JK blasts 'Darwin's Nightmare'http://www.dailynews-tsn.com/page.php?id=2530

 わが国でもタンザニア大使館が大統領の意を受けてアクションを取ったとの報道があった。

 ナイルパーチは欧州でも人気で、日本にも切り身が年間約3000トン輸入されている白身魚。欧州では、映画の影響でナイルパーチのボイコット運動が起こり、タンザニア大統領が映画に批判声明も出している。関係者によれば、E・E・E・ムタンゴ大使は先月28日、配給会社のビターズ・エンドを訪れ、同社の定井勇二社長と面談。大使は「公開を差し止めることができないのは分かるが、見解を理解してほしい」と主張。「映画はうわさを事実に見せかけたもの。魚貿易は重要で成功しているビジネス。それがなければ、医薬品などが買えなくなってしまう。欧州では収益が減り、非常に困っている。日本の映画会社にはアフリカのよい面をもっと見せてほしい」などと訴えた。定井社長は「この映画はアフリカの悪いイメージを流布するための作品ではなく、グローバリゼーション(地球規模化)の問題点を描いたもの」と説明した。世界を動かしたドキュメンタリーは日本で、さらなる論議を呼びそうだ。-------スポーツ報知 2006/12/06

 タンザニアの大統領の冷静で格調の高い演説、その意を受けた在日タンザニア大使の穏やかなアクションである。

(つづく)