ウクライナはどのように 領土を拡大したのか? Always Been Here: How Ukraine Expanded Its Territory Over the Century Sputnik International War in Ukraine #1625 11 April 2022 翻訳・青山貞一(東京都市大学名誉教授) 池田こみち(E-wave Tokyo共同代表) 独立系メディア E-wave Tokyo 2022年10月7日 |
ウクライナはどのように領土を拡大したのか? 2022年4月11日 14:01 GMT 本文 ウクライナは単一民族国家であることをアピールしているが、実際には深く分断された国家である。西ウクライナと東ウクライナでは伝統が異なり、崇拝する英雄も違えば、話す言葉も異なる。 ウクライナの西部はオーストリア・ハンガリー帝国(その後、ポーランド、ハンガリー、ルーマニアなど様々な国家)に属し、東部はロシアの一部であり、ロシア人が住んでいたという単純な事実が、この分断を生んでいるのである。 この地図は、ウクライナがソビエト連邦からどのように領土を譲り受けたかを示すもので、1世紀にわたるウクライナの拡大過程を示している。 1917年11月20日 キエフでウクライナ人民共和国建国を宣言。 1917年12月12日 ハリコフでウクライナ・ソビエト共和国が成立。 1918年11月1日 リヴォフで西ウクライナ人民共和国が宣言される。 1919年 将来のウクライナ・ソビエト社会主義共和国(SSR)の概要が決定される。 西側領土はポーランドの支配下に入る。 1939 ソビエト・ウクライナの国境は第二次世界大戦中、1954年まで変更され続 ける。 1939年 東ガリシアがウクライ・ナソビエト連邦の一部となる。 1940年 ブコヴィナ北部とベッサラビア南部がウクライナSSRの一部となる。 1945年 トランスカルパチア地方がウクライナSSRの一部となる。 1954年 クリミア半島がウクライナSSRに編入される。 |