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アメリカ陸軍感染症医学研究所とは

池田こみち (環境総合研究所顧問)
 独立系メディア E-wave Tokyo 2021年7月25日
 
中国、COVID-19をめぐる米国の中傷に
「ノー」を突きつけるフォート・デトリック
の調査に約1千万人の中国人が嘆願
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環球時報  2021年7月23日 

参考資料

※1:アメリカ陸軍感染症医学研究所 Wikipediaより



アメリカ陸軍感染症医学研究所あるいはアメリカ陸軍伝染病医学研究所
Source: WikimediaCommons: パブリック・ドメイン, リンクによる

 アメリカ陸軍感染症医学研究所あるいはアメリカ陸軍伝染病医学研究所は、アメリカ陸軍基地フォート・デトリック内に設けられた研究機関である。

 2001年9月18日と10月9日に起きたアメリカ炭疽菌事件について、当研究所研究員ブルース・イビンズの単独犯行によるものであったと、彼の死後8日目にあたる2008年8月6日に連邦捜査局(FBI)が宣言している。「アメリカ炭疽菌事件」も参照のこと。

 近年、京都府立大学大学院教授塚本康浩らのグループと共同で、中東呼吸器症候群感染予防を期してMERSコロナウイルスに強く結合する抗体を大量精製する研究をおこなっている。

 1995年の映画『アウトブレイク』や2016年の映画『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』に当研究所が登場している


※2:フォート・デトリック(英Fort Detrick) Wikipediaより


「エイトボール」と作業員、1968年頃
Source:Wikimedia Commons:パブリック・ドメイン, リンクによる

 アメリカ合衆国・メリーランド州フレデリックにある、アメリカ陸軍の医学研究施設である。アメリカ軍における生物兵器の使用や防護に関する研究の中心拠点となっている。

 フォート・デトリックの歴史は、1929年、当地にフレデリック空港が建設されたことに始まる。第一次世界大戦で活躍したアメリカ陸軍少佐で医師のフレデリック・デトリック(en:Frederick Detrick)をたたえて、1931年デトリック・フィールドに改称された。1943年、航空センター業務が廃止され、アメリカ合衆国連邦政府は用地を拡張、キャンプ・デトリックと改称されてアメリカ陸軍の生物兵器研究施設になった。1956年、一時的でなく恒久的な施設となり、以来現在の名称でよばれている。

 フォート・デトリックでは、1943年から1969年にかけてアメリカ合衆国生物兵器プログラム(英語版)の中心施設として生物兵器の開発や実験、生産が行われた。1946年頃から旧日本軍の731部隊による実験資料が持ち込まれたとされる。

 最初の本格的な活動は炭疽菌の大量培養で、次いでブルセラ菌・野兎病菌の培養のための建物が建設された。1943年8月から1945年12月までに、ハツカネズミ60万頭・モルモット3万頭・サル166頭を含む17種類の動物が使用された。 1950年、容量1000m3の球形の大型実験設備「エイトボール」(8-Ball、en:One-Million-Liter Test Sphere)が完成、野兎病菌を詰めた爆弾の最初の実験が行われ、次いで炭疽菌の実験が行われた。2000頭のアカゲザルがこの実験に用いられた。

 1969年、リチャード・ニクソン大統領は攻撃用の生物兵器を作らないと言明。以降はアメリカ陸軍感染症医学研究所(USAMRIID、「ユーサムリッド」と発音)が設置され、対生物兵器・生物テロの防護研究を行っているとされる。同研究所は、バイオセーフティーレベル4の高度な設備を持ち、世界的にも知られている。防護研究用として、現在でも少量の生物兵器が配備されている。

 1971年から1976年7月にかけて、研究所は韓国内で大量の胎児の腎臓を買い付けていたことが明らかになっている。腎臓は中絶手術によって取り出された胎児のもので、韓国政府の輸出許可証を得て2万数千個がアメリカ国内に運び込まれていた。持ち込まれた腎臓は流行性出血熱の研究に用いられていたとされている。