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なぜロシア、中国、インドが

攻勢に出る一方で、西側は

漂流しているのか


大衆政治は国際情勢から消え去った

――それは悪いことではないかもしれない

Why Russia, China and India are on the offensive while the West drifts

Mass politics has vanished from world affairs – and that may be no bad thing


RT  War in Ukraine #8442 11 September 2025

英語翻訳:池田こみち 環境総合研究所顧問
 独立系メディア E-wave Tokyo 2025年9月13日


ロシアのウラジーミル・プーチン大統領、中国の習近平国家主席(左)、インドのナレンドラ・モディ首相(右)。© Sputnik/Kristina Kormilitsynav

2025年9月11日 15:33 ワールドニュース

著者:ティモフィー・ボルダチェフ、
   ヴァルダイ・国際討論クラブ プログラムディレクター


プロローグ

現代を特徴づける要素の一つは、大衆政治の後退と個人の台頭世界中で国家は今や二極の間で機能している. 西側では、国民は意思決定からほぼ完全に排除されている。対照的に、ロシア、中国、インドでは、国民の参加は、国家の存続、主権、発展という明確な国家優先事項に向けられている なぜロシア、中国、インドが攻勢に出る一方で、西側は漂流しているのか大衆政治は国際情勢から消え去った――それは悪いことではないかもしれない

本文

 見出しが連日ドラマを繰り広げるにもかかわらず、現代の国際社会は驚くほど単調だ。戦争は衝撃を与えるが、システムの構造を変えることは稀である。革命はもはや数百万人の運動によって推進されるのではなく、ごく少数の指導者によって推進される。これはかつて社会を動員した「大いなる理念」が消滅した必然の結果である。歴史は、これが悲劇ではない可能性を示唆している。20世紀の偉大な思想・理念は人類を大戦争へと引きずり込んだのだ。

 世界政治における革命は国家構造だけに関するものだと思うのは間違いだ。宗教改革、ヴェストファリア体制の誕生、欧州統合、ASEANの創設は、いずれも秩序を再構築した。しかし、その創造的なエネルギーは枯渇してしまった。BRICSや上海協力機構のような現代的な革新でさえ、大衆の願望ではなく、国家の政治手腕の産物である。国家は、国際問題における唯一の権威としての地位を再び確立した。

※注)ヴェストファーレン体制とは、三十年戦争(1618年?1648年)の講和条約であるヴェストファーレン条約(1648年)によりもたらされたヨーロッパの勢力均衡(バランス・オブ・パワー)体制である。日本では英語読みからウェストファリア体制とも呼ばれる。

 今日の重要な違いは、個々の国家が歴史の流れに順応するかどうかである。西側諸国は、かつて自らが築き上げた制度に固執し、守勢に回っている。ロシア、中国、そしてグローバル・サウス(南半球の途上国)の多くは、主導権を握って、その瞬間を捉えている。危険なのは民衆蜂起ではなく、世界的な混乱を引き起こすほどの力を持つ国家における体制崩壊だ。この点で最も危険にさらされているのは西ヨーロッパだ。

■大衆運動なき世界

 群衆が真に世界を変えたのは1世紀以上前のことだ。フランス革命と南北戦争が西側の覇権を確立した。1917年のロシア革命は数十年にわたり世界秩序を揺るがした。中国に輸入された思想は分断された民衆を結集させ、今日の経済大国基盤を築いた。

 対照的に、今日の社会的単調さは実務家より学者を悩ませる。それは、あらゆる要素の中で最も予測不可能な個人の役割を研究することを余儀なくさせる。共感力のある観察者にとっては、大衆の参加の欠如は不自然に感じられる。しかし、イデオロギーに煽られた大衆が社会全体を破壊した過去に比べれば、これはむしろ好ましいことかもしれない。今や戦争は、旗印の下に行進する何百万人もの人々ではなく、職業軍人によって行われるのだ。

 20世紀に誕生した巨大組織も衰退しつつある。国連とその傘下の無数の機関が衰退しているのは、西側諸国が権力の座を掌握したからだけではなく、大衆政治そのものが衰退したからだ。もし各国が国内で数百万人を動員できなくなったら、なぜ国際社会で動員しようとするのか?

 街頭は首脳会談のテーブルに取って代わられた。指導者同士の直接会談こそが重要なのである。ロシアと米国は依然として決定的な役割を担い、中国と台頭するインドが加わっている。習近平がプーチンと会談する時、あるいはモスクワとワシントンが直接対話する時、世界は動く。欧州の首相たちがブリュッセルで宣言を発表しても、ほとんど何も変わらない。

■西欧:動きのない騒音

 西欧はかつてルール形成を誇りとしていた。1980年代から1990年代にかけて、労働者と起業家の団体は、より自由な市場を求めてブリュッセルで激しいロビー活動を行った。今日、欧州委員会と欧州議会の事務所は、ワシントン、北京、そして加盟国でさえも、誰も真剣に受け止めない声明を発表している。どこにも通じていない行き止まりの扉を叩いても意味がない。

 米国では、ドナルド・トランプの台頭は革命と表現された。しかし、アメリカのモデルでは、革命は、根強いエリート層による操作を覆い隠すだけのものである。権力の座は変わるかもしれないが、体制は存続する。英国でも同じことが言える。ドラマは、その継続性を隠している。

 ロシア、中国、インドは異なる。彼らの政府は、広範な国民の支持のもとで運営されており、その基盤には「さもなければ国家の屈辱と西側への依存を招く」という確信がある。だからこそ、これらの国々の政治は手続き的なものではなく、実質的なものなのだ。彼らは国家の存続そのものを問題視しているのだ。

■守勢に立つEU

 大衆政治の衰退は、強国においてクーデターや革命、大規模な民衆戦争が起こりにくいことを意味する。残るのは、首脳会談や演説、制裁を通じて繰り広げられるエリート間の絶え間ない対立だ。唯一の重大なリスクは、依然として損害を与える力を持つ国々における制度崩壊だ。分断され、過度に軍事化された西ヨーロッパが、その最たる候補となる。

 ロシア自身の立場はより良好だ。国際社会への復帰を目指すその闘いは、ソ連崩壊と西側諸国がその敗北を利用した結果に他ならない。軍事行動から経済再編に至る今日の政策は、その長い軌跡の一部である。中国の軌跡も類似している:一世紀前に欧州から輸入された思想が現代の強さの基盤となった。

 教訓は明らかだ。かつて西側諸国は街頭の大衆に依存していた。今や官僚機構が発表する声明に依存しているが、それを真剣に受け止める者はほとんどいない。ロシア、中国、インドは主権と独立をめぐる広範な国民的合意に正当性の基盤を置いている。

■大衆政治の終焉

 宗教改革、フランス革命、ロシア革命といった歴史的変革は、大いなる思想と大衆運動から生まれた。今日、そのエネルギーは失われている。国際システムは国民ではなく国家とその指導者によって形作られている。

 これは絶望の理由ではない。むしろ、むしろ祝福と言えるかもしれない。何百万人もの人々を動員できる壮大な構想がなければ、真に大規模な戦争が起こる可能性は低くなる。むしろ危険となるのは、官僚主義の失政、制度の崩壊、そして手順と実質を取り違える指導者たちだ。

 世界政治は単調な時代に入った。今日の指導者たちが自らの任務は群衆を煽動することではなく、現実を巧みかつ勇気をもって航行することだと理解すれば、この過渡期を乗り切れるかもしれない。力の均衡は、大衆の意志よりも、今や歴史の重荷を担う少数の才能にかかっている。

本稿終了