リスクコミュニケーションの実践
〜市民によるダイオキシン汚染測定監視運動〜

池田こみち 環境総合研究所
初出:「生活と環境」、2000年5月号

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はじめに

 現代生活はさまざまなリスクに溢れている。都会であるか否かにかかわらず、犯罪や事故に巻き込まれたり、災害に遭遇したり、病気に見舞われたりする。このこと自体、だれも否定するどころか、一般消費者にとってほとんどブラックボックス化している先端技術に過度に依存した現代人の生活や自然を畏れぬ開発行為の積み重ねが、それなりのリスクを伴うものであることは誰しも認めざるを得ない。できることなら少しでもリスクを減らしたいと思いながらも、あまりそのことを真剣に考えることもなく日々の生活に流されているというのが実態ではないだろうか。確かに、個人レベルの行動だけでは回避できないリスクも多い。

 環境に関わるリスクについてみると、大きくは地球温暖化の進行による異常気象・食糧危機から、生活レベルでは自動車排ガスによる呼吸器疾患などの健康被害、そして廃棄物の処理・処分に伴って排出される有害化学物質による環境汚染などというように、科学技術の進歩や、為政者の視点や意識、市民運動の盛り上がり、ジャーナリズムの取り上げ方などによって時々にフォーカスが移っていく。

  しかし、ここ数年、最も関心を集めているのが廃棄物の焼却や処分に伴って発生する有害化学物質、就中ダイオキシン類による汚染であり、リスクである。自治体の指示に従って出していたごみが焼却されその灰が処分される過程で、長年にわたって有害なダイオキシンを環境中に排出してきたことを消費者が知ったのはごく最近のことである。ダイオキシンによるリスクは生物種、地域、世代を超えて及ぶことが次第に明らかになってきており、ごみの排出者である市民、消費者は被害者でもあり加害者でもあることから、どうすればダイオキシンを減らすことができるのか、ひいてはダイオキシンによるリスクを減らすことができるのか、今真剣な取り組みが各地で進められている。


1 リスクコミュニケーションとは

 リスクコミュニケーションとは、初期の時代には、企業や行政等、リスクを発生したり管理する側が、そのリスクに関する科学的に推計されたリスクの大きさやそれに関連した情報と見解を一方的に市民などに伝え、できるだけそれを理解してもらい政策や事業活動への合意を得ることが目的であると考えられていた時期があった。しかし、専門的な情報の共有化が進み市民の環境意識が高まるにつれ、そうした一方通行的な対応では済まされない状況が多くなり、相手からの質問や意見に答え一層理解を深めてもらうことを目的とするようになっていった。しかし、以前よりは双方向性が増したとは言え、取り扱う問題自体が複雑化・高度化すればするほど事業者側と住民側の対立が深まり、問題の改善に至らないばかりか、相互の不信感が増幅されると言った事態も生じやすい。そこで、今日では、より早い段階、早い時期から幅広い関係者(利害関係者:Stakeholdersと言う)が情報や意見を自由に出し合って相互理解と信頼関係を築きながら問題の解決を図ることが「リスクコミュニケーション」の目的であると考えられるようになった。


2 日本におけるリスクコミュニケーションの実態

 我が国の従来型の事業環境アセスメントにおける住民参加の手続きを思い出してみると分かりやすい。開発事業に伴う環境影響も周辺住民にとっては一種のリスクであり、そこでの市民参加はリスクコミュニケーションの現場でもある。よく言われるように、ほとんど計画変更の余地がないほどに事業計画が煮詰まった段階でアセスメントの手続きに入り、法制度にそった手続きで住民関与・住民参加が粛々と進められる。図1はそのことを示している。わが国の住民参加はせいぜいレベルAにあると言っても過言ではない。

 住民側は一方的に事業者側が準備した膨大なデータや情報の提供・説明を受け、手続き上は意見を述べる機会が辛うじて与えられていても、多くの場合、聞き置かれたり納得のいく説明もないまま「影響は軽微である」というステレオタイプな評価結果に基づいて事業が進められていく。こうした「見せかけ的」あるいは「アリバイ的」住民参加に、市民の側は疲れと諦めを感じているのが現実である。事業計画立案過程の早期段階から利害関係者への情報提供を図り、平等な立場での代替案の検討や議論を踏まえて環境影響に配慮したよりよい計画にしていくというコミュニケーションのための基本条件が欠落している。

