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東京湾原油流出事故へのコメント(青山 貞一 環境総合研究所所長)

東京湾 夏季下げ潮時の流況分布(参考資料)

東京湾上空からの現地調査報告(概要)(青山 貞一 環境総合研究所所長)


東京湾原油流出事故の防除作業現場から

石井 純一


 事故発生当日の2日午後4時頃から、防除作業がほとんど終了した5日の午前中まで、防除作業の現場を回ってきました。海上での作業が主でしたので、一民間人の私が陸上から得ることのできた情報など、今回の事故のほんの一握りにすぎないでしょう。けれども、その少ない情報の中からも、様々な問題が浮かび上がってきます。現場に足を運ぶことによって初めて明らかになる問題もあるはずですので、ここで報告します。

 まず第一に、回収現場にいる船舶がオイルフェンスを持っていないということです。拡散防止という観点はもちろんの事、回収に当たってもオイルフェンスは必需品です。油膜は寄せ集めて厚みを増すことによって、初めて回収可能なものになるのです。海上防災センターの資料によると、Aランク(油膜の色が黒ずんで見える状態)の油膜でさえ、厚さは2ミクロンです。ちなみに今回の油膜に相当すると思われるB、Cランクの油膜は、それぞれ1ミクロンと0.3ミクロンの厚さです。同資料には、2隻の船艇でオイルフェンスを曳航展張し、スキマーで回収する方法が紹介されています。毎日新聞の3日の朝刊には2日午後6時半の写真が載っていますが、2隻の船艇がオイルフェンスをJ字型に曳航展張している様子が写っています。残念ながらこの写真からはスキマーの使用は確認できません。この写真が今回の事故における、私の知る唯一の曳航展張の作業風景です。また似たような方法では、三国の海上災害防止センターの倉庫で、U字オイルフェンスというものを見せてもらったことがあります。これは、畳6〜8丈位の大きさのU字型オイルフェンスで、U字の開いた部分に細工があり、止まっているときはここに蓋がされるようになっているのです。U字の左右の先にオイルフェンスを付けて2隻の船で曳航し、しばらくしてU字の中に油が溜まったら、この部分だけ切り放して新しいものに変えます。この様にして油膜のプールをたくさん作っていくというものです。また、回収船での作業の際にも、オイルフェンスで油膜をある程度の厚さになるまで集めないと効率よく回収できないといわれています。今回は東扇島防波堤の周辺で回収船による作業が行われましたが、これは防波堤が堤防の役目を果たしたと考えるべきでしょう。

 第2の問題として、回収量の問題があります。排出油のほとんどが回収されていないと考えられるのです。横浜市の2日17時の発表に海上保安庁の対応として「16:09 ヘリによる油処理剤散布を決定した。オイルフェンスから漏れた油の外側から処理剤を散布する。」とあります。3日朝の朝日新聞と毎日新聞にはそれぞれ2日の午後5時過ぎと午後6時半の現場の写真がでていますが、オイルフェンスは後者の写真に1本写っているだけです。この写真のフレームの外にあるのかもしれませんが、新聞報道でも2日の夜の段階で、現場には9キロのオイルフェンスしかなかったとあります。実際のヘリでの処理剤散布の開始時間はわかりませんが、いずれにせよ排出油のほとんどがオイルフェンスの外側にあったと考えられます。また、この発表には油膜の外周での処理のように書かれていますが、ヘリでの散布には高濃度の処理剤が使用されるので必然的に油膜の厚いところで行われることになります。つまり最も回収のしやすい油膜の濃いところは、ヘリによる処理剤散布で処理されたわけです。

 つぎに実際の回収量の方ですが、毎日新聞の5日の記事に回収船による総回収量は759klとあります。また建設省第二港湾建設局の発表には、3管本部のまとめとして、4日までの油と水が混ざった状態での総回収量が770klとあります。どちらを取るかは別として、どちらの数値も油粋の回収量と考えていいと思うのです。そして同局の発表では、清龍丸の回収量として3日は油220kl、4日は油8kl、第二蒼海の回収量として2日は油水110klで油15kl、3日は油水128klで油45kl、4日は油0、2klとあります。合計は、油で換算すると288、2kl、油水で換算すると466、2klとなります。回収船の回収法方としては、スキマーや柄杓など色々な方法があると思いますが、回収された油水における油の割合に関しては油膜の厚さだけを考えればいいと仮定しますと、第二蒼海のデータから得られる2日は13、6%、3日は35、2%という数値が他の船にも当てはまると考えていいと思います。色々な計算方法があると思いますが、油水での総回収量770klは油では362kl〜456klということになります。

