日本と中国の歴史をひも解くシリーズ ドイツZDFで放映された 映画「南京の良きドイツ人」 ジョン・ラーべ ドイツ語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授) 独立系メディア E-wave Tokyo 2021年11月8日 |
総合メニューへ 本文 フロリアン・ガレンバーガー監督の「ジョン・ラーベ」は、ドイツ映画賞だけで4部門を受賞した。2年後、ZDFはこの歴史的ドラマのために、夜の1時間を自由に使えるようにしました。より多くのシーン、背景情報、ドキュメンタリーを提供する。 ※注)ZDF ツェット・デ-・エフ【ZDF】(Zweites Deutsches Fernsehen) ZDFは第2ドイツ・テレビジョン協会。ドイツの第2テレビ放送の 実施機関。連邦政府が 1960年に設立した有限会社ドイツ・デ ジタルテビジョンが 61年に憲法裁判所により違憲判決を受けた ため,これに代るものとして各州政府が共同で設立したテレビの 全国放送組織。財源は受信料収入と広告放送収入。 ZDFと同じ くテレビの全国放送を実施しているドイツ放送連盟 ARDの「第1 テレビ」との間で,同一時間帯の内容の重複を避けるための調 整が行われている。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 長い間、ドイツではほとんど知られていなかった、ハンブルグの商人、ジョン・ラーベ。1937年、中国の首都・南京(現在の南京)で、日本兵の度を超した行為から20万人以上の人々を救ったドイツ人である。 中国では、1950年にベルリンで亡くなったラーベを国民的英雄として崇められているが、ドイツでは彼を知る人はほとんどいない。 それが、1990年代に「ラーベの日記」が出版され、2年前には映画が公開された。当時、映画を製作したフロリアン・ガレンベルガー監督は、「善良なナチス」の物語をスクリーンに映し出し、次々と賞を獲得していった。 しかし、映画が注目を集めたにもかかわらず、受賞したこの作品は、当時の映画館ではわずかな観客しか集めることができなかった。そこでZDFは、2011年10月31日(月)午後8時15分から、John Rabeの特集を行う。 ガレンベルガー監督の歴史ドラマは、スクリーンより50分長く、「映画版ではどうしても収まりきらなかった」(ガレンベルガー監督)シーンや背景を補い、90分ずつ2回に分けて上映される「John Rabe - Der gute Deutsche von Nanking」(ジョン・ラーベ-南京の善良なドイツ人)となる。 「heute-journal」と天気予報の後、午後11時40分から45分間のドキュメンタリーが始まる。その痕跡をたどっていくと、現在は高層ビルの中に建つシーメンス社の経営者の旧宅にたどり着き、中国で「生きた仏陀」と崇められていた男の物語を、オリジナルのフィルムや写真、同時代の証言者の協力を得て語ることができる。 ラーベの孫であるトーマス・ラベとウルスラ・ラインハルト、そして元「タゲステメン」の司会者ウルリッヒ・ウィカートの父親であり、中国でラーベと生活を共にし、1997年に日記を出版したエルヴィン・ウィカートにも話を聞いた。 日本軍が南京を包囲し、攻撃を開始したのは1937年12月のことだった。日本兵は民間人に対して、殺人、強姦、焼き討ちなどのひどい行為を行っていた。中国の数字によると、数週間で30万人が虐殺された「南京大虐殺」された。 そんな中、すでに南京に30年近く住んでいたラーベは、他のヨーロッパ人のように南京を離れることなく、自らの命をかけて中国人を助けたのである。 市内に住む他の外国人と一緒に、約4平方キロメートルの南京安全区を設定し、女性や子供、お年寄りが避難できるようにしたところ、ラーベは彼らの命を救った。「あの12月の日々は、文字通り死体を踏み越えていた」と彼は日記に書いている。「ほとんど一人一人が、十数回も殺される危険にさらされていた」。 映画監督のギャレンバーガーは、ラーベの日記を荷物に入れて、5年前に初めて中国を訪れた。「もちろん、ラーベの姿や彼の物語が政治的にデリケートなテーマであることは承知していました」と、そのことについて語っている。 