                 図1 住民参加の5段階説

高い レベルD 市民による政策、計画、開発の制御(Citizen control)  
全てのプロセスで、住民がコントール
レベルC 主体的住民参加、パートナーシップ(Participation / partnership)
ポリシー、プラン(政策/戦略)の立案、決定段階からの参加
レベルB 市民への相談(Consultation)
プログラム(計画)から参加できること
レベルA 情報参加、市民への一方向的通知(Informing)
プロジェクト(事業)が先にあり市民は意向を提示
低い レベル@ 報操作による市民操作(Manipulation)
市民は一切口を出せずに実施段階で強制的に動員される段階

 注)青山貞一、「環境保全をめぐる協業システムの新手法」、都市計画学会、2000年春号

 廃棄物の焼却に伴って発生するダイオキシン類をはじめとする有害化学物質のリスクについてはどうだろうか。我が国の廃棄物政策は、「焼却主義と技術至上主義」が特徴である。廃棄物を焼却することによって排ガスや焼却灰・ばいじんに高濃度のダイオキシンが発生することは国の廃棄物行政担当者や一部専門家の間では早い段階から明らかになっていた。しかし、我が国のダイオキシン対策が欧米に10年遅れをとったことからもわかるように、その事実が長い間ごみを排出している市民・消費者に対し、また、処理費用を税金として負担している納税者に対して十分説明されなかったことはこの種のリスクコミュニケーションの今後にとって決定的なマイナスとなっている。情報の共有化がないところにリスクコミュニケーションは存在し得ないし信頼関係は育たないからである。香川県豊島、埼玉県所沢市、茨城県竜ヶ崎市・新利根町、大阪府能勢町、和歌山県橋本市、また、新しくは神奈川県藤沢市の引地川や厚木基地など廃棄物の処理処分に伴うダイオキシン汚染の実態があちこちで明らかになるにつれ、市民の関心が高まり、行政の情報提供も少しずつ行われるようになってきた。

 だが、一旦そこまで問題が大きくなってしまうと、行政側の情報提供の在り方も、自ずと及び腰になり、部分的な情報開示であったり、タイミングを逸していたりすることも多く本来の意味でのリスクコミュニケーションの目的が果たせないことが多い。そればかりか、行政にとって都合の良い結論を前提としたデータの提示及び中途半端な情報提供や説明がかえって住民側の不信を募らせる結果にもなっている。まさに図1の情報操作による市民操作、すなわちレベル@に近い状態が散見されるようになる。

 しかし、日本における行政・事業者・市民の間でのこうしたコミュニケーション不足や不手際の責任は行政や事業者ばかりにある訳ではない。市民の「お上にお任せ」意識に見られるような納税者意識、消費者意識の欠如も、リスクに限らずコミュニケーションが苦手で下手な社会をつくってきたと言える。


3 消費者と専門家の連携によるリスクコミュニケーションの実践

3.1 市民参加で自分の町のダイオキシン汚染の実態を知る運動


 埼玉県所沢市をはじめ先にあげたいくつかの地域では廃棄物の排出事業者、産廃処理業者、行政、住民など利害関係者の間で訴訟にまで発展している事案もあり、そうした地域のダイオキシン汚染の実態は極めて深刻であることは周知の事実となっている。しかし、一歩足下に目を向けてみると、自分の住んでいる町や市の汚染はどの程度なのか、住民はあまり理解しているとは言えない実態がある。一部報道のセンセーショナルな取り上げ方のために、相当程度ダイオキシンのリスクを誤解をしている市民も多い一方で、自分とは一切関係のない他人事と無関心を決め込む人や一連のダイオキシン騒ぎを魔女刈的と嘲笑する人もいる。確かにここ数年、法制度の整備が進み、環境中のダイオキシン類の測定分析が膨大な費用(税金)を使って行われているが、行政が次々に測定し公表するデータが汚染のレベルとして低いのか高いのか、隣の町や地域と比べてどうなのか、現状の対策で十分なのか今後何が必要なのかなどを含めて、この問題に関して適切なリスクコミュニケーションがなされているとは言いがたい。少なくともダイオキシン問題に関しては、行政と消費者・市民の間の基本的な信頼関係が構築されていないところが多く、行政側がデータを出せば出すほど混迷が深まるといった事態も生じている。この分野に関しては、行政対市民という対立の構図を根本から立て直していくことが必要であり、そのためには、行政側でも市民側でもない、中立的な第三者の専門家が一からリスクコミュニケーションをやり直すことが必要な時期に来ているのではないだろうか。

