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池田こみち・(株)環境総合研究所副所長に聞く
インタビューアーは角田季美枝氏
化学物質と聞くだけで拒否感を感じてしまう市民は多い。しかし、「化学物質=危ない」「化学物質=むずかしい、専門家に任せろ」では、現在の社会のシステムづくりや国際社会の動向と自身の生活を結びつけて考えにくい。「化学物質=危ない」から脱皮して、化学物質について対案を提出できるような市民になるにはどうしたらよいのか。 環境計画における市民参加を追求し、環境庁のPRTR(環境汚染物質排出・移動登録)技術検討会の情報加工提供手法ワーキング・グループの事務局を務めている(株)環境総合研究所副所長の池田こみちさんは、「行政と業界が一心同体になっている日本的構造も問題が多いが、市民自身の意識変革も不可欠」と鋭く分析する。 【プロフィール】 1949年東京都生まれ。練馬区在住。聖心女子大学卒業後、東大理学学部、東大医科学研究所、ローマクラブ日本事務局などを経て1986年、環境専門シンクタンク、環境総合研究所を同僚の青山貞一氏と一緒に設立。環境計画、環境政策、リスクコミュニケーションが専門。NPO環境行政改革フォーラム幹事、事務局長。国際市民参加学会(IAP2)、環境ホルモン学会、国際ダイオキシン会議等会員。「ダイオキシン汚染」(共著、法研)、「環境ホルモンとダイオキシン」(共著、ぎょうせい)、「新・台所からの地球環境」(共著、ぎょうせい)、「ノーマンの技術文明論ー持続可能社会への展望ー」(共訳、学陽書房)など著書、論文、訳書多数。 |
●重要な専門家の役割
環境基本法やNOx法についてなら、むずかしいとはいえ一般論や理念的な部分もあるのでまだわかりやすい。ところが、化学物質になると一気に専門性が高くなって、話が超むずかしくなってしまう(笑い)。だから、一般の住民や市民が関与するのがますます難しい分野だと思う。
この分野でこそ重要なのは、専門家の役割。しかし現在それがほとんど発揮されていない。! 化学物質のリスク、医学、法律などいろいろな分野がある。これらの分野の学者・研究者は大勢いて、しこしこ研究しているらしい。しかし、これらの研究が社会との間でまったくインターフェイスされていないし、インタープリットされてない。自分たちの個人的な科学への興味や関心のためなのか、出世のためかその他理由があるかもしれないが、そういう実態は日本ではあまりにもひどすぎる。欧米では宗教的な背景などもあり、学者の社会的な役割についての認識は日本とはまったくちがうとは思うが、どの分野でも社会との接点をもっと自分なりに模索している。どういう情報を社会や地域に提供したらいいのか、素人に対して専門家、学者としてどういう役割を果たしたらいいとか、見返りがなくても協力するとか。一方、日本では、とかく市民型(派)の言動をすると、仲間からシカトされるとか、派閥問題とかいろいろ出てくるようだ。さらに、日本社会は人を色付けししたり、レッテルを貼って安心する癖があり、「あの人は最近、ピンクから赤に近づいている」とか(笑い)いったことが話題になる。そこのところを何とかしないと。
住民側の情報も、この分野では役所から出されたものしかない。出ている情報は「危ないものらしい」とか、「むずかしい」情報のごく一部。自分の身の周りにどのような化学物質がどれくらいあって、どこがどう危ないか、どの程度危ないとか、今何の研究がなされているとか、全然背景がなく、「ここが危ない」という部分的な情報によって翻弄されている面もある。焼却場の建設問題でもすぐ「母乳から出る」と発展して、涙ながらに訴える光景になってしまう。全体像を示しながら、何が危なくて危なくないのか、いまはどこまでわかっててどこからがわからないのか。情報を持っている側と受ける側が情報を共有しないと問題の本質がわからず右往左往するだけになってしまう。 ここ数年、行政からいつもいわれることは「ライフスタイルを変えなさい」である。まったく「ライフスタイルまで行政に指示されるなんて、大きなお世話!」って思う。そこは一番個人の自由が発揮されるところなのに。社会システムがさまざまな問題に対応するように変わってないのに、末端である市民にばかりにいろいろいわれたって本末転倒などとも思う。制度づくりにしても、パートーナシップでつくろうとの最初の意気込みはともかく、見せかけと偽りの合意形成という日本的なものにすりかわってしまう。