 話が横にそれますが、第二港湾建設局のデータから、2日の回収効率の悪さ、3日の東扇島がオイルフェンスの役割を果たしたときの回収効率の高さ、4日の油膜拡散後の回収船での作業が不可能であるという事が読みとれます。

 今回の回収量の問題には自衛隊による吸着マットやゲル化剤による回収、岸壁周辺での吸着マットによる回収量は考慮に入れていません。自衛隊の資材投入量や回収量についてはわかりません。その他の吸着マットの使用については、第二港湾建設局が7360枚、川崎市が3日までで1450枚、横浜市が3日までで1350枚、千葉県が3日までで200枚と164メートル、という量がそれぞれの発表にでています。例えこの2〜3倍使用されていたとしても、吸着マットでの回収の効率の悪さを考えるとこの回収量は考慮に入れる必要はないと思います。

 第3の問題として、処理剤の散布効果の問題があります。通常は、処理剤は専用の装置で散布しますが、今回急にかり出された船艇にそのような装置が備わっているとは思えません。私が3日に大黒埠頭で目撃した処理剤散布や新聞報道に見られる漁船からの柄杓での散布を考えますと、多量の処理剤が油膜の処理をすることなく海中に拡散していったと思われます。川崎市の発表では、同市の回収作業は6日の正午まで続けられていますが、その記録では4日9時と5日8時55分に処理剤散布となっています。これは、夜の内に薄い油膜が岸壁に寄って濃い油膜となったものだと思います。5日に関しては、浮遊している黄色い油が30〜40メートルに、船が近づけないので陸上から処理剤を散布したとなっています。海上災害防止センターの資料には「分散可能であった油も、自然の風化等によって粘度が上昇すると分散は困難になります。通常、海上流出油に対して油処理剤による処理が有効に作用するのは気象・海象にも左右されますが、せいぜい1〜2日です」とあります。私は実際に黄色い泡に対して処理剤を撒いているのを見たことはありませんが、その効率の悪さは用意に想像が出来ます。

 第4の問題として、航走撹拌と放水撹拌の効果の問題があります。処理剤と油膜との接触の促進という観点から考えると、第2の問題の解決策という事になります。けれどもその場合は処理剤散布後どれくらいの時間の間に行えば有効なのかという問題が生じます。また、物理的な撹拌による分散の促進ということであれば、油が水に溶けるだけの物理的な力が、航走や放水にあるかという問題が残ります。千葉県の資料の中に、航走撹拌は効果無しという報告があります。

 第5の問題として、排出油は漂着するという問題があります。今回の事故では横浜市の磯子釣り公園から川崎市の浮島までの海岸に漂着しています。この地域はそのほとんどが人工護岸ですので、漂着しても陸に上がることはほとんどなく、海上での防除が可能でした。けれどもこれが千葉の海岸だったらどうでしょうか。今回のオイルフェンスの展張をみていますと、沿岸でのオイルフェンスの設置は各自治体の港湾局や消防局の役割ようです。その結果、港湾や水路にはフェンスが設置されます。またコンビナートなどの企業は自衛のオイルフェンスを持っているようです。問題は、漁場やその他の自然の海岸線です。千葉県の資料では、漁協関係のオイルフェンスの保有量が1、840メートルとなっていますが、どんな漁場を守るにしてもこれでは少なすぎます。また、海水浴場や自然海岸の沖に延々とオイルフェンスを張るという仕事は自治体の港湾には荷が重すぎます。こうしたことを考えると漂着後の陸上での回収方法、回収体制の確立が現実的な解決策と言えるでしょう。今回も、横浜市、千葉市、千葉県で陸上回収の準備が行われたようです。はたして、本当に回収が行われた場合、適切な対応が出来たのでしょうか。干潟、海水浴場、玉砂利の海岸、テトラポットなど、海岸線は様々です。また、排出油の方も今回の原油のような軽質のものからナホトカ号の重油まで色々なタイプがあります。ナホトカ号の陸上での回収防除作業の結果が、いま現在にまで多くの問題を残している事を考えると、もういちど陸上での回収防除作業について厳密な検討を行う必要があると考えられます。