 今必要なことは、各地域のダイオキシン汚染はどの程度なのか、汚染の現状や実態を知り、それをもとにどうすれば将来によりよい環境を残せるか、ごみを出す人、集める人、処理する人など利害関係者が議論し、智恵と工夫を出し合うことである。ごみを出している市民、処理費を負担している市民が、自ら参加して汚染の状況を知ることを通じて、身の回りあるいは地域のダイオキシン発生源の実態や地域ごとのごみ処理対策、処理・処分に係る技術、リサイクルシステムの在り方などについて理解を深めることが可能となる。そして、初めてどこに問題があるのか、どうすれば改善できるのか、加害者でもある消費者がするべきことは何かといった建設的な議論や情報交流が可能となる。


3.2 市民参加によるダイオキシン汚染測定運動の企画設計

 いくつかの市民団体では長年にわたって二酸化窒素による大気汚染の測定運動を展開している。東京では、1年に1回ではあるが、専門家のアドバイスを受けながらカプセル型の簡易ディフュージョンサンプラーを玄関やベランダなどに取り付け、数千人規模が参加して大気汚染測定運動が継続されている。自ら測ることによって自分たちが暮らすまちの大気汚染の実態への関心を高め、自動車利用の在り方を見直したり行政や事業者への政策提言なども進められている。そうした運動の延長線上で、何とかダイオキシンの測定ができないか、という相談が生活クラブ生協から環境総合研究所(ERI)に持ちかけられた。
行政や事業者が「安全宣言」のために発表するようなデータを鵜呑みにするのではなく、自らが分析費用の一部を負担してでも、第三者的な機関に測定分析を依頼し、納得できるデータに基づいて汚染の実態を知ることからスターとしたいというのが狙いである。

 ERIでは、市民参加により学術的にも意味のある測定分析を行う方法を企画提案し、次のような「なくせ!ダイオキシン汚染監視運動」が実施されることになった。

        <市民参加による松葉ダイオキシン測定・監視運動>

◆実施主体 参加団体(生活クラブ生協とグリーンコープ)とERIにより「松葉によるダイオキシン測定実行委員会」を結成し、定期的な連絡調整を実施。
◆参加地域・団体 生活クラブ関連  :北海道、千葉、神奈川、東京、群馬
グリーンコープ関連:沖縄県を除く九州全県と広島、山口
その他市民グループ:所沢、滋賀、和歌山、栃木県、杉並など
◆技術支援 ERI及び摂南大学薬学部宮田研究室
◆測定分析 測定分析機関は第三者性と技術力、費用を勘案し、ERIが技術提携しているカナダの大手分析機関Maxxam Analytics Inc.に依頼。分析方法については、過去の分析データとの比較を行うことも考慮し、1997年からクロマツのダイオキシン測定分析を実施している摂南大学薬学部の宮田研究室の協力を得、同一の方法とした。
◆測定試料 クロマツの針葉(原則2年葉)
◆試料採取 市区町村単位を原則とし、1行政区から地域的な片寄りがないように散在するクロマツを、最低10ヶ所以上から一定量(約10g)採取。サンプリングは1999年9月から11月の間に実施。
◆サンプル数 200検体
◆試料調整 市民が費用の一部を負担し、自ら採取した10gずつのクロマツを1地域(行政区)当たり約100gにブレンドし1検体とする。その際に、松の種類や状態、年葉などをチェックし該当しないものは除外。


<技術的・社会的特徴>

@地域内に分布するクロマツを少量ずつブレンドすることにより、地域の平均的な濃度を 知ることができる。
A常緑樹であるクロマツは葉の気孔からダイオキシン類を含む大気を取り込み、脂肪組織 に蓄積するため、地域の長期平均的な濃度を知ることができる。
B各地域で測定して得られた点のデータをコンピュータ解析することにより面的(地域的) な濃度分布としてよりわかりやすく提示することが可能となる。
B測定費用も高く、気象条件や測定方法によって変動しやすい大気中のダイオキシン濃度 にかわって、松葉中の濃度を測定することにより、松葉の濃度から地域の大気中のダイ オキシン濃度の推定が可能となる。
C多くの市民が参加することにより、ひとりひとりの費用負担は少なく、しかも得られた 結果は地域を超えて共有することができる。今回の調査では、松葉の採取及び分析費用 のカンパ(500円〜1,000円/人)に参加した人数は、全国で3万人にも及んでいる。