専門家は何か案件、事件があった時は関わりやすいが、そうではない場合、日常的に役割を発揮したり、社会的なことに関与することは難しいようだ。市民運動のほうからは、専門家に持ち込みようがないし、受け皿もない。役所に行ってもたらい回しにされるし。役人も二年ぐらいで異動になるから、専門性をもてない。その意味ではシンクタンクに期待したいが、日本では役割を果たしていない。公益法人では丸投げもあるし、役所のいうことは聞くが市民運動の力にはなれないという組織が多い。私たちのように独自に自主研究を行っているようなシンクタンクはほとんどない。委託調査研究の成果は守秘義務などもあって情報公開できないが、自主研究の成果であれば、いくらでも情報公開が可能となる。また、研修会や講演会にも時間が許す限りでかけていけば、そこでも市民や社会とのインターフェイが可能とり、調査研究機関すなわち情報発信機関としての役割が一部でも果たせるのに、大手のコンサルタントなどでは、それすら制限されているケースもあると聞いている。というわけで、この分野で市民として有効な行動を展開するのは非常にむずかしい。
●課題を残した日本のPRTRシステムづくり
私たちのPRTRに関する調査の主旨は、PRTR制度をつくるにあたっての化学物質に関連する情報のニーズとシーズ、それをもとにした情報提供のあり方の検討。今まで、どちらかというとブラックボックスになっていた化学物質の環境中への排出の量や移動の状況濃度、地理的分布などについてのデータを企業から提供してもらい、行政だけでなく市民や消費者団体にも有効に活用してもらうことが狙い。そのために、どのような情報加工が必要か、どのような情報提供手法が適当かといったことを専門家、自治体関係者、NGO代表をまじえて議論した。OECDの勧告に基づくPRTRシステムのパイロット事業の立ち上げの時期が平成10年度中と迫っていることもあり、平成8年度の検討会では、大旨の方向性は出せたもののいくつかの課題も残ることになった。この分科会では、もう少し化学物質全体についての市民の情報ニーズやPRTR制度への期待、事業者・行政の役割といった制度作りについて突っ込んだ議論ができればよかったと。今まで市民やNGOが手軽にアクセスできる地域に密着した化学物質についての情報がなかったことから、今回のPRTRシステムパイロット事業の実施がきっかけとなって化学物質全体についての理解が進み、全国を対象とした本格制度の導入に向けてより建設的な議論が進むことを期待している。化学物質対策として重要なのはつぎの点である。
現在、日本で化学物質はどのような問題を起こしていて、あるいは化学物質の生産・販売状況はどうなっていて、管理はどのようになされていて、使用管理者側の情報シーズの内容は何で、環境への排出はいまこのように把握されていて、住民はこのような情報を欲しがっているといったような基礎的なことについてまず、情報を共有化して問題を整理していくことである。その上で、どんな仕組みや制度が適切か、について議論が進むことが望ましい。
PRTRのような制度づくりにあたっては、現状の化学物質に関連する法制度や情報収集の仕組み、実態がどうなっているか、国の各省庁や自治体の関連制度はどうなっていて、何が使え何が使えないかといったことも重要である。そのためには、関連する省庁との密接な連携や調整が不可欠であり、その部分について、環境庁の役割に期待するところが大きい。行政機関ばかりでなく、国立衛生試験所といった、国公立研究機関や関連学術団体との連携も必要となるだろう。制度づくりにあたっては、まず、基本的なところでの議論がつくされていないと、どうしても形式だけの制度になりがちなので、今後も検討会では、さまざまなNGOのオブザーバーにも参加して頂き、よりよい制度づくりに向けて私たちの研究所としても役割を果たしたい。
●情報公開の重要性
PRTR制度づくりのプロセスでは、情報公開が鍵となるが、それとは別の議論としてリスク・コミュニケーションのあり方についても検討していく必要がある。まずは、ファクトとして情報は開示すべき。どんな化学物質をどの程度の量使ってどう動かしているか、をはっきりさせることから始まる。そこの部分をしっかりしておかないと、いたずらにデータを加工処理したりハザード情報出しても意味がない。出された情報についても、第三者がクロスチェックなりできるようなシステムをつくらないと。
情報公開の方法や公開する情報の作成の方法、出された情報の理解の方法については業界案があってもいいが、第三者案があってもいい。こちらはここが良いが、あの部分ではそうではないとかオープンなところで議論した中で、とりあえず制度の目的にかなうものを選んでいく。まずいところがあったら見直す。そういう手順をふんでいくことが重要。これがべストと出されたもので進んでいくのは避けるべき。そうでないと再現性が確保できないし、信頼の回復や構築にも繋がらない。