 以上5つの問題点を指摘しましたが、第1から第4までの問題は、既存のシステムの組み替え、実際の回収作業における方法論の問題であり、海上保安庁や関係機関が改善すべき点です。処理剤の使用の是非については生態系への影響について、学識者からの提言を続ける必要があります。けれども、それも回収能力を上げることにより解決される問題だと思います。いずれにせよ、これらはマスコミなどを通して世間で問題点として認識されている問題です。それに対して、第五の問題は今回陸上での回収作業が行われなかったために、問題点として認識されていません。すでに、これらの問題点はナホトカ号の回収作業で明らかになっているのですが、解決されるどころか認識さえされていない始末です。第5の問題を世間に問題として認識させることと、その解決策の確立という課題が手つかずで残されているという現状が明らかになったと言えるのではないでしょうか。


■現場報告(詳細)

 2日、16時頃に本牧埠頭の横浜港シンボルタワーに到着。そこでは海上保安庁と思われるの人達が機械を持ち出して監視中。現場が遠すぎて、作業内容の確認できず。本牧埠頭周辺で現場の見える場所を探すが断念。浦安、船橋の海岸にもいってみるが、異臭の確認できず。ベイブリッジ、つばめ橋の上でパトカーが監視しているのを確認。ベイブリッジ沖に空中散布装置を吊ったヘリの移動を確認。

 3日、8時頃に大黒埠頭に到着。テトラや東部防波堤沿いに茶色の油膜を発見。6時からその場所にいた人の話では、油膜がよっていたので処理剤の散布が続けられたとのこと。この件は横浜市の発表からも確認できる。現場周辺では、所々に薄い茶色の泡があり、これらが時間と共に防波堤沿いに集まってきている。その場に居合わせた人々は私も含めて、一様に大したことないという感想。そうこうしている内に、目の前で一隻の船が処理剤を散布。処理剤の海中での様子を観察するのに夢中で、散布方法の確認が出来ず。けれども、処理剤が一度にまとまって撒かれた様子から、バケツなどによる散布と思われる。とにかく、処理剤が乳白色のまま海中に沈んでいく様子を確認。私は、三国の海岸清掃の際に、処理剤がコーヒー牛乳のような色になって海中に沈んでいくのを見ているので、そもそも油膜の薄いところに撒いているのだから当然だが、あまりの効率の悪さに驚く。五階建ての建物の屋上から双眼鏡により観察。大黒埠頭周辺には、濃い油膜は無し。

 木更津に向かって湾岸道路を走っている途中、湾岸幕張インターで自衛隊の災害派遣の部隊を見かける。インター内は渋滞。自衛隊と千葉県の発表より、この時の部隊は静岡県から資材を輸送中の部隊であると思われる。輸送内容は、木更津港湾事務所にオイルフェンス2、200メートル、千葉港湾事務所に吸着マット10、300枚。部隊は人員69名、車両31両(小型8、中型1、大型22)。

 11時頃に、木更津港に到着。潮浜の岸壁で消防車が監視中。海上には、自衛隊などのヘリ数機が巡回中。港内の船の軌跡が少々黄色いような気がするが、気のせいであると結論。油膜は確認できず。一隻の漁船が吸着マットを積んで出港。千葉県の発表には「6時に君津航路1、2番ブイ、木更津航路6、7番ブイにおいて油膜の漂流を確認」「関係各漁協は木更津、富津沖で防除作業」となっている。中の島大橋の上から観察。中の島公園前の干潟では、子供たちが潮干狩りをしている。それよりも陸側にオイルフェンスが設置してあるのを発見。富士見大橋の下にも半分ほど陸に打ち上げられた状態のオイルフェンスを発見。これらのフェンスの意味が理解できない。15時半頃、再び中の島大橋に上がる。満潮により、先ほどの干潟は消滅。オイルフェンスは堤防の切れ目を塞いでいる。富士見大橋の下のオイルフェンスも機能している。つまり、現在フェリーの航路となっている中の島大橋の下を塞げば、木更津港は完全に閉鎖された形となる。当然ながら、干潟はこの防衛ラインの外側に位置する。千葉県の発表から、港湾事務所が業者に依託して、これらのフェンスを張ったと考えられる。

