(1)調査の目的
環境総合研究所では神奈川県大和市と綾瀬市にまたがる厚木米海軍基地周辺で松葉調査を実施した。目的は大気中ダイオキシン類濃度と松葉中のダイオキシン類濃度との相関関係を明らかにすることにある。これにより松葉濃度が分かれば大気中の年間平均濃度が推定できることになる。
厚木基地上空からエンバイロテック焼却炉(写真中央やや左)2000/5/9環境総合研究所撮影
(2)厚木米海軍基地ダイオキシン類問題の経緯
厚木基地に隣接した産廃焼却炉(旧神環保、現エンバイロテック)からの排ガスに含まれるダイオキシン類が基地内の家族住宅や労働者を直撃し、健康リスクを高めていると米政府がことある度に日本政府に改善を申し入れていた。
米政府は定量的にこれを証明するため、ハワイからダイオキシン類の測定分析機関の技術者を厚木基地に呼び、基地内の大気中ダイオキシン類濃度を米国環境保護庁方式で測定分析し、日本政府に非公式示した。しかし、厚生省など日本政府はその値を「異常値」であり米国の測定分析方法に疑義があると言明するなど、日米政府の間にはダイオキシン類問題への対応に認識だけでなく、規制、基準などについての顕著な差が生じていたことが分かる(*5)。
しかしその後も米政府の日本政府への苦情は一向におさまらないばかりか、クリントン大統領、オルブライト国務長官、コーエン国防長官ら米首脳は、日本政府に産廃からのダイオキシン類影響の改善を強行に申し入れた。平成10年9月18日、日本政府はそれを受け、関係省庁あげ問題解決に努力する旨の閣議了解を行うに至った。その一環として日米両政府がダイオキシン類の共同モニタリング調査を行うことになった。
(*5) 日米の人体へのダイオキシン類リスク評価の差異
日米でのダイオキシン類問題への対応の差には、ダイオキシン類のリスク評価に対する差がある。米国は環境保護庁(EPA)がいち早く、人間のダイオキシン類摂取につき発ガンリスクを考慮した世界一厳しいVSD(実質安全量Virtual
Safety Dose)を設定している。これはひとが一生摂取しても100万人に1人の発ガンリスクを与えない1日、体重1kg当たりの摂取量である。ちなみにEPAのVSDは、0.01pg-TEQ/kg・日であり、日本政府がダイオキシン対策特別措置法で設定したTDI(耐用1日摂取量)の4pg-TEQ/kg・日と比べ400倍も厳しいものとなっている。
これはEPAがすでに設定している単品の食品摂取警告、たとえば魚介類摂取ガイドラインや水質ダイオキシン類基準の数値にも象徴的に表れている。たとえば、魚類単品についてのダイオキシン類摂取制限警告によれば米国環境保護庁は、1.2pg-TEQ/g超の魚類は食用不可、0.62〜1.2pg-TEQ/gは月に半回、0.31〜0.62pg-TEQ/gは月に1回と警告している。また米国の人体の健康を考慮した水質基準は、1リットあたり、0.013〜0.014pg-TEQである。わが国の場合、1リットあたり、1pg-TEQであり非常に厳しい値となっている。
(参考文献)
EPA Office of Water 4305 ,EPA-823-F-99-015 September 1999, Polychlorinated
Dibenzo-p-dioxins and Related Compounds Update:Impact on Fish Advisories
(3)日米共同モニタリング調査結果(超高濃度検出)
日米共同モニタリング調査では、大気及び土壌中のダイオキシン類濃度分析を平成11年7月7日から9月1日の56日間にわたり実施することになった。その共同調査では、自治体が年間4日、多くても春夏秋冬それぞれ2日、年間8日行っている大気中ダイオキシン類の測定を基地に風が卓越する夏場、56日間連続して行うなど前代未聞の長期連続調査となった。しかも基地内3ヶ所で実施され大気濃度測定に冒頭に述べた「サプリング・スパイク」が本格的に適用された。
