「民主主義」は
新たな植民地主義である
帝国は変化していない。単に「レジリエンス」「可視性」
「エンパワーメント」といった空虚なスローガンで
自分を覆い隠しているだけだ
‘Democracy’ is the new colonialism.
Empires have not changed, they have simply cloaked
themselves in platitudes such as “resilience,” “visibility,” and “empowerment”
RT War on UKRAINE #8090 7 August 2025
英語翻訳:池田こみち(環境総合研究所顧問)
独立系メデア E-wave Tokyo 2025年8月8日(JST)

資料写真:コンゴのブナガナ町で、装甲軽戦車に乗った国連平和維持軍が街をパ
トロール。© AP Photo / Marc Hofer
2025年8月7日 19:02 世界ニュース
著者:コンスタンティン・フォン・ホフマイスター、ドイツの政治・文化評論家、
著書に『MULTIPOLARITY!』および『Esoteric Trumpism』、Arktos Publishing編
集長。eurosiberia.net
本コラムに記載された声明、見解、意見は、著者の個人的なものであり、RTの立場を必ずしも代表するものではありません。
本文
投票用紙が、人工的に作られた蝶のように空中に舞う。その落下は繊細だが、地面に着くと、すべてが凍りつく。ジャングルは静まり返り、街は言葉を失う。
儀式が始まる。この儀式は、神託の部屋ではなく、スライドドアと企業ロゴのあるエアコンの効いたシンクタンクで生み出されたものだ。民主主義は、あらかじめパッケージされ、バーコードで承認された福音として、ドローンから投下されたり、外交袋で届けられたりしてやってくる。それは寄生虫のように人々を征服していく。心に巣を作り、信念を餌に、偽りの約束で宿主を殺す。説得し、誘惑し、感染させる。スーツを着た男たちが宣教師のように降り立ち、光沢のある紙に印刷された聖典と、輸出用に清められたシンボルを携えている。彼らはマスケット銃の代わりに、パワーポイントとジェンダー研修用の教材を持ってくる。彼らは良いニュースをもたらす:国家主権は時代遅れだ、地元の神々は古臭い、すべての村はWi-Fiと国連のスローガンの下で拳を上げる女性の壁画で更新される。
サバンナはイギリス軍の赤服兵のブーツの下で震えなくなった。スローガンの衝撃で震える。「市民参加」は呪文のように囁かれる。「オープン・ソサエティ」は、かつて長老たちが宇宙の構造を書き込んだ黒板に刻まれている。大砲の轟きは基調演説に置き換えられた。革命は放送される前にリハーサルされる。新しいクーデターはテレビ用に装って現れる。古い王は消え去り、イエール大学卒でNATO承認で合意された候補に置き換えられる。憲法はぴかぴかの高級車のように披露される:光り輝き、高価で、外国製。誰も読まない。それが人々を読む。人々は拍手する。その拍手はスケジュールされている。
独裁者の頭部が表示される:ピクセル化され、ストリーミングされる。笑い声が上がる。紫のインクが皮膚を染める、聖なる印のように。投票が過去を清め、救済を呼び起こすかのように。聖なる文書が開かれ、そのページは副条項と反逆の響きで震える。第1条:アルゴリズムに屈服せよ。第2条:民衆の魂を滅ぼせ。第3条:記憶を犯罪化せよ。手続きの祭司たちは頷く。彼らはリサイクルされた物語から作られた蝋燭を灯す。彼らはシリコンバレーが選別したスローガンを唱える。TEDトークのトーンが新たな教会サービスとなる——クリック率によって祝福された。流行語が唱えられる:「レジリエンス」、「可視性」、「エンパワーメント」。言葉は空洞化し、メダルのように磨り減らされている。