 16時20分発のフェリーで川崎に向かう。木更津を出港してしばらくすると船は油膜の中を走るようになる。濃淡の差こそあれ、この油膜は川崎まで続く。銀色や金色に光る濃い油膜や、処理剤使用後と思われる茶色い泡の部分もあり。自衛隊と思われる船など、多数の船を確認するが、オイルフェンスを使用している船は無し。処理剤散布や吸着マットの使用は、遠すぎて確認できず。放水撹拌をしている船はなかった。ほとんどが航走撹拌をしていたものと思われる。

 川崎に着くと、そのまま東扇島に向かう、到着は18時頃。東扇島と東扇島堤防の間、浮島寄りにオイルフェンスあり。浮島側の海面は一面銀色、岸壁には処理剤使用の後の茶色い泡あり。海上では回収船と思われる朱色の船が2隻で回収していた。その2隻の速度は、あまりに遅い。波間に漂っている状態。運輸省第二港湾建設局の発表によると、同局の回収船「第二蒼海」が目の前で回収作業を行っていたはずであるが、確認していない。同局の発表の中に16時現在の航空写真があるが、その写真を見ると私が見ていた銀色の海域には何も写っていない。その写真に写っている油膜は防波堤の外側で、そこでは「清龍丸」が回収を行っている。

 4日、8時頃に富津海浜公園に到着。富津沖で漁船20〜30隻、自衛隊数隻、巡視船数隻を確認。漁船は半数が船隊を組んで航走撹拌、もう半数はゆっくり動いているが遠すぎて作業内容確認できず。千葉県の発表では、午前中富津市の職員50人で航走撹拌を行ったが、効果無しとなっている。同発表では、県の水産部の船も2隻、航走撹拌に参加していることになっている。沖で作業している船の中に、放水装置の付いたものが一隻あり、しきりに場所を変えながら放水撹拌をしていた。この海域にオイルフェンスが設置してあるのを確認したが、遠すぎてその使用法までは確認できず。公園のそばに100メートルほどのオイルフェンスあり。吸着マットを付けており万全の構えではあるが、海の中に一本だけ浮かんでいるので効果がわからず。多分トローリングでの回収作業用と考えられるが、使用状態を確認できず。富津漁協の船着き場で、オイルフェンスと吸着マットが積んであるのを確認。

 15時木更津発のフェリーで川崎に向かう。川崎までの間、一度も油膜を発見せず。木更津沖では自衛隊が放水撹拌、その他の船が航走撹拌をしているのを確認。浮島沖では十数隻で放水撹拌をしていた。川崎に着くと、東扇島に向かう。東扇島では、昨日より油膜が薄く、銀色のギラギラ感がなくなっている。放水撹拌をしている船が一隻、航走撹拌が数隻。そのまま大黒埠頭に向かう。途中、東扇島と扇島の間の切り通しで十数隻が放水撹拌をしていた。大黒埠頭では防波堤沿いに茶色い泡があるが、油膜は発見できず。

 5日、6時頃に東扇島に到着。昨日まであったオイルフェンスは撤去されていた。油膜はとても薄く、岸壁沿いの茶色い泡もなくなっていた。昨日、海沿いの地面に白い粉が溜まっているところを見ていたが、今日はそこが水びたしになっている。夜間に波がかぶったと思われるが、その場合昨日の白い粉は海水中の処理剤という事になる。次に浮島に向かい、東京湾横断道側の岸壁を歩く。岸壁とテトラの間に濃い茶色の泡を発見、所々に吸着マットが漂っている。吸着マットは一晩中漂っていたので、油を吸って完全な茶色に変色。昨夜の内に茶色い泡が上がったようで、岸壁上にタールの固まりを発見。次に大黒埠頭に向かう。防波堤沿いの茶色い泡は消失、岸からは油膜発見できず。5階建ての建物の屋上から観察。埠頭周辺に油膜を確認、航走撹拌している船の軌跡の泡が茶色がかっている。本牧埠頭のベイブリッジ下周辺で数隻の船が航走撹拌中。10時頃、もはや監視の必要なしと判断、現場を離れる。 


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