平成11年10月25日環境庁が結果を速報した。表6−1と図6−1は連続測定した大気濃度である。期間中の最高値は大気B地点で58pg-TEQ/m3(平均値で8pg-TEQ/m3)であった。大気濃度は日により100倍以上も著しく変わることも明らかになった。最高値の58pg-TEQ/m3はもとより平均値の8pg-TEQ/m3もおそらく日本の大気中ダイオキシン類濃度測定史上最高値である。ちなみに国の環境基準は0.6pg-TEQ/m3であるので最高値では97倍、平均値でも13倍となった。表6−1に最高濃度を記録した大気B地点の56日間の濃度推移、図6−2に調査期間中の風配図を示した。図から風速が高い日は、濃度が低いことが良く分かる。風配図からは夏場に共同調査が実施されたこともあり、南の風が61%と圧倒的に卓越していることがわかる。(厚木基地内での大気ダイオキシン類調査地点は松葉測定地点図に並記したあるので参照のこと)。
表6−1 大気中のダイオキシン類濃度 単位:pg-TEQ/m3
|
ダイオキシン類 |
コプラナーPCB含 |
最小値 |
最大値 |
平均値 |
最小値 |
最大値 |
平均値 |
大気A地点 |
0.085 |
3.3 |
0.59 |
0.092 |
3.5 |
0.64 |
大気B地点 |
0.097 |
53 |
7.4 |
0.100 |
58 |
8.0 |
大気C地点 |
0.031 |
1.5 |
0.28 |
0.037 |
1.6 |
0.29 |
出典:厚木基地日米共同モニタリング調査(大気、土壌)結果、1999.10
図6−1 厚木基地B地点大気中ダイオキシン類濃度(再掲) 単位:pg-TEQ/m3
図6−2 夏期測定期間中の風配図
出典:厚木基地日米共同モニタリング調査(大気、土壌)結果、1999.10より環境総合研究所作成
(4)神奈川県による秋冬季の基地外での大気調査
その後、神奈川県環境農政部が平成11年10月26日から11月2日までの1週間、厚木基地外の綾瀬市深谷地区の7地点で大気中のダイオキシン類の測定を行った。結果を表6−2に示す。この調査は秋に行われたこと、連続測定期間が短いこと、さらにサンプリングスパイクの適用有無が不明なことなどから共同モニタリング結果と同列に評価するには無理があるものと思われる。
表6−2大気中のダイオキシン類濃度 単位:pg-TEQ/m3
調査地点 |
最小値 |
最大値 |
平均値 |
深谷A |
0.43 |
1.5 |
0.94 |
深谷B |
0.16 |
0.88 |
0.52 |
深谷C |
0.29 |
0.92 |
0.68 |
深谷D |
0.28 |
1.0 |
0.65 |
深谷E |
0.19 |
0.68 |
0.47 |
深谷L |
0.15 |
1.4 |
0.53 |
本蓼川A |
0.12 |
0.56 |
0.35 |
さらに、平成11年27日から平成12年2月21日にかけ連続56日間の日米共同モニタリング調査が行われた。調査地点は、北風系が卓越することから基地外の綾瀬市深谷地区の3地点である。実際の測定分析は環境庁と神奈川県が共同で行っているが、夏場の日米共同モニタリング調査と分析会社は別となっている。なお、サンプリングスパイクの適用の有無は現在のところ不明である。表6−3に結果を示す。北風系と言うこともあり、基地の南側の綾瀬市深谷地区の工業団地で21pg-TEQ/m3、平均でも1.4pg-TEQ/m3の高濃度が検出されている。
表6−3 大気中のダイオキシン類濃度 単位:pg-TEQ/m3
調査地点 |
最小値 |
最大値 |
平均値 |
工業団地 |
0.11 |
21 |
1.4 |
本蓼川A |
0.062 |
1.3 |
0.50 |
住居地域 |
0.081 |
1.2 |
0.38 |
(1)基地内外での松葉試料採取
平成11年12月9日、環境総研は米政府からあらかじめ許可を得、神奈川県大和市、綾瀬市にまたがる厚木基地内で松葉の現地試料採取を行った。松葉試料の採取場所は、図7−1にあるように、国内最高値58pg-TEQ/m3を記録した大気B地点の南東側の松葉B地点、高層住宅棟近傍の大気A地点の北東の松葉A地点、大気C地点の北側で産廃焼却施設脇の松葉C地点、さらに背景濃度測定用として産廃施設から1.6km北北西に離れた地点の4ヶ所を、さらに基地内とは別に焼却炉から170〜200m離れた綾瀬市深谷地区の2ヶ所(松葉D地点、松葉E地点)でも行った。いずれも地上約1.5m高のクロマツの針葉を採取の対象とした。採取の当日は冬だというのに強い南風が吹いており、夏の日米共同調査とほぼ同じ気象状況となっていた。厚木基地側の米海軍住宅地も高濃度のダイオキシンを含む煙につつまれており、屋外で遊び場の利用など外出が制限されていた。
厚木基地内の松葉採取、奥は米軍住宅棟(平成11年12月9日)
(2)松葉濃度測定分析結果
結果は、表7−1に示すように、焼却炉の風下の松葉からは夏場で53.0pg-TEQ/g、冬場で30.6pg-TEQ/gという高濃度のダイオキシン類が検出された。表からは松葉の濃度は発生源からの距離だけでなく風向、風速などの気象条件や地形条件によって大きな影響を受けることが分かった。
表7−1 松葉中ダイオキシン類濃度 単位:pg-TEQ/g
地 点 名 |
距離(m) |
方位 |
松葉濃度 |
備考 |
厚木基地内A |
280 |
北西 |
4.1 |
|
厚木基地内B |
250 |
北 |
53 |
夏場風下 |
厚木基地内C |
180 |
東 |
11.0 |
|
厚木基地内E |
1500 |
北北東 |
2.4 |
背景濃度 |
基地外綾瀬市A |
170 |
南 |
30.6 |
冬場風下 |
基地外綾瀬市B |
200 |
南東 |
7.7 |
|
大和市平均値 |
- |
- |
4.2 |
住民採取 |
綾瀬市平均値 |
- |
- |
2.7 |
住民採取 |
一方、厚木基地が含まれる大和市、綾瀬市の住民参加による松葉調査結果(地域平均値)をみると大和市が4.2pg-TEQ/g、綾瀬市が2.7pg-TEQ/gとなっており、厚木基地に隣接する超高濃度の産廃焼却施設が地域全体の平均値に大きな影響を及ぼしていないことを示している。逆説すれば、松葉を地域平均的に採取する今回の住民参加の方法では高濃度の産廃施設の影響を見逃す可能性があることを示唆している。
つまり、住民参加による地域平均値が高くないからといって安心はできないことになる。逆に住民参加による松葉調査の平均値が高い地域には、産廃、一般廃棄物の焼却施設、野焼き、その他の発生源があること、高濃度排出源があることを示唆している。なお、厚木基地調査では松葉B地点についてはダイオキシンだけでなくコプラナーPCBも測定分析した。値は11.7pg-TEQ/gであり両者を加えた値は64.8pg-TEQ/gである。
図7−1 厚木基地松葉調査地点図および濃度図
(3) 厚木基地松葉の異性体、同族体データ
図7−2及び図7−3に厚木基地B地点の松葉調査におけるダイオキシン類及びコプラナーPCBの異性体、同族体データを示す。なお、図におけるTEFはWHO−1997を、また定量下限値以下の扱いは、ND=定量下限値/2のWHO方式の結果を示している。
図7−2 基地B地点松葉ダイオキシン類(PCDD+PCDF)データ
異性体・同族体 |
測定値
pg/g |
WHO-TEF
(1997) |
TEQ
pg-TEQ/g
ND=WHO |
PCDD+PCDF |
|
PCDD |
|
2,3,7,8-TCDD |
1.6000 |
1 |
1.600 |
1,2,3,7,8-PeCDD |
6.2000 |
1 |
6.200 |
1,2,3,4,7,8-HxCDD |
8.6000 |
0.1 |
0.860 |
1,2,3,6,7,8-HxCDD |
15.0000 |
0.1 |
1.500 |
1,2,3,7,8,9-HxCDD |
14.0000 |
0.1 |
1.400 |
1,2,3,4,6,7,8-HpCDD |
88.0000 |
0.01 |
0.880 |
OCDD |
180.0000 |
0.0001 |
0.018 |
Total Tetra CDD |
190.0000 |
|
|
Total Penta CDD |
98.0000 |
|
|
Total Hexa CDD |
320.0000 |
|
|
Total Hepta CDD |
210.0000 |
|
|
PCDF |
|
2,3,7,8-TCDF |
41.0000 |
0.1 |
4.100 |
1,2,3,7,8-PeCDF |
17.0000 |
0.05 |
0.850 |
2,3,4,7,8-PeCDF |
32.0000 |
0.5 |
16.000 |
1,2,3,4,7,8-HxCDF |
80.0000 |
0.1 |
8.000 |
1,2,3,6,7,8-HxCDF |
39.0000 |
0.1 |
3.900 |
2,3,4,6,7,8-HxCDF |
59.0000 |
0.1 |
5.900 |
1,2,3,7,8,9-HxCDF |
ND |
0.1 |
0.210 |
1,2,3,4,6,7,8-HpCDF |
160.0000 |
0.01 |
1.600 |
1,2,3,4,7,8,9-HpCDF |
11.0000 |
0.01 |
0.110 |
OCDF |
83.0000 |
0.0001 |
0.008 |
Total Tetra CDF |
550.0000 |
|
|
Total Penta CDF |
350.0000 |
|
|
Total Hexa CDF |
200.0000 |
|
|
Total Hepta CDF |
210.0000 |
|
|
Total PCDD+PCDF (TEQ) |
|
53.136 |
図7−3 基地B地点松葉ダイオキシン類(Co-PCB)データ
異性体 |
測定値
pg/g |
WHO-TEF
(1997) |
TEQ
pg-TEQ/g
ND=WHO |
PCB |
|
33'44'-TCB(77) |
140.00 |
0.0001 |
0.01400 |
344'5-TCB(81) |
ND |
0.0001 |
0.00425 |
233'44'-PeCB(105) |
130.00 |
0.0001 |
0.01300 |
2344'5-PeCB(114) |
55.00 |
0.0005 |
0.02750 |
23'44'5-PeCB(118) |
300.00 |
0.0001 |
0.03000 |
2'344'5-PeCB(123) |
ND |
0.0001 |
0.00040 |
33'44'5-PeCB(126) |
110.00 |
0.1 |
11.00000 |
233'44'5-HxCB(156) |
ND |
0.0005 |
0.02000 |
233'44'5'-HxCB(157) |
71.00 |
0.0005 |
0.03550 |
23'44'55'-HxCB(167) |
ND |
0.00001 |
0.00070 |
33'44'55'-HxCB(169) |
52.00 |
0.01 |
0.52000 |
233'44'55'-HpCB(189) |
44.00 |
0.0001 |
0.00440 |
Total PCB (TEQ) |
− |
11.66975 |
(4)厚木基地周辺の松葉の同族体パターン
以下に、厚木基地のB地点及びD地点の同族体解析パターンと厚木基地を含む自治体(大和市、綾瀬市)の同族体パターンを示す。解析図からは両者は非常に類似していることが分かる。
図7−4 厚木基地内松葉B地点(53pg-TEQ/g) ダイオキシン類(PCDD+PCDF)
図7−5 厚木基地綾瀬側松葉D地点(31pg-TEQ/g) ダイオキシン類(PCDD+PCDF)
図7−6 大和市(4.2pg-TEQ/g) ダイオキシン類(PCDD+PCDF)
図7−7 綾瀬市(2.7pg-TEQ/g) ダイオキシン類(PCDD+PCDF)
図7−8 厚木基地内松葉B地点(11.8pg-TEQ/g) コプラナーPCB
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