少なくともドイツ人の視点からは、「ドイツ人として、日本の攻撃から中国の民間人を勇気を持って鉤十字の旗(ナチスの旗)を使って救おうとするNSDAPのメンバーを中心とした映画を作ることができるのか?」ということがある。ナチスの党員バッジと腕につけた鉤十字の腕章、そして党員手帳を持って、ラーベは日本占領軍に立ち向かった。 1800万ユーロの作品でタイトルロールを体現したトゥクルは、ドイツ映画賞の最優秀主演男優賞などを受賞した。当初は、2007年に亡くなった俳優のウルリッヒ・ミューエ(「Das Leben der Anderen」)がタイトルロールを演じる予定だったが、重病のためにキャンセルされた。 トゥクルは、ミューエに最初に質問したときのことを今でも覚えている。「Yes, you play it. メインはファーストネームを残すことです」とミュヘは答えた。パフォーマンスについては、ギャレンバーガーから「できるだけストレートに、シンプルに、プレーンに、飾り気のないものにしなさいとアドバイスを受けた。彼はこのアドバイスに従って、「飾り気のない」役を演じた。 ドリット・コッホ(DPA DPA 1937年、日本軍が中国の首都に迫る。そこに残された最後の外国人の一人であるドイツ人の商人が、破壊的な力に立ち向かう。 日付:20.08.20 「ジョン・ラーベ-南京の善良なドイツ人(後編)」:ジョン・レーブ(ウルリッヒ・トゥクル)と国際委員会のメンバー数人、そして数百人の中国人が木の門の前に集まっている。全員が一方向を向いている。 -ジョン・レーブ「南京の善きドイツ人」(2) 1937年、日本軍が中国の首都に迫る。A ... 映画 シーメンス中国会社」の常務は、自分のライフワークと現地の人々を、無抵抗のまま日本帝国軍に預けたくない。しばらくして日本軍が南京を占領すると、彼は交渉して日本軍に逆らい、南京安全区を作る。 ハンブルクのビジネスマン、ジョン・ラーベは、妻のドーラと一緒に30年近く、当時の中国の首都である南京に住んでいた。シーメンスの支店を管理している。後継者のフリースに経営を委ねてベルリンに戻ることは、彼にとって難しいことだ。 中国が好きになった彼は、自分が中国では影響力のある人物だが、ベルリンの本社では大勢の中の一人に過ぎないことを知っている。彼の送別会の最中、上海を占領していた日本軍の飛行機が南京を爆撃した。パニックに陥ったラーベは、会社の門を開けて、避難してきた社員の家族を安全な場所に連れて行く。 翌朝、火を消して被害状況を確認しながら、街に残った外国人たちは、この脅威に直面して何ができるのかを話し合った。 ドイツ系ユダヤ人外交官のローゼン博士が、上海に設置された民間人のための南京安全区について報告している。女子大校長のヴァレリー・デュプレはすぐに熱狂し、ドイツ人でありながら日本の「味方」でもあるジョン・ラーベを南京国際安全区の委員長に推薦した。 そのため、「ナチス」と呼ばれるラーベに反感を持っている病院の主治医、ウィルソン博士の怒りを買うことになった。本当は翌日には帰国しようとしていたラーベだが、ここに残ることにして仕事に打ち込んだ。 大日本帝国軍が一般市民に対して想像を絶する残虐行為を行う中、ラーベと戦友たちは勇気と技術をもって計画された南京安全区の設置に成功する。予想をはるかに上回る何十万人もの人々が南京安全区に集まった。 しかし、日本軍の攻撃はとどまるところを知らず、物資の供給状況はますます悪化していく。ついに日本軍は、口実をつけてこの地帯を襲撃する計画を立てた。ラーベにとっては、時間との戦いが始まる。 映画のキャスト ジョン・ラーベ - ウルリッヒ・トゥクア Dr. Georg Rosen - Daniel Brühl ロバート・ウィルソン博士 - スティーブ・ブシェミ Valérie Dupres - Anne Consigny ドーラ・ラーベ - ダグマー・マンゼル Langshu - Zhang Jingchu 朝家保彦 - 香川照之 ヴェルナー・フリース - マティアス・ヘルマン 中島今朝吾 - 杉本哲太 松井岩根 - 柄本明 メジャー・オセ - アラタ など スタッフ 監督 - フロリアン・ガレンバーガー 脚本家 - フロリアン・ガレンバーガー カメラ - Jürgen Jürges 編集 - ハンスイェルク・ヴァイスブリッヒ 音楽 - Laurent Petitgirard, Annette Focks 総合メニューへ |