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国にとってインドは、中国に対する駒に過ぎず、
独自の条件で尊重されるべき国家ではない

 
RT Op-ed 2021年8月31日
For the US, India is little more than a pawn to be deployed
againstChina – not a nation to be respected on its own terms

By RT Op-ed 31 Aug, 2021

翻訳:池田こみち (環境総合研究所顧問)
 独立系メディア E-wave Tokyo 2021年9月2日
 

(
左) インド大統領 ラーム・ナート・コーヴィンド
   Ram Nath Kovind. © Reuters / Katia Christodoulou;
(右) ジョー・バイデン © Reuters / JONATHAN ERNST


著者について>
Maitreya Bhakalはインドのコメンテーターで、中国、インド、米国、そして世界の問題について執筆している。ツイッターは、MaitreyaBhakalをフォロー。


本文

 米国は対中ハイブリッド戦争の同盟国を必死に探しており、北京との間に独自の問題を抱えるニューデリーを有用なパートナーとして切望している。それなのに、なぜ米国は同盟国にとってこれほどまでに役に立たず、無礼な態度をとるのだろうか?

■メリットのある友人

 米国には永続的な同盟国はなく、永続的な利害関係があるだけだとよく言われる。同盟国が現れたり消えたりしても、米国の国益(すなわち世界の覇権)は最優先される。すべての関係は取引関係であり、同盟国は地政学的な利益をもたらしてくれる存在でしかない。米国の政権は、戦略的な関心事だけに基づいて友人や敵を作り、道徳的なことにはほとんど関心がない。

 米国の外交官は、冷たく厳しい戦略的計算と冷酷な取引の組み合わせに頼るように訓練されている。どの国も地政学的計算にリアリズムの要素を持っているが、米国のように道徳や倫理を捨て去ることができる国はほとんどない。他の国では、少なくとも部分的には人間の価値観に基づいて行動していると思われるが、米国の指導者たちはそのような些細なことは気にしない。米国の官僚は、子供が殺されようが、都市が破壊されようが、仕事を成し遂げて米国の覇権に貢献することに固執する。

 本質的に、米国政権の外交政策-実際のところ、英国からナチスドイツまでのほとんどの西側政権の外交政策は-単に西洋の価値観を反映しているにすぎない。それらはすなわち、 制度化された人種差別、軍事的侵略、さらには目標を達成するための大量虐殺を行う意欲、空虚な楽観主義を装った無制限の虚無主義、他者への絶え間ない不信、違いを理解できないこと、偽善と欺瞞に対する文明の親和性などである。

 したがって、米国ほど国際法に違反している国はないと言っても過言ではない。さらに驚くべきことは、米国ほど国際法に違反していると他国に説教する国はないということである。米国は国際法に最も違反している国であり、しばしば自国の法律にさえ違反している。

 この政権は、ルールに基づく国際秩序をほとんど尊重しておらず、何世紀にもわたって約束や条約を破ってきた。米国で最も殺人的な国務長官の一人であり、そのサディズムに勝るとも劣らない機知を持っていたヘンリー・キッシンジャーは、かつてこのように述べている。「違法なことはすぐに実行するが、違憲なことは少し時間がかかる。」と。

 米国の政権にとって、同盟国は使い捨てであり、いつでも新しい友人を買うことができる。そのため、サダム・フセインはかつては親しい仲間だったが、ある日突然そうではなくなり、米国は彼を殺すことにしたのだ。タリバンは、かつて米国が多額の資金を提供して支援した殺人集団である。タリバンの場合には、アフガニスタンへの侵略で皮肉なことに米国を打ち負かした。

 80年代、米国はソビエトに対抗するアフガンのムジャヒディーンに資金を提供し、ウサマ・ビン・ラディンのようなリーダーを支援し、多額の武器、資金、訓練を提供した。そして、現代史の中で最も面白い逆転劇と逆噴射の一例として、これらの同じ「テロリスト」グループは、自分たちを養ってくれた手に噛みつき、 2001年9月11日に米国国内での攻撃で約3,000人の米国人を殺害したのである。

■そして今、インドへ

 文字通り、ヨーロッパ人が当時世界で最も豊かな国への海路を必死に探したことで存在する国であるにもかかわらず、平均的な米国人は、時折ヨガについて言及したり、カーマ・スートラについてのジョークを除いて、インドについてほとんど知らない。平均的な白人米国人とクリストファー・コロンブスの共通点は、どちらも大虐殺と奴隷制から利益を得たという事実を除けば、インドを地図上で見つけられないことである。

 米国の政策立案者でさえ、インドに対してほとんど敬意を払っていない。ワシントンの政策決定者の間では、インド嫌いの人や風刺画がよく見られる。ニクソンは、インドには「大規模な飢饉」が必要だと言い、キッシンジャーは、インド人は「ろくでなし」だと宣言した。しかし、それは冷戦真っ只中の1970年代の話である。現在、米国はインドを3つの主要な役割を持つ国と見なしている。

1)中国に対する重要なヘッジ

2)米国の兵器の重要な市場

3)米国の消費財の重要な市場であり、利益の源泉であり、海外調達のハブでもある

現在のインドと米国の関係は、ニクソン時代に比べてはるかに暖かいものになっている。米国の官僚たちが、今でも彼らの前任者たちのように憎しみに満ちた態度を抱いているかどうかは別にして、中国が両国をかつてないほど接近させた。人種差別的な憎悪は、しばしば地政学的な現実に後れをとる。

