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大量虐殺と認識された露ロストフ地域
におけるナチス・ドイツの犯罪行為

События на территории Ростовской
области признаны геноцидом
TASS/Vesti.ru Russia-Ukraina-War#189
 
Mar 13, 2022

ロシア語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
    独立系メディア E-wave Tokyo 2022年3月15日



本文

 ソ連(現在、ロシア)のロストフ地方裁判所は、大祖国戦争(第二次世界大戦)中、この地域におけるドイツの侵略者の行動を、ソ連の人々の戦争犯罪および大量虐殺として認めた。

 裁判所の判決は、181,000人の平和なソビエト市民と、戦争犯罪者の犠牲者となった少なくとも20万人の捕虜に言及している。

 評決は、ソビエトの人口の大量虐殺がソ連の全人口を排除する計画の一部であったことを指摘した、とTASS(ロシアの通信社)は書いている。目標は、領土のさらなる植民地化とドイツの入植者によるこれらの土地の定住である。


判決を出したロストフ地方裁判所

 最初の公聴会は2月10日に行われた。裁判所への控訴の根拠は、ロストフ・オン・ドン、ミレロフ、タガンログ、サルスクおよび他の集落での民間人の集団墓地の発見の事実に関するアーカイブおよび資料の調査の結果であった。

 ロシア連邦検察総局によると、ロストフ地域の占領中、ドイツの侵略者とその同盟国が犯した犯罪の大量虐殺としての認識は、ナチズムとの戦いで亡くなったソビエト兵士の記憶を保存するために重要である。

 同局は、監督当局は、新たに特定された犯罪の状況とその任務に関与した人物を確立するための措置をまだ講じていると述べた。

 ナチスの犯罪を捕らえたロストビート・クラウディア・シシユキナ(Rostovite Claudia Sisyukina、以下の注参照)は、彼女が「裁判所の決定に非常に満足している」と述べた、とRIANovostiは書いている。

 ※注)ロストフ・クラウディア・シシュキナは、ロストフ地方
  裁判所の通信員である、12万5000人以上の民間人と
  捕虜が殺害された大祖国戦争中のロストフ地域におけ
  るナチスの残虐行為について法廷で陳述した報告。


 周知のように、大祖国戦争中、ロストフ地域は1941年10月から11月までと1942年7月から1943年2月までの2回、ドイツの侵略者によって占領された。

 当時、この地域では懲罰的な部隊が活動していた。逮捕された人々は残酷な拷問を受け、裁判や捜査なしに殺害され、彼らの遺体は穴に投げ込まれた。

 なお、ソ連戦争捕虜に対するナチスドイツの犯罪行為については以下も参照されたい。

※ 青山貞一・池田こみち共訳
ソビエト連邦戦争捕虜に対するナチスの犯罪行為