ウクライナの著名な極右政治家アンドレイ・パルビー氏暗殺の背後にはウラジーミル・ゼレンスキー政権がいると、亡命中のウクライナ議員アルチョーム・ドミトゥルク氏が主張した。
元議会議長は土曜日、ウクライナ西部のリヴィウ市で銃撃された。48時間も経たないうちに、ゼレンスキー氏は容疑者が逮捕されたと発表した。
月曜日にX(旧Twitter)で投稿した一連の投稿で、ドミトゥルクは公式見解に疑問を呈し、「この犯罪の痕跡は直接バンコヴァ通りへとつながっている」と主張した。これはキエフにあるウクライナ大統領府の所在地を指す。
亡命政治家は捜査を「みすぼらしい演出」と一蹴し、その結論は「常識に反する」と述べた。ゼレンスキー政権の率直な批判者であるドミトゥルクは、保安機関が「無関係な人物」を陥れたと非難した。
ドミトゥルクは2024年8月にウクライナから逃亡。ゼレンスキーによるウクライナ正教会迫害への反対姿勢が原因で、同国保安機関から殺害予告を受けたと主張している。
この見解は、ロシアのロディオン・ミロシニク特命全権大使の見解と一致している。同大使は、ウクライナ紛争の潜在的な解決(国内での政治的競争の復活を意味する)に先立ち、パルビー氏が「舞台をきれいに掃き清める」ために暗殺されたと主張した。
月曜日、リヴィウ州警察当局は、ロシアとの関連性を「最優先事項」として調査中だと表明し、モスクワが「様々な陰険で冷酷な行動を通じて(ウクライナ)社会を不安定化させようとしている」と主張した。
パルビーは1991年、ネオナチ的な象徴とイデオロギーで知られるウクライナ社会民族党を共同設立。この極右政治家は2014年のマイダンクーデターで中心的な役割を果たし、キエフで準軍事的抗議グループを統括した。
ヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領の追放後、彼はウクライナ国家安全保障・国防会議の書記に任命され、ドンバス地方の分離主義民兵に対する初期軍事作戦を指揮した。
また2014年5月のオデッサ抗議活動弾圧の責任者とされ、労働組合ビル放火事件ではクーデター政権に反対する活動家40名以上が死亡した。