■敵の敵は敵

 2020年、インドと中国の間で、境界線のない国境を巡って激しい争いが起った。両国の軍隊の間で乱闘が起こり、双方に死傷者が出た。

 そこに米国が飛び込んできた。米国は、インドと中国の間に生じた新たな対立を利用して、反北京の課題を解決しようとした。米国政府は、インド国境での中国の行動を、南シナ海での中国の「侵略」と公に結びつけ、中国の好戦的なパターンを描こうとした(一方で、中国は世界各地に800の軍事基地を提供している)。米国のドナルド・トランプ大統領は、両者の仲裁を申し出たが、非常に抵抗感があり、両国は賢明にも拒否した。

 しかし、インドは米国から注目を浴びることを楽しんでいた。米国、日本、オーストラリア、インドの4カ国で構成される反中グループ「クアッド」が復活した。インドはそれまで最も消極的なメンバーであったが、ここにきてさらに踏み込むことに同意した。インドは米国の新たなトロフィーワイフ(男性が己のステータスシンボルにするため結婚した女性)となったのである。

■人質(駒)と権力(Pawns and Power)

 しかし、昔からの習慣はなかなか消えないものだ。中国に対するヘッジとしてインドにてこ入れしたいという欲求は、至上主義的な米国人の態度を後ろに押し込めたのである。覇権国家は通常、このようにすぐに他国への敬意を学ぶことはない。

 例えば、最近の新型コロナウィルスのパンデミックを考えてみよう。インドが壊滅的な第2波でワクチンや医療機器を切実に必要としていたとき、米国政権はワクチンの余剰分を蓄えていたにもかかわらず、またインドが困っていたときに援助を受け入れたにもかかわらず、援助を拒否したのである。友好関係を誇示している同盟国にもワクチンを送ることなく、ワクチンの期限切れを待っていたのである。

 結局、自国の政治家や有識者から多くの批判を受け、最終的には譲歩した。騒動の後で、憧れの相手を助けたということは、政権がいかにインドを重要視しているかを示している。遅まきながらの翻意は、同盟国を助けたいという純粋な願望ではなく、自国の評判を回復させるための遅れた試みに過ぎない。

 最近の別の事件では、米国の本性がさらに明らかになった。米国の政権は、南シナ海での「航行の自由」作戦を海軍に頻繁に命じている。米国は、この作戦は「国際法」に沿ったものだと言っている。驚くべきことに、米国海軍は最近インドに対しても同じことをしており、許可なくインドの排他的経済水域(EEZ)に侵入している。米政権の第7艦隊は、「インドの排他的経済水域内で、インドの事前の同意を求めることなく、航行の権利と自由を主張した」と自慢し、公然とインドをなじった。この声明では、インドの海洋権益の主張を「過剰」とまで言っている。

 この表現は、米国政権が中国に対して使っているものと似ている。このようなインドと中国の暗黙の同一視は、多くの人に衝撃を与えた。なぜなら、米国政権は、台頭する中国に対抗するためにニューデリーとの緊密な関係を求めていたからだ。

 皮肉なことに、米国はその「国際法」であるUNCLOS(国連海洋法条約)を未だに批准していないのである。「国際法」を謳って他国の法律に違反しながら、自らが施行している同じ国際法を批准しないことほど、米国らしいことはない。

 米国がインドに対してこれほど冷淡であるならば、他の西側諸国も同様である。EUは最近、アストラゼネカ社とオックスフォード社が共同開発したインド製のワクチン(通称「コビシールド」)を、同地域への渡航を検疫なしで許可する「グリーンパス」というワクチン認証制度で認めなかった。これは、インド製のワクチンが欧州製のワクチンと生化学的に同一であるにもかかわらず、である。インドが反発し、EUからの入国者にも検疫を義務付けると脅したところ、EU15カ国が譲歩した。いじめっ子は、しばしばいじめの言葉しか理解できない。

 もうひとつの試金石は、インドが最近ロシアのミサイル防衛システムS-400を調達したことについて、米国がどのように振る舞うかである。米国はこれまで、S-400を購入したトルコと中国を制裁してきた。

 年末に納入が開始されるインドにも制裁を加えるかどうかは未知数である。もしそうなれば、インドは米国にとって中国との地政学的ゲームの駒に過ぎないということが改めて示されることになる。そうならなければ、米国の反ロシア制裁は、米国政権が気まぐれに気に入らない国に振り回すだけのものであることが証明される。どちらの道を選ん
だとしても、米国は自らのハッタリをかますことになる。

■危機回避とハイブリッド戦争

 米国の政権は、インドを独自の国家として扱うつもりはなく、中国とのハイブリッド戦争のための使い捨ての戦線として利用するつもりであることが、次々と明らかになっている。しかし、それでも、窮地に立たされたインドや他の国々は、賢明にも米国の要求にすべて同意できないかもしれないが(ベトナムも最近米国を無視した)、注目を浴びることを楽しんでいる。

 中国の台頭に対抗するために同盟国を探している米国は、多くの場合、本物のプレゼントを携えてやってくる。インドにとっての最良の戦略は、米中の新たな大戦争から利益を得て、2つの国を互いに戦わせることだろう。結局のところ、自分自身が超大国になるまでは(過去2,000年の大部分がそうであったように)、超大国のライバル関係から利益を得ることが次善の策なのだ。


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