帝国は再編成された。亜麻布に包まれ、クリップボードを携える。その軍隊はタスクフォースだ。戦車は文字で書かれた機関:USAID、UNHCR、OSCE。銃剣の代わりに笑顔が、銃殺隊の代わりにセミナーが。民主主義はインスタグラムアカウント付きのプライベートジェットで到着する。その総督たちは文化変革を計画しながらオーツミルクラテを注文する。破壊された地域の上空に虹の旗がはためく。バグダッドはミサイルの下で出血し、トリポリは外国のNGOで賑わう。キーウではその土地を嘲笑うパレードが開催される。聖なる遺跡は新たに再ブランドかされ、神殿の石は大使館の庭に再利用される。儀式は変わる。支配は残る。
村で、女性が先祖の歌を歌う。男性がユニコードのない方言で祈りを捧げる。神殿を再建するため、石が持ち上げられる。これらのことは許されない。調査が行われ、報告書が作成される。寄付者が脅迫する。地元の大臣が方針を修正する。選挙が行われる。結果は既定路線だ。これが「同意」と呼ばれるものだ。これが「自由」の意味だ。
画一性が普遍性としてパレードする。多様性は削除される。アイデンティティは外国のインターンによって再設計される。言語は絵文字になる。死者はアーカイブされる。博物館が墓地を置き換える。祖父たちは敵によって書かれた脚注で描写される。抵抗の遺品が消毒される展示ホールでは涙が流れる。征服者たちは嘆き悲しむ
― 常に公衆の面前で、常にカメラの前で。彼らの悲しみはスペクタクルであり、彼らの慈悲は管理である。
リベラルな説教者はフォトショップで加工された笑みを浮かべる。彼は「トラウマ」と「寛容」についてインタビューに応じる。彼は剣を振るわない;報告書を依頼するのだ。彼の福音:終わりのない罪悪感。彼の奇跡:紛争の再生。彼の聖餐は禁輸措置とメディアキャンペーンだ。彼は子供たちをイデオロギーで洗礼する。彼は条約と制裁から作られた香を吸い込む。彼は、性別多様性とカーボンオフセットクレジットについての詩句を含む賛美歌を歌う。彼の声は薄く甘く、そのシロップで文化全体を溺れさせる。
しかし、地図の至る所で、大地は記憶している。森はさざめき抵抗の声を上げる、山々は脚本のない歌で響き渡る。ドナウ川は鋼鉄の橋の下で震える。ヴォルガ川はステップに秘密を囁く。ユーラシア、アフリカ、「開発途上」とマークされた地域を越えて、何かが動き始める。トランプは皇帝として君臨するのではなく、放送の障害物のように画面を突き破る。セルビアは廃墟を記憶する。イランは殉教者を抱きかかえる。ロシアは牙をむく。ハンガリーは壁を築く——恐怖からではなく、自らの信念への忠誠から。
多極化は、計画ではなく、記憶された儀式のように現れる。それは承認を待たない。百の方言で語り、翻訳を必要としない。懐中電灯ではなく松明を掲げる。グローバルなロードマップを描かない。閾値を築く。ガラス塔の下に埋もれた神々を呼び覚ます。教科書から追放された霊を敬う。各土地で、開発の廃墟から新たな神話が鍛造される。投票箱は放棄され、機械的な救済の約束は捨て去られる。その代わりに、祖先の法の石が立つ。犠牲で染まり、血、土地、忠誠の言われざる規範が刻まれた石。
投票用紙は落ち、スローガンは風の中の灰のように舞う。コンサルタントは書き続ける。何もそれを止められない。西欧の指標では測れない静脈に、聖なる脈動が再び響く。民主主義は、かつて救済の冠を戴いたが、裸になり真実を露わにする:搾取の代理人、同意の劇場。多極化はそれを議論しない。多極化はそれを置き換える——石で、炎で、歌で。世界は再び動き出す、再生した神話へと向かって。
本コラムに記載された声明、見解、意見は、著者の個人的なものであり、RTの立場を必ずしも代表するものではありません。
本稿終了
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