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 測定運動の参加者に対しては、調査の前後に十分な説明・報告を行うことにより、ダイオキシン問題全般についての理解を深め、生活スタイルの見直しや行政との連携を進める上での基礎をつくることができた。まさに、一からのリスクコミュニケーションのやり直しである。

 事前説明会では、ダイオキシンの化学物質としての特徴(毒性やリスク)、国内外のダイオキシン汚染地域の事例紹介、国内外の関連法制度の概要、測定分析方法の現状と課題、市民・事業者・行政の役割分担等について説明を行った。また、結果報告会では、実行委員メンバーから、結果がでるまでの数カ月間に市民が実施してきた地域の廃棄物対策や発生源の実態についての行政ヒアリング結果や現地見学で得られた情報、行政との意見交流の経過が報告された。また、ERIからは、広域的な濃度の分布(マップ)を提示し、測定分析結果(データ)の見方、発生源との関係、大気濃度との関係について解説を行った。

3.3 松葉調査の成果

 今回の調査は、市民と専門家とが連携し、今までに例を見ないほどの大規模な市民参加プロジェクトにまで発展し、学術的にも社会的にも大きな成果が得られた。誌面の都合から学術的な成果については別の機会に譲ることとし、以下に社会的成果について述べておきたい。

 ここでは、濃度分布地図の1例として、東京都の結果を示すことにする。東京では、区部と多摩部あわせて36検体を分析した。その結果、都心部より多摩地区など郊外地域の方が濃度が高いことが明らかとなった。その理由として、都心部の一般廃棄物焼却施設は煙突が高く焼却施設が高温連続焼却タイプが多いのに対し、八王子市など多摩地区では、産業廃棄物焼却施設が多く、地形も複雑、しかも野焼きも見られ、一般廃棄物焼却施設が古い(バッチ式など)といった原因が浮き彫りになった。また、所沢市に隣接する地域の濃度が高くなったことも見逃せない。さらに、地域平均用のサンプルとは別に、特定の産廃施設周辺500m以内から採取したサンプルからは、平均値の数倍から数10倍の高濃度が検出され、地域平均が低いからと言って発生源周辺では決して安心できないことも明らかになった。


図1 松葉のダイオキシン濃度マップ(東京との例)


 今回の調査によって市民ははじめてわかりやすい形で地域のダイオキシン汚染の実態を知ることができた。自らが費用の一部を負担し、松葉の採取も行って得られたデータは行政が測定し公表するデータとは異なり、市民一人ひとりにとって一段と身近であり重みを持つことは言うまでもない。調整した松葉のサンプルをカナダに輸送した直後から結果への期待が膨らんだ。高ければ影響が心配だし、低ければ低いでダイオキシン問題だけでなく、ごみ減量化やリサイクル運動への求心力が削がれることも心配となる。また、結果を踏まえて今後の運動をどのように展開していけばよいのか、などといったことが結果を待つ間、実行委員の面々を悩ませた。

 しかし、市民は極めて冷静かつ前向きに一つ一つの分析結果を受け止めた。千葉・東京・神奈川をつないだ首都圏汚染マップでは、はっきりと郊外地域の高濃度汚染を浮かび上がらせ、緑豊かで農地も多く残り里山が変化に富んだ地形を創り出している地域、本来、良好な住宅地や優良な農地でなければならないところが市街地以上に汚染されていることが明らかとなった。ひとたび焼却施設や処分場から環境中に排出されたダイオキシンは、地域を越えて世代を越えてまた私たちの所へ戻ってくる。市民参加で得られたデータは、何よりも雄弁にごみの減量化再利用(リユース・リペア)、そしてリサイクルの重要性を市民に訴えた。そして、そのためには、行政や事業者との対立ではなく、情報を共有化して、共に悩み、考え行動する本来のパートナーシップを築くことが大切であることも改めて学ばせてくれた。

参考文献:@浦野紘平、リスクコミュニケーション−自立した開かれた社会への道−、EARG News、Vol.32、1999年11月22日
       A特集 3万人の住民・消費者が参加 松の針葉:全国ダイオキシン調査 (第一次速報)、
        Dioxin Bulletin & Review、No.11、14 April 2000

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