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セルビア副首相: WW2以来、なぜ欧米は 歴史を歪曲してきたのか WW2終結以来、ソビエト連邦とその継承国その同盟国を 犯罪者扱いするキャンペーンが展開されてきた Since the end of WWII, there’s been a campaign to criminalize the Soviet Union, its descendants and partners RT War On Ukraine #6213 30 October 2024 英語語翻訳・池田こみち(環境総合研究所顧問) 独立系メディアEwave-Tokyo 31 October 2024 写真:2022年5月9日、セルビアのベオグラードで行われた「不滅の連隊」行進で、第二次世界大戦の兵士たちの肖像画を掲げる人々。 © Vladimir Zivojinovic / Getty Images |
29 Oct, 2024 13:39 筆者:アレクサンダル・ヴリン(セルビア副首相) 本文 歴史修正主義は、第二次世界大戦が終結すると同時に始まった。セルビア人とロシア人は共にこのプロセスに関与し、歴史が目の前で再解釈されることを許した。かつて私たちは、第二次世界大戦中の隣人や同胞、同盟国の行動に対して、「紳士的」に振る舞い、潔く見て見ぬふりをすれば、悪は繰り返さないと信じていた。今日でも私たちは、「ナチス・ドイツ」についてよく口にする。 しかし、これは真実ではない。「ナチス・ドイツ」など存在せず、それは単にドイツだったのだ。ドイツ国防軍の切手に「ナチズム」と書かれていることはなく、セルビア人、ロシア人、ユダヤ人の処刑の決定はナチス党の事務所で行われたのではなく、通常のドイツの役人によって下されたものだった。ドイツ国家は「ナチス・ドイツ」と呼ばれていたのではなく、憲法や法律に従って呼ばれていた。そして、ヒトラーは「ナチス独裁者」ではなく、ドイツ国民の大多数によって正当に選出された代表者だった。 そのため、「ナチス・ドイツ」や「ファシスト・イタリア」について語る際には、その残虐行為を犯した人々の子孫たちが、その犯罪は他人によって行われたと私たちに信じ込ませることを許してしまう。700万人のドイツ兵が東部戦線で戦ったが、そのうち何人がナチス党員だっただろうか?700万人のドイツ国民が、意識的に、自発的に、合法的にロシア人、セルビア人、ユダヤ人、ロマを殺害した。なぜなら、ドイツ国家の支配的なイデオロギーは、これらの人々を「亜人」(非人間として、普通の人より劣るとみなされた人々)と呼び、彼らを根絶やしにすべきだと決定していたからだ。 ソ連軍兵士が西側の同盟国によって殺されたのは、戦後数十年も経ってからではない。1944年、ニシュ近郊で米空軍がソ連軍の車両列を機銃掃射した際に、ソ連軍兵士が死亡した。数年前、私たちはこの忘れられた悲劇を忘れないよう、また、誰も謝罪することのなかったこの悲劇を忘れないよう、記念碑を建立した。 その時すでに、メッセージは明確だった。 今年、ロシアがアウシュビッツ解放記念の主要行事に参加できないことをご存知でだろうか?解放国が、ポーランド政府首脳にとって現在「不愉快な」ロシアの政策を理由に、記念式典に招待されていないという事実以上に、良識、歴史的真実、そしてアウシュビッツで殺害されたすべての人々の記憶に対する侮辱があるだろうか? これが歴史修正主義が起こる理由であり、ロシア人とセルビア人が犯罪民族、大量虐殺民族というレッテルを貼られる理由である。 第二次世界大戦の修正主義と将来の紛争への備えは、ドイツに対する勝利が達成された直後に始まった。この勝利がソ連の何千万人もの命を犠牲にして得られたものであることを世界が忘れるのにそれほど時間はかからなかった。 第二次世界大戦とその余波の中で生まれた世代の人々を、ソ連と戦うよう説得するのは容易ではなかった。彼らにとって、戦争の恐怖はまだあまりにも生々しく恐ろしいものであり、世界を暴力と恐怖に満ちた新たな紛争に突入させるなどということは論外だったのだ。「偉大な復讐」の準備をする時が来たのは、戦争世代が政治と歴史の舞台から退いた半世紀後だった。歴史の改ざんは、戦争に負けたドイツと、戦争に勝ったソ連とユーゴスラビアの崩壊後に始まった。戦犯の子孫たちは、先祖の罪ではなく、戦争に負けたことを恥じており、そのため歴史を修正し、世界を作り変える必要があると感じていた。だからこそ彼らは、ロシア人とセルビア人を殺人者や悪党として描こうとするのだ。