コラム 2004年 元旦に思う 「脱亜入欧」と「大日本主義」 青山 貞一 その4に |
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◆違憲状態下での自衛隊のイラク派兵 2004年1月から2月、イラクには大量破壊兵器が存在しないとブッシュ政権の元財務長官オニール氏そしてやはりブッシュ政権下でCIA顧問をしていたケイ氏が「宣告」した。何と、ブッシュ政権の要職にいた2人がイラク戦争の正当性がなかったことを証言したのである。 それより少し前、米国のカーネギー研究所から同様の調査報告が出されていた。 にもかかわらず、小泉首相は国会で詭弁の限りを尽くし、イラクに陸上自衛隊を派兵した。イラク特措法にある非戦闘地域の解釈についても、自衛隊が居るところが非戦等地域であるとさえ言い切ったのである。
この自衛隊のイラク本土への派兵は、以前から外延的に拡大していた憲法第九条の改憲論議をさらに拡大している。と言うより燃え盛っている。「よくぞここまで勝手な解釈がまかり通るものだ」と、その道の公法学者はもとより、国民の半数以上が怒っている。 小泉政権の憲法解釈は論外と言えるが、戦後政治を実質独占支配してきた為政者らは、歴史的にまさに好き勝手な憲法解釈によって、やりたい放題を行ってきた。その結果、日本では異常な違憲状態が継続されている。それだけでない。すなわち改憲論は自衛隊を海外に送るにとどまらない。為政者はは、憲法改正のなかで「集団的自衛権」を盛り込むことをもくろんでいる。その延長戦にあるものは、「徴兵制」である、と言ってもよい。 ここで改憲、とくに憲法第九条改正において「集団的自衛権」を主張する人々の意図を考える必要がある。 それは、なぜ、現状の第九条では不都合なのか、である。 逆説すれば、第九条の現状堅持を主張する側も、改憲を要求するする側も、日本の将来の国のあり方をしっかりと国民に必要がある。そこでは、日本がいわゆる「普通の国」になるために、第九条を改正しなければならない、と言った稚拙、安直な主張では、説得力がないだろう。 ◆「脱亜入欧」と「大日本主義」 江戸時代、松代藩、今の長野県出身の佐久間象山※1)は「小日本主義」的な日本を提唱したとされる。 この「小日本主義」の意味するところは、対外的膨張主義、すなわち「大日本主義」を排する国家思想である。もし、この「小日本主義」がその後の日本を支配したとすると、まったく異なった日本が誕生したことになる。 他方、明治維新以降、日本近代の民主主義の礎ををつくったひとり、福沢諭吉※2)は、「大日本主義」的な国家思想をもっていたとされている。それは佐久間象山の一番弟子の吉田松陰が「大日本主義」者であったことにも通ずるものがある。 少々唐突な議論ではあるが、私は日本の米国追随のひとつの大きな思想的源流は福沢諭吉にあると思っている。福沢は「官と民の平等」を提起するなどの思想において今日なお高く評価されている。が、他方、その福沢が「大日本主義」的な国家思想者である点は見逃され軽視されている。 明治維新における日本の多くの識者者、政治家らは、欧米諸国から民主主義や資本主義のイロハを学習するとともに、対外膨張主義を同時に学んできたのある。
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