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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ

「南京大虐殺」の生存者の一人:
9歳の時、家で料理を作り、
日本兵に強制的に虐待されていた

那个南京大屠杀幸存者之一:
9岁时她在家煮饭,被日军强行凌辱

出典:亮剑出鞘レポート 2021年10月22日

中国語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2021年10月23日

 

出典:亮剑出鞘レポート(これは資料写真)

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本文

 日本軍が中国国内で行った犯罪は数知れず、中でも世界に衝撃を与えた「南京大虐殺」はその最たるものであろう。

 1946年に南京で行われた中国の軍事法廷によると、日本軍が南京で行った犯罪は多くの人の想像を超えたもので、当時、銃殺され生き埋めにされた中国の兵士と民間人の総数は30万人以上で、この数字の裏にはそれぞれ新鮮な命があり、聞いていて胸が締め付けられる思いがした。

 何千人もの中国人女性もこの時期に辱めを受け、そのほとんどが拷問されて死んだ。 幸運にも生き残ったごく一部の人は、後遺症が残ったが、南京大虐殺の生存者の一人である雷貴英さんもその一人。


雷貴英(レイ・ギイン)さん  
出典:亮剑出鞘レポート

 9歳の時、家で料理をしていた彼女は、日本兵に強制的に虐待されていた

 雷貴英(レイ・ギイン)さんは南京市江寧区の上峰村で生まれ、彼女が7歳のときに父親が悲劇的に亡くなり、その後、墓じまいの結果、母親が直接強制的に連れ去られ、それ以来、行方がわからなくなってしまったという。

 両親を失い、放浪と物乞いの生活を始めた雷桂英は、故郷の江寧省上峰村から唐山鎮に避難した際に、親切な家庭に養子として迎えられた。 混乱した時代の中で、若き日のレイ・ギエイには居場所があっても良かったのではないだろうか。


出典:亮剑出鞘レポート

 残念なことに、彼女が9歳の時、日本軍が唐山の町に押し寄せ、2人の日本兵が自宅の台所で彼女を虐待するという、彼らにしかできない行為が行われた。 この事件は、当時まだ9歳だった少女に大きな衝撃を与えた。 体が不自由になっても、この少女の人生は続いた。 彼女が予想しなかったのは、悪夢はまだ始まったばかりだということだった。

 南京陥落後、彼女は何度も日本人から虐待を受け、その幼い心に消えない影を落としていた。 その中でも一番ひどかったのは、生きていくために日本人の家に行って子供を育てなければならなかった時のことである。

  彼女が予想していなかったのは、家庭内の子供ではなく、慰安婦になることを強いられ、その間、非人道的な拷問を受けていたことである。 頭の傷はライフルの尻でつけられたもので、太ももは日本兵にナイフで刺されて不自由になった。

 また、子供を産めなくなったのも時間の経過によるものである。 慰安所に収監されてから1年余り、ようやく脱出のきっかけをつかみ、帰国することができた。


雷貴英(レイ・ギイン)さん 
出典:亮剑出鞘レポート


南京大虐殺の生存者の一人、雷貴英のその後どうなったか?

 そもそも子供を産む能力を失っていたため、結婚して息子と娘を養子に出した。 若い頃は夫に付いて小さな商売をして生計を立て、夫が亡くなる頃には自分の息子や嫁に付いた。

 年齢的にも貯金がないため、土地取得の補償金や政府が発行する低所得者向けの保証金で生活しなければならず、苦しい生活を強いられていた。 彼女は、他国の慰安婦が日本軍の犯した罪を告白したことに触発され、自分も同じように勇気を持って、日本の犯した罪を公に証言しようと決意した。


雷貴英(レイ・ギイン)さん 
出典:亮剑出鞘レポート

 2007年、脳内出血のため79歳で死去。 生前、南京の各界の人々は彼女の状況を心配し、彼女への同情と称賛の気持ちを込めて、率先して医療費の募金を行った。

特記事項:上記コンテンツ(写真や動画の場合)は、情報蓄積サービスのみを提供するセルフパブリッシング・プラットフォーム「NetEase」のユーザーがアップロード・公開したものです。


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