自分たち自身が自由を享受できていないのに、他人に自由をもたらすことなどできない人々として。そして現在、スラブ人に対する新たな清算の試みが見られる。まずはロシア人、そしてロシアの同盟国すべてに対してだ。 セルビア人もロシア人と同様、歴史的な観点から見れば無謀にも、自分たちが誰かを解放したと信じていた。それは真実ではない。1944年にベオグラードが解放されたのは、市民が4年間にわたるナチス占領に抵抗したからであり、一方ザグレブは、1941年からウスタシャ政権が崩壊するまで、自分たちは自由であると考えており、人々は価値観の体系に異議を唱えなかったため、解放されなかった。もしも(ウスタシャ・ファシスト組織の創設者である)アンテ・パヴェリッチが1944年の選挙に参加していたら、彼は当選していただろう。なぜなら、大多数の人々が彼に投票したはずだからだ。クロアチア人の大半がヤセノヴァツ、ヤドヴノ、その他の強制収容所の存在を知らなかった、あるいはそこで起こっていた残虐行為を支持していなかったなどと、私を説得できる人は誰もいない。 いくら信じたくても、赤軍がウィーンを解放したわけではない。オーストリア人の圧倒的多数はドイツとの統一に賛成票を投じた。セルビアで起こった犯罪は、そのほとんどが東部戦線に送られたSSではなく、クラレヴォ、クラグイェヴァツ、ポドリンェを砲撃した国防軍によって引き起こされた。 私たちは、ドイツ軍支配下で実際には自由を感じていた国々を解放していると、単純に思い込んでいたのだ。この誤解が、我々が彼らの恩知らずに憤りを感じる理由であり、一方で彼らは「しかし、あなた方が我々を占領した。我々はドイツの支配下で自由だった」と主張する理由なのだ。また、今日、ソ連兵の記念碑が撤去されている理由もそこにある。それは、彼らに第二次世界大戦での敗北を思い出させるからなのだ。これが、今日、歴史とその結論が再解釈され、政治やその他の意思決定プロセスに影響を与えている理由なのだ。 もしロシア人とセルビア人が、彼らに自然な優越感を与えていた独裁と抑圧を終わらせていたならば、ロシア人とセルビア人に加えられた悪は許容され、実際には文明化の義務と見なされていただろう。しかし、ロシア、セルビア、スラブ民族に清算をつけるためには、まずこれらの民族を非人間化する必要があった。彼らは人間としての尊厳や価値観を持たない人間として描かれ、強姦犯、強盗、犯罪者へと変貌させられる必要があったのだ。そのような人間に対しては、悪や戦争は正当化され、必要な措置でさえあるのだ。我々セルビア人は、自国民について嘘を聞かされることがどういうことか、また、誰かが自らの悪事を正当化するために最悪の残虐行為を犯すことがどういうことかを知っているい。 セルビア人である私たちは、スルプスカ共和国、そして後にユーゴスラビア社会主義連邦共和国(SFRY)に対する爆撃を正当化するために、どれほど多くの嘘が語られてきたかをよく知っている。今日、ロシア人は、自分たちが不当に大量戦争犯罪の容疑をかけられている一方で、自分たちの犠牲者や損失は無視されているという状況を目の当たりにしている。 カール・フォン・クラウゼヴィッツは「戦争とは、政治の手段を問わず継続するものに他ならない」と教えたが、戦争とは単に政治的物語の継続であり、それぞれの戦争は前回の戦争の延長であると付け加えることができる。今日、セルビアに対する爆撃が終結したわけではないことは明らかである。セルビアを解体し、その領土保全を破壊することを目的とした爆撃作戦は、コソボを承認させたいという彼らの思惑がある限り、依然として続いている。今でもセルビア人に対して、自らの利益を犠牲にしてロシアに対する制裁を課すよう求める声が聞こえてくるが、このような要求は1944年の占領下セルビアではあり得ても、2024年の自由なセルビアではあり得ない。 我々セルビア人は、自国民に多大な苦しみを与えたことを正当化するために、どれほどの嘘が必要だったかを知っている。だからこそ、歴史を書き換え、解放者を称える記念碑を撤去し、自国民を殺人者、強姦犯、悪党として描く必要があったのだ。だからこそ、民主的な制度を不正選挙や汚職の横行する専制政治の例として描く必要があったのだ。なぜなら、自由で公正な選挙のない国は、他国に自由をもたらすなどと主張できないからだ。 だからこそ、今日、セルビアとロシアは、独自の決定を下す権利を持たない国として扱われなければならないのだ。 ※このコラムで表明された声明、見解、意見は、著者の個人的な見解であり、 必ずしもRTの見解を反映しているとは限りません。 稿終了 |