日本ではどうもこういう傾向がある。医学の分野でも「どうせ素人にいってもわからない。医者を信じなさい」とレセプトも長い間公開されなかった。そういう部分も確かにあるが、情報公開しなくていいという理由にはならない。べースは公開するということであり、それがポイント。
そのためにも、市民の知る権利確保について考えて制度をつくらないと、行政のような情報を持っている側の立場からの制度になってしまう。欲しい情報がてこないとか、出てくるとしてもやたら時間がかかって役に立たないとか。
PRTRは重要な制度なので、日本でも、先進各国の制度に負けない有効なシステムに作り上げることが大切。この制度づくりがひとつのチャンス。近い将来全国展開する制度なので、じっくり各地で議論する場をつくって制度を活かすノウハウを含め蓄積することが必要。住民側もじっくり腰をすえていかないと。
●日常的な環境政策への市民参加を
化学物質に関する市民の行動は、現状では、どうも、身の回りに危なそうなものがあったら反対運動をするという受身的・消極的なものにならざるをえない。生活を取り巻く化学物質全般のことがまったく理解されていない。次々に商業ベースで殺虫剤とか便利そうで良さそうなものが出ると、ついつい買ってしまう。商品の情報がないわけだから。PL関係の警告表示ならあるが、生活の中でどう組み合わさるかわからないさまざまな化学物質の危険性についてまったく知らされていない。皮膚に直接ふれるような洗剤でも薬事法の対象でな化学物質は表示もされていない。逆に、「植物性」とか紛らわしいものもある。
公的教育の中で生活に密着した化学を教えるのも重要だし、市民運動団体も単一のものについての運動ではなくて、総合的なものに着目する癖をつけないと……グリーンピースのように、化学物質に関する問題の全体を把握・整理した上で、まずここが重要とターゲットを決めて問題を絞り込んで取り組むといった戦略が日本の市民運動にはなかなかない。眼の前に焼却場ができそうだから何はともあれ反対ということだけではまずいし、そこに専門家を関わらせていくかという仕組みをつくらないと、いつまでたっても対抗できない。また、問題の本質を見失うこともあり得る。
さまざまな市民向け環境配慮指針、ローカル・アジェンダを役所任せにしているところがまず問題。このような一般的な話題をどう市民参加でつくらせるかがかなりポイント。市町村レベルまで役人が細かなところまで作ってしまっている。たたき台を出すのはともかく、メーリングリストに1年投げて意見を受け付けるとか「成長するローカル・アジェンダ」「生きている行動指針」にすべきだし、ローカル・アジェンダとはそういうもの。固定したものではない。そうすることによって市民も関与していけば、化学物質の問題も幅広い環境問題の一環として捉えられ、議論ができる。いきなり化学物質の議論をするよりは入りやすい。行政の政策のべースから市民の参加を広げるような仕掛けを作らないと、この分野の市民参加はむずかしい。
●問われる市民の意識
このような市民参加を促す仕掛けづくりは行政だけが行うのでなく、市民運動のリーダーも活用するとか一方的ではないやり方が必要。市民運動のリーダーにもバランス感覚が要求される。役所に与えられた情報をぼーっと受け止めるのではなく、自分で調べてみるとか。市民運動には情報をただでいただくという感覚の人が多すぎる。行政からの情報は別として、欲しい情報を自分の足を運んで対価を払って入手するという姿勢がないのは困る。「○○の環境問題について教えてください」とか、「情報を見せて下さい」と、大学生などから電話がかかってくることがある。関心があるといえば教えてくれるだろうと思っている。でも聞いてみると、何を知りたいのかわかってない。対応するほうの時間を拘束していることに鈍感。「まずは、本屋や図書館に行って調べる、役所に行って話を聞く、その上で何がどうわからないかわかったらまた電話ください」というのだが……(笑い)。
また、自分の暮らしのまわり、食べ物とか家とかについてはすごく関心が高いが、それが社会構造から来ているというところまで考えない人も多い。産業廃棄物が問題だ、処分場が問題だという人自身、いずれ廃棄物になる生産物を使っているのは我々ということになかなか気づかない。新しい商品や便利な商品を欲しがる。生産者や廃棄物処理業者だけを攻めればいいと考えている。
市民はまずこのような意識から変えていかないとならない。買い物行動を変えることはだれでも最低限やれる行動。政策への市民参加、特に情報公開について制度化に関与することが重要。また、意見を行政に届ける、意見の反映の程度を見届ける、専門家の研究成果を学習する……やれることは多い。
(1997年7月10日収録。文責&構成:角